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2007年5月

2007年5月31日 (木)

【モバイル】モバイル人間になろう!

 最近、モバイルとかユビキタス社会という言葉を毎日のように耳にする。携帯電話やノートパソコンをネットワークで結び世界中どこからでも高速大容量のネットワークサービスやコミュニケーションを実現しようというものだ。


フリー百科事典ウィキペディアによると、モバイル (mobile) は、可動性・移動性のという意味。従来は固定して使用した機器だが、技術の進歩により小型化され、人が携帯しながら使用できるような電子機器(携帯電話・PHSや携帯情報端末 (PDA) 、ノートパソコン等)をモバイル端末いう。

 1980年代後半NECが業務用無線機のカタログに「NECモバイルオフィス」と言う表記を使ったことから関係者に知られるようになった。

 またユビキタス社会とは「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」がコンピューターネットワークを初めにしたネットワークにつながることにより、様々なサービスが提供され、人々の生活をより豊かにする社会である、とある。

 私自身のモバイル生活はもう古い。最初は25年前大学の授業でパソコンを使かったのが始まりだった。それから5年ほどした20年前、アメリカ留学当時、300bpsというカプラーを電話に繋いで各地からレポートを送った。恐ろしく遅かった。今と比べるとウサギとカメどころか、シャクトリムシとジェット機ぐらいの差だ。

やかで1、2年もすると携帯用のモデムが発売された。画期的だった。2400bpsMNP、はじめて文字化け防止のエラーチェック機能がつき、大事な経理データも出先から送れるようになった。

 やがてモデムの速度は9600、19200と倍ばいに加速。電話回線も高速化し、出先でも便利になったが、難点はまだ固定の電話回線が必要だった。このころ、よく公衆電話にモジュラージャックがついたものを見かけるようになった。

 大きくモバイル環境が変わりだしたのは、94〜95年前後からだろう。なんといってもインターネットの一般への活用が始まりだし、パソコンもWindows95の普及からOSの標準化が進んだ。

 そして何より携帯電話の普及の急拡大である。それまでは重く、大きく、値段も高くだったのが、技術のブレイクスルーで一般のビジネスマンが普通に仕事で使えるようになった。

 この頃のことを振り替えると懐かしい。94年夏。ある地方の得意先に2週間程出張に行ったときのことだ。当時買ったばかりのノートパソコンと携帯電話と
そして通信用のケーブルをカバンにいれて出向いた。

 もう少し精確に表現するなら、新しいまだ誰も持ってないおもちゃを買ってもらった子供が、最高に浮き浮きと誇らしげに胸を張って行進するとでも言ったほうがいいだろう。

 その時Directorというソフトを使ってデザイン関係の仕事のプロデューサーをしていた。そのため、事務所でなく一人で集中して仕事が出来る環境が欲しかった。

 その時ちょうど頃合いの静かな喫茶店を見つけた。ボックス席になっていて、周囲とは隔離されている。何時間いても怒られない。そしてこれは一番大事なことだが、電源が取れるコンセントがあること。

 とにかくここは気に入った。得意先の事務所にも歩いてすぐ行けるし、喉が乾けばすぐに頼める。周囲を気にせず集中できる。すぐさま、この空間は私の移動事務所、サテライトオフィスに変わったのだ。

 ノートパソコンを広げ、あれやこれやとケーブルやアダプタなど机一杯に広げ、自分だけの空間をつくりあげた。そしていつでも携帯で電話も出来るし、出来上がった作品は携帯を使って、サーバーにFTP(データ送信)できたし、最新情報もWEBから取れ、メールも好きなときにやりとり出来た。

 それまで、それだけの仕事をこなすには、環境が整ったオフィス、「事務所」でしか出来ないと思い込んでいた。しかしその固定観念が根底から覆されたのは次の瞬間だった。

 2、3時間集中してノートパソコンに向かい作品づくりに集中した。その後電話でスタッフを呼び、パソコンを前に打ち合せに没頭していたときだ。

 突然、携帯電話のベルがなった。相手は遠く離れた別の得意先からの講演の依頼だった。実は長期の出張だったので大阪の事務所の電話を携帯電話に転送しておいたのだ。本来なら大阪の事務所でしか取れない電話。相手も当然私が大阪にいるものとして話しているのがよく分かった。


仕事の内容を注意深く聞いて受話器をきり、ふと我に帰った時だった。今まで経験したことのない異様な感じに包まれた。

 『あれっ、俺はいまどこでなにやってんだろう。おかしい。ここは明らかに大阪じゃないし、オフィスでもない。喫茶店だ。それも遠くはなれた地方の。何故喫茶店にいて、仕事に没頭でき、会議も出来、ましてや遠くの得意先からの仕事の依頼が聞けるのだろう???』

集中し没頭していたせいか自分があたかもいつもの、大阪にある自分自身のオフィスで仕事をしている感覚だったのだろう。それが気が付けば、あろうことか出張先のそれも喫茶店なのだ。タイムスリップでもした気分だった。

 この時のことが、私のモバイル人間としての出発点であり、現体験となった。(現体験とは何かを行なうきっかけや動機となった自らの強く深い経験のこと)
 あれから、実に12年たった。一般には10年ひと昔といわれるが、ITの世界ではドッグイヤーと呼ばれ、普通の一年が7〜8倍に相当すると言われる。これは犬の1年は人間の7〜8年分に相当することからきた言葉だ。だとすれば、100年近く経った計算になる。

 いまでは私のモバイル人間も大きく進化した。まさに携帯電話による仕事変革に他ならない。

 今日からしばらく、このブログでその後の私の『モバイル人間、進化の歴史』を特集してみることにしよう。この特集は、タイトルに【モバイル】と表記し、不連続シリーズとしてお送りする。

 すぐに役立つ情報もバンバン入れていくので請うご期待!!!

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2007年5月30日 (水)

【環境】大都会の中の田んぼ

 田植えの季節になった。稲刈りと並んで農家にとっては一番のかきいれどきで忙しい季節である。苗代で育てた苗を大切に一本一本植えていく。機械がなければ気の遠くなるしんどい作業だ。

最近都会では田んぼや畑をめったに見なくなった。たいていはマンションなどの住宅になるか駐車場になってしまう。 子供の頃、まだ田舎だった実家のまわりには田や畑、空き地や野原が一杯で遊び場に困ることはなかった。

しかし状況は一変。いまや都会の中で生活するものにとっては、田植えなどめったに目にしない。だから今が田植えの時期などと知る人も少ない。

 「宇佐美さん、田植えの時期などよくご存じですね。どちらにお住まいなんですか?」周りが田んぼだらけの余程の田舎に住んでいると思われているらしい。

 「いいえ、れっきとした大都会の真ん中ですよ!」と答えた私は少し自慢げにこう続ける。「確かに住んでいるのは町のなかですが私の住んでいるところだけまだ田んぼが残ってるんです。」

 大都会の真ん中に田んぼが?不思議であろう。種明かしをしよう。

 私の自宅は大阪でも選りすぐりの大きな通り、新御堂筋の添いにある。一般道ながら、高い高架で作られ、信号がないノンストップで、高速道路と変わらないほど素晴らしい道路だ。大阪の梅田から北摂の箕面までつながり、両脇には高層のビルが林立するいかにも都会の情景。脇には地下鉄御堂筋線が走っていて大阪一番の南北に伸びる大動脈だ。

 その一角に一ヶ所だけ今でも田んぼが車窓から見える地域が残されている。梅田から北へ向かい、新大阪、江坂をすぎると地下鉄は地上の高架を走る。窓からは両側の景色がよく見える。終点の千里中央駅から二つ手前の緑地公園駅を過ぎた辺りから、左手を御覧いただきたい。次の桃山台駅の手前、時間にして10数秒だがビルとビルの切れ間になんと、田んぼが見える。御堂筋線添いで田んぼが見えるのはここだけだ。昔からの地主の方が売らずに守り通してきた土地らしい。


 交通の便が最高なうえに自然が残るこの地を気に入り、住み着いて十年になる。毎日周りの田んぼや農作業を見ながらオフィスにむかう。四季折々の変化が素晴らしい。


 厳しい冬の時期から準備をはじめ、五月のGWのころに苗代を作りはじめる。
プラスティックのケースに栄養一杯の土に種が植えられる。やがてよちよち歩きの赤ん坊のように芽をだしかわいらしく生え揃う。母親の子宮の中のように暖かいカバーに囲まれて育つ。
5月下旬から6月上旬頃には田植えだ。この頃には、田んぼには水がはられ、カエルが大合唱を始める。高い声のソプラノ、アルトもいれば、ヒキガエルなどさしづめ低音を響かせるバスなのだろう。


やがて季節はうっとおしい梅雨をむかえる。梅雨の雨の恵みで稲は一気に元気な青年のように、まっすぐに天を向いて急成長する。


梅雨が空けると一気に真夏だ。カンカンと照りつける夏の太陽。このころの日の光がないと稲はよく育たない。害虫駆除や病気にも注意がいる。壮年のように立派に育った稲は見ていて眩しいくらいだ。


やがて秋になり、日一日とすくすく育った稲が黄金色に色付きたわわに実った稲穂はこうべを垂れる。空には無数のトンボが舞い、夜には静けさと少しの肌寒さの中でコオロギなど秋の虫たちがシンフォニーを奏でる。夏のカエルから主役の交替だ。


すずめやカラスが一年の収穫を横取りしようと狙ってくる。一本足のかかしの出番だ。最近のやつらは、普通のカカシではびくともしない。大きな目玉の風船や防護ネットで覆い尽くす。

しかし、いよいよ待ちに待った収穫だという時に決まって無情な悪魔の到来だ。台風である。直撃を受けた跡など大変だ。無惨にも薙ぎ倒された稲は地面に横たわり寝てしまう。


そしてとうとう最後に幾多の試練を乗り越えた稲穂は稲刈り、脱穀と収穫の時期を迎える。長い人生乗り越えた熟年のようにどっしりと落ち着き、たわわに実りを味わう。


刈られた稲は天日に干され、残りものにあずかろうとハトや雀が無数にやってきて、地面をついばむ。ときおり子供がイタズラをして石など投げ込もうものなら、それこそ一斉に皆飛び立ち、壮観ですらある。そして神に感謝を捧げる秋祭りを経て、冬支度をはじめる。こうして一年のドラマは幕を閉じる。

日本は季節とともに変化し、自然とともに生きる稲作文化の国である。毎日、田んぼを見ながら暮すと自分自身のDNAを強く意識させられるものだ。

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2007年5月29日 (火)

【人生】有馬温泉での新鮮な体験

 先週、家族で有馬温泉に旅行に行った。いわずと知れた天下の名湯、関西の奥座敷、秀吉もこよなく愛した日本3大名泉の一つだ。
 江戸時代の温泉番付では、東の大関(トップ)の草津温泉に対し、西の大関は常に有馬温泉だった。


 初夏の清々しい空気と若葉をめでながら、のんびりと露天風呂に浸かり、贅沢なご馳走を頂くというのは、月並みな言い方だが、素晴らしい。


 有馬温泉には「金泉」「銀泉」と呼ばれる色の異なる温泉が有名だ。金泉とは鉄分を大量に含むもので源泉からでて空気に触れることで鉄が酸化して錆びたような色に変色する。一方で銀泉は、普通の透明な色である。


 住所は神戸市北区有馬町とあるが六甲山のふもとで蓬莱峡という峡谷を上ったところにあり、土産物屋が立ち並ぶ温泉街は大変な坂にある。


 ここ有馬温泉で私が新鮮な経験をしたのは、「有馬玩具博物館」だった。ちょうど温泉街から一本中に入ったところにあるこの建物は、6階建てでしっかりとした鉄筋のビルだ。


 よく温泉街で見かける●●博物館のような子供だましと違い本格的なものだ。かつて黒いデザインで江戸末期から明治、大正と一世を風靡して海外にも有名になったからくり人形「神戸人形」。


これにちなんで作られた博物館だけあって、世界中から集めたからくり人形のコレクションは圧巻だ。100体以上のからくり人形は中の機構構造が見えて、ボタンを押すと動きだす。


 大学時代の機械工学や機構学、機械設計の授業を思わず思い出し、一体一体なかの構造を分析しながら見ていったので時間があっというまにたってしまった。

 この他にもドイツのバーデンバーデンという温泉で有名な町を模したジオラマなどは10畳間一杯くらいに広がり、本格的なコレクションで一見の価値がある。

 この他にも日本はもとよりヨーロッパを中心に本格的なブリキのおもちゃ。
ドイツの木工の手作りおもちゃ。現地でのきちんとした映像取材をもとにした、くるみわり人形の展示などなど。ITを使った映像プレゼンも効果的で説明員も分かりやすく専門的だ。海外への研修も行なうほどの熱の入れよう。思わずかたずを飲んで見入ってしまうほどである。


私がここを訪れたのは一泊二日の初日で午後2時少し前である。一階の入り口で入場料を払おうとしたら、おもちゃを手作りで作れる工作教室が今から始まるというので、思わず申し込んだ。


まずは電動の糸ノコの使い方の練習をした。直線、カーブ、鋭角のギザギザ。肩の力を抜き、板を自分の正面に置き、板をゆっくり下絵の線に沿って動かす。少々線からはみ出ても無理に力付くでもとに戻さず、ゆっくり流していく感覚。

 生まれて初めて電動糸ノコを使う私としては本当に新鮮な経験だった。とにかく集中力が求められる。下絵の線の先端をじっくり見ながらゆっくり板をうごかしていく。しかし、力が入りすぎると線からはみだしてしまう。本当に一歩一歩、というより1ミリ1ミリといった感じだ。


練習で素早くコツを掴めたと感じた私は大作に挑戦することにした。ここでは、有名なプロの方が描かれた型紙が何十種類もあり、毎回異なる作品に挑戦できる。リピーターのお客さんも多い。


 私は、16cm×16cmの正方形で厚さ2cmの板から、十二支をもとにデザインした木製パズルを選んだ。正直一番難しく、また出来上がった作品としては一番値の張るもので、挑戦しがいがあった。時間は2時間だ。

 とにかく集中力である。一度板に糸ノコを入れると一本のつながった線を切り終えるまでは集中し続けなくてはならぬ。


結果日頃の色々なことがすっきりと忘れることができた。


何しろ、ほかごとを考えでもしようものなら、すぐさま下絵の線からはみ出してしまい、無理に力を入れれば糸ノコの刃物が外れ、機械は空回りし、大変危険な状態になる。


強制的に集中すべき環境が、他の事は考えない心地よい気持ちに誘ってくれた。座禅で深く入った時の精神的トリップにも似ている。

そうしている内に、いまやっていることは、人生そのものような気がしてきた。

一枚の板全体を見て、下絵をデザインする。これは長期的視野で、ありたい自分、なりたい自分を思い描く。


しかし、その「夢」が一旦現実に目指すべき「目標」に変わった瞬間からやるべき事は変わる。


目の前を見て一歩一歩、1ミリ1ミリ。ほかごと考えず、ただひたすら集中する。そして、長い長い時間積み上げて出来上がる人生という大作。


確かに出来上がった作品を見つめて、余韻に浸るのはいい。でも、その時おもう。他ごとを忘れ、一瞬一瞬に集中しトリップしている時間の素晴らしさと懐かしさ。


結果ではなくプロセスが大事とはよくいうが、プロセスこそ楽しいのだ。その時強く実感した。また作りたい。これも人生と同じだ。
出来れば今度は自分でデザインした作品を作ってみたいものだ。


これこそ、仏教で言う「三昧の境地」(ざんまい:心を一つのものに集中させてえられる安定した穏やかな精神状態、瞑想)というのだろう。また、一つ勉強になった。


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2007年5月28日 (月)

【趣味】ハマった料理〜おかゆ

 お粥との思い出は深い。子供の頃、風邪を引いたときや胃をこわした時、母親にお粥を作ってもらった思い出は誰しもあるだろう。
それから長い間、お粥といえば病人の食べるものと思い込んでいた。

しかし、この既成概念を打ち破ってくれたのは、ボストンで食べた一杯の中華粥だった。今から20年ほど前のことだ。当時向こうに留学していた日本人の友人たちに、おいしい店があるからと連れていかれたのは、中華風の屋台村のような、決してお世辞にもお洒落とは呼べない庶民的な所だった。

最近、よくスーパーの食堂街で見かけるタイプで周囲に色々な店が何件もあり、真ん中にテーブルがたくさんあってセルフで食べる感じの気楽な場所だ。

デーブルで一人待っていた私のもとに、友人達が何種類かのお薦めの中華料理を運んできてくれた。

『ここの中華がゆは絶品だよ。他ではまず食べられないな。』こう話した彼はMITのビジネススクールに留学していて、旧財閥の家系で育ち、生まれてこの方、世の中の美味いものを全て食い尽くしてきたほどの男だった。

肝心の中華粥なのだが、見た目は少し灰褐色で日本の白粥とは違う。その上にピータンがトッピングしてあるだけの極めてシンプルなものだ。食器も学校給食で出てくるような使い捨ての小さなボールみたいなものだった。

この庶民的な場末の店でここまで彼を唸らせる程の料理があるのかと半信半疑だったが、ゆっくりとスプーンを取って食べてみた。

生まれて初めて中華がゆを口にした私は、世の中にこんなうまい料理があるのかと最高に幸せになれた。

テレビのぐるめレポーターのように表現力のない私ゆえに、ここでは味について語るのはやめよう。というかほんとうに美味いものは食べてみないとわかりゃしない。ことばにすると陳腐におもえたりする。

とにかく、本当に幸せになれた一瞬だったとだけいっておこう。その時、お粥とは最高の料理だと強烈に記憶に焼き付いた。

この時のことは、若き日の青春の思い出として、しばらく記憶の片隅においやられていたが、最近、妻がお粥を作ってくれたのがきっかけで私もお粥を研究しはじめた。

水と米の分量や出汁の取り方、あわせる具の種類、煮方炊き方などなど。白がゆでも奥が深い。最近、若い女性を中心にダイエット食として人気が高いのも理解できる。少し高級なスーパーへいくと、色々なバリエーションのお粥がレトルトパックされて売られるようにもなった。驚くのはその種類の多いこと、多いこと。

今はまっている私の研究テーマはもうお分りだろう。若き日にボストンで食べた、あの中華がゆを自分の手で再現すること。なんとかもう一度食べたい、自分の手で作りたい。

追い求める理想が高いと人生おもしろいかもしれない。

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2007年5月25日 (金)

【国際】中国の不思議な安全管理

先日長年、中国に赴任していた学校の後輩とゆっくり話し込んだ。最近なにかと話題の中国だが、そのイメージと実態は恐ろしいほど乖離しているらしい。

近代的なビルの建設ラッシュ。女性のファッションも華やかになり、見た目は渋谷か六本木と変わらなくなってきたとの報道はウソではない。

ただしこれは一部、上海や北京など大都会の表面のはなし。一歩裏に入ると、影の部分はこれとは全くの正反対。

町は汚く不衛生で、スモッグや大気汚染で、アトピー・アレルギーにかかる人があとを絶たない。今中国が日本から奪いたい技術が、環境技術というから、それもうなずける。

町には不法コピーがあふれ、先日などは、ついに生卵の偽物まで登場したそうだ。ディズニーランドをぱくった国営の遊園地などまだ可愛いほうだとのこと。第一、現地の人間こそ何が本物かわからず大弱りなのだそうだ。

当然、貧富の差も激しく、山間部には今も飢えに悩みその日暮らすのもままならぬ人たちが驚くほどの数にのぼる。

夜もふけ、中国裏事情に耳を傾けて数時間たった。
ちょうどその時、自分の耳を疑うような面白い話が聞けた。ちょっと不思議な中国の航空事情であった。

折角中国に行っているのだから、観光で色々回ったのか?という私の質問から、どんな交通機関で回ったか?という話題に話は展開。

後輩いわく、あの広い国では鉄道や自動車では無理だとのこと。十分なインフラがないことも影響している。そこで都市と都市の移動はもっぱら飛行機を使うそうだ。

私は怪訝そうに「本当に大丈夫か?落ちないの?事故とか起きてないの?」と聞いた。

彼は答える。「そうですね。表向きは大丈夫そうですよ。」と。そしてこう続ける。「しかし仮に事故が起こったてしてもほとんど報道されることはありませんよ。何しろ、今だに一党独裁の中国共産党がぎゅーじっているんですから。」

なるほどそれもそうだと妙に納得して聞いていた私だった。そして次の瞬間何かを思い出したように、興奮して彼が話をつないだ。

「そういえば宇佐美さん、一つすごく面白い話があるんですよ。」

そういわれて私も身を乗り出して彼の話にすいこまれた。

「中国でもインターネットは大流行です。一部に規制が厳しいなんて報道がありますがそれはウソですよ。抜け道なんていくらでもありますから。」なんでもアリアリの国なのだ。

「今宇佐美さんが言われたみたいに一般の人もやっぱり飛行機が落ちないか不安みたいでね。それで面白いサイトがあるんです。」どんなサイトかみるみる引き込まれる。

「それは一言で言うと、飛行機の裏安全情報みたいなものです。そこには全ての航空便の使っている飛行機の機体の情報が書き込まれているんですよ。例えばA社の午前10時ちょうど発 上海→北京行きの便であれば、その機体がいつリリースされて、今までどれだけ飛んだかというフライトの履歴、過去の故障状況や調整の具合まで、こと細かく詳細に渡って書かれてあり、飛行機にのる人たちは大体これをチェックして、どの便に乗るか決めるそうです。」と。

私は大いに興味深く聞いて質問した。「そんな情報、航空会社の中でも一部の人間しか知らない機密情報だろ!?一体誰がそんな情報流しているんだ?」

彼いわく「誰なんでしょうね?よくわかりません。しかしあれだけの人口がありますから、どこらここらから情報がわいてくるのでしょう。本当何年いても我々には想像もつかない得体の知れない国ですよ。」と。
日本ではジェットコースターが事故を起こせば、まず政府が悪い、県や自治体が悪い、規制を強化しろ、罰則を作れ、管理体制を作れ、資格を厳しくしろという声の大合唱だ。確かにそれが普通の日本人の考えることだ。

しかし、夕張市など自治体も破産する時代。何事もコストとの兼ね合いで決まる。なんでもかんでも人を増やし、政府や自治体に管理させるのは時流にあわないだろう。

中国の例に習い、「全国ジェットコースター危険度リスト」のサイトを作り公開する。お客はその情報を見て、どこの遊園地が安全で、どの乗り物が安全か事前に調べてからのる。

また遊園地側も安全にお金を使っても、正当に評価され信用に繋がりお客も増える。

さらに行政も少ない人ですむから税金の無駄遣いはなくなる!

いいことづくめである。
たまには日本人の常識を捨ててみるのも発想が豊かになっていい。


最後にブラックジョークをひとつ。危険度ランク最下位の遊園地が広告をうちました。

『この度、私どもが全国で最も恐い恐怖のジェットコースターとの評価を頂きました。命知らずの勇気あるあなた。是非とも日本一の恐怖とスリルをお試しください。』

さて何人が遊びにいくかな?

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【時事】恐るべし演出!朝ズバッ

毎朝TBSでやっている、みのもんたの「朝ズバッ」をよく見ている。ちょっと硬派なニュースワイドショーとでもいうのか。最近、この手の番組が増えた。朝から夕方近くまで各局が競い合っている。いまやドラマやスポーツ番組同様、ニュースもテレビ局にとっては視聴率をとるための大事な「道具」ということだろう。

最近なら、昨年暮れに話題になった例の耐震強度偽装事件などは大変な「ヒット番組」となった。不謹慎と怒られるかもしれないが、とにかく面白かった。

なによりキャスティングがいい。気弱ですぐに圧力に屈しそうな小心者のカツラ野郎、いかにも悪人面した悪徳業者、自分も悪の仲間のくせに正義の味方を装う切れ者タイプなどなど。毎日少しづつ暴れる真実はさながらドラマを見ているようで、わくわくしてみていた。番組としてセンセーショナルに煽る演出も良かったのだろう。これでは、もはや真実を淡々と伝える報道番組ではない。

それはさておき、さしづめ今関心を集めているのは、大阪吹田の遊園地エキスポランドのジェットコースターの事故だろうか。

立ちノリの一番恐い龍神雷神とかいうコースターが途中で脱輪したか何かで死者一人と重軽傷者が多数でる大惨事だった。

この手のニュースの演出はこうだ。まず事実を報道する。その後それが過去に比べいかに大きなことか伝える。さらに被害者の悲惨さを伝え、周辺取材で家族や友人、近所の人が出てきて本当にいい人だったと誉める。

そして亡くなった方の遺族が登場し、怒り狂って泣き叫ぶ姿が登場。加害者にやり場のない怒りをぶつける。さらにお涙頂戴が続く。せっかく憧れて受かった学校の制服に一度も袖を通せずに亡くなったとか。3ヵ月先に迫った結婚式、さぞや無念の思いであの世にいったことでしょう。などと小市民の涙腺をおもいっきり刺激してくる。

さらに加害者の闇を暴く。いかにずさんな管理体制やモラルだったか。過去にも同様なことを繰り返していた。法律を守らなかった。さらに、余りにも誠意がなく形ばかりの釈明会見。正義の味方然として、厳しく質問する記者達に、意味がわからず責任のがれの加害者たち。ここらあたりで見ている視聴者も、被害者に対する哀れみと同情、そして加害者に対する憎しみと怒りが頂点に達するドラマの佳境へと入る。

やがてしめやかに行なわれる葬儀。大勢の前で涙をこらえる遺族。会場から追い出され中に入れてもらえない加害者。そして斎場へ向けて車が出ていく。見送る遺族。

ドラマはここで終わらない。落語と同じで必ずオチがある。

ピークに達した怒りと同情の矛先は、最後は必ず時の権力者、力の強いものに向けられる。行政の責任はどうだったか?きちんとチェックしていたのか?政治家のモラルが足りない、などなど。

コメンテーターと称される何が仕事か分からないような連中が最も元気良く話しだすのは、この時だ。自分のことなど棚に揚げ、さももっともらしい理屈をこね、だから政府が悪い、お役人が悪いと追求する。

さらに言えば、見ている側も、思わずそうだそうだとなってくる。会社や学校、近所の井戸端会議ではこの話題で持ちきり。しゃべる内容はテレビの受け売り。全員みのもんたと同じ意見。不思議だ。

最後におまけ。大衆に迎合しないと選挙に通らない、失業してしまう政治家諸氏。この手の番組良くみてるんですよね。国会の質問にも取り上げるし、議員同士の会合もたいていこの手の話題で盛り上がる。その辺の井戸端会議と同レベル!
昔から「木を見て森を見ず」とはよくいったものだ。身近で細かいことには目が行くが、なかなか全体像や大局を見て判断しない、出来ないという意味。

たまたま起こった一つの事件が、どんどんとエスカレートして、世論や政治まで演出してしまう。

良いとか悪いとか言っても始まらない。これが現代日本のまぎれもない現実だ。

でもやっぱり、みのもんたの「朝ズバッ」は面白いわ。このすごい演出に注目すべし。

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2007年5月23日 (水)

【人生】天職ってなに?

人がこの世に生まれで最高にエキサイティングで、背筋がぞくぞくし、ああ生まれてきて本当に良かったと思うとき

−それはいつだろうか?
−それはどんな時だろうか?
−どうしたらそんな気持ちになれるのだろうか?

人によって答えは違うが、一つ言えることがある!
それは『天職』にめぐりあった時だ。

書家のあいだみつおは次のように言っている。

『私がこの世に生れてきたのは、私でなければできない仕事が何か1つこの世にあるからなのだ。
それが社会的に高いか低いか、そんなことは問題ではない。その仕事が何であるかを見つけ、そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに人間として生れてきた意義と生きてゆくよろこびがあるのだ。[出典]
相田みつを(詩人・書家)』

またキリスト教思想家、内村鑑三は、天職についてこう述べている。

『人生の成功とは実は他の事ではない、自分の天職を知って、之を実行する事である。大抵の場合に於ては天職は発見せられず、又実行せられずして、人は己が欲せず又己に適せざる事を為しつつ其一生を終るのである。 』[出典]内村鑑三(明治〜大正のキリスト教思想家・作家、1861〜1930))「地位の満足」

今辞書をひいて確認してみた。英語で天職のことを『Mission』、『Calling』という。前者は使命、すなわち神から使わされた尊い役割、責任ということだろう。

後者は神が私たちを呼んでいる、『ほら、ここにあなたしか見つけられない素晴らしい仕事があるわよ』ということだろう。

それでは天職など簡単に見つかるものか?

これは私自身、今確信していることだが、(1)私は自分にしか出来ない天職を見つけだし、(2)改革を通じて人々と喜びと感動をともにし、(3)満足とはいわないまでも生計をたてることが出来ている、世界中でもごく稀な『極めて幸せな』人間だろうと。

ただし(3)はもう少し頑張らないとうちの経理担当から怒られそうだが(笑)
ではナゼわたしが天職を発見できたか?どのようにみつけだしたか?

これについては、ここでは多くを語るのはやめよう。ブログのネタがなくなるから。(爆)

ただ一つだけ確かなことがある。私自身の天職探しの旅の最高の水先案内人は、松下政経塾であり、松下幸之助さんであったことである。
この点で私はこれ以上ないほどの深い深い感謝をしている。

ここでは詳しくは話さないが、留学中のエピソードである。研修生として働いていた先で、ある女性スタッフが羨望の眼差しで、私に言った一言は今も忘れない。

『あなたは本当に幸せな人ね。だって自分自身の天職として、世の中を変え人々のお役に立てる仕事を見つけだすための、時間とお金とチャンスがあるのだもの。こうやって留学までさせてもらえるんですもの。本当にラッキーよ。普通の人はね、大抵そうしたくても生活のため、世間体のため学校を卒業したら、好きでも嫌いでもまずどこかの組織に入るものよ。そうして一生、天職などには巡り合うことはないわ。あなたはね、自分の恵まれた立場を自覚してね、おもいっきり、やりたいことをやって世界中の人たちのために頑張ってね。』

時間もお金もチャンスも与えてくれたのは、松下政経塾と幸之助さんだった。

いま彼女の言葉を振り替えって思うことがある!

もっともっと頑張ろうと!


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2007年5月22日 (火)

【趣味】趣味は料理です。

私の趣味は料理である。クラシック音楽、プロ野球観戦(中日ドラゴンズ)なども趣味だが、料理は一番好きである。

子供の頃、両親が共稼ぎで家にいることがすくなかったので自分でラーメンを作ったりしていたのがはじまりだ。

その後、大学時代は最初は自炊だった。しかし毎日作って後片付けするのは面倒で半年ほどでやめてしまった。

社会人になると仕事で疲れてその気にならなかったのと、学生時代と違いお金が出来たので、もっぱら外食だった。毎日居酒屋で食べていたので、このころからお酒が好きになり、体重も見る見る増えていった。(この頃ピークで100Kg近くまでブタになった。いまは70Kgちょっとだ。)

料理にハマったのは結婚してからだ。きっかけは、キッチンがまともな広さだということと冷蔵庫が大きいこと。そして食べてもらえる相手がいるということだろう。

一人暮しだとどうしてもまともに料理する気にならないものだが、やはり食べてもらう相手がいて、幸せな顔で美味しい美味しいといってくれるとなんともうれしい。いい趣味だと思う。

『芸は身を助ける』というが、私も料理という芸に助けられたことがある。アメリカに留学していたころホームステイしていた。その頃、まともに英語ができなかったが、下宿させてもらっている以上、一宿いっぱんの恩義ではないが、何か貢献しなければと思っていた。


そこで私がやったのは、ベビーシッターと料理だった。赤ちゃんや小さな子供は昔から好きであやしたり、一緒に遊ぶのが好きだったので、苦にならなかった。何より赤ん坊相手だと英語が必要でない。


料理も言葉は要らない。味噌ラーメンとお好み焼き、石狩鍋が大受けで、パーティーではひっぱりだこだった。お陰で言葉はまともにできなかったが、家族として暖かく迎えてもらった。


結婚してからは、スペイン料理のパエリアが定番になった。パエリアパンという幅広のフライパンで焼く、スペイン風やきめしみたいなものだ。

うちのかみさんの大好物でこれを作って食べてる時は大変に機嫌が好い。だから何かのお祝いなどの時はよくつくる。

味の研究と称して色々スペイン料理屋を二人で回って研究したりもする。

料理は、いろいろ創意工夫も出来るし味付けなど奥が深い。そして何より、美味しいものは単純に人を幸せにできる。いい趣味である。

ただし趣味で作る料理は気合いとエネルギーが要る。だから疲れている時はさすがにその気にならない。


まあ、気の向いたときに作るから、趣味なんだが。何事も義務とか仕事になってしまうと面白くなくなってしまうから。      
いまハマっているのは、なんと『おかゆ』。詳細は後日のレポートをお楽しみに!


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【人生】少年老い易く学成り難し

はやいもので私も満44歳になった。24の歳から今の仕事をはじめ、ちょうどキャリア20年になる。

昨年の末から今迄お世話になったかたがたに満20年のご挨拶とお礼状のお手紙を順次さしあげているところだ。

有り難いことにかなりの人からお返事を頂戴した。中には十数年ぶりにやりとりした人もいて実に懐かしかった。

しかし考えてみると、44歳は立派な(?)いいトシしたオヤジである。少なくとも私も高校生の時はそう思っていたし、どちらかといえば忌み嫌っていた。
自分は絶対にそんなオヤジにはなりたくないと。しかし残念ながらそのオヤジになってしまった。

最近痛感するのは、『少年老い易く学成り難たし』と言う言葉だ。

少年老い易く学成り難し。
一寸の光陰軽んずべからず。
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。

階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声。

これが原文である。簡単に言うと『人生トシをとるのはあっという間よ。でも理想ややりたいことはなかなか簡単に出来るもんではないぞ。だからね、ちょっとの時間も無駄にしちゃだめさ。元気で浮き浮きな若い頃の感覚なんて夢みたいなもんでねぇ。夢見心地でいると目が覚めたら、白毛だらけのジジイになってるもんなんだよ。人生は。』っていう意味。

どうです?深いでしょ。

確かに私は天職にめぐりあい、有意義な人生を送っていると自覚もし、深く感謝もしている。

しかも日々それなりに努力もしてきたつもりだが、それでもやっぱりオヤジになってしまった。

この先もこれまでと同様、最善を尽くして生きていくと思うが、おそらくこういう文章が後に続くんじゃないだろうか?

『白髪のジジイになって初めて気付くのさ。人生は一回しかなかったんだとね。しかし、その時、悔いのない人生だったかどうかでその価値は決まるものよ。何せ最後は棺桶入ってオサラバだからな!』(ダイブツ作)

さてさてこの後の人生どうなることやら?

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【経営】ライバルは有り難い!

普通、ライバルとか競合相手というのはやかっかいなものだ。出来ればそんなものはいないほうがいいと思うのは人情である。

かつて巨人の星の星くんと花形やバンとがライバルで互いに切磋琢磨する物語があったが、それはドラマのなかだけだろうとも思う。
現実はそんな綺麗事ですまないだろう。『あいつだけには負けられない』と身を引きちぎられるほど悔しいのがライバル。

ところが奇跡のような光景を先日見た。久しぶりに名古屋の実家に帰った時のことだ。私の実家は名古屋市内でも郊外にある。

かつては田んぼや畑で遊んだものだが近くに地下鉄の駅が出来、最近急にマンションなどが立ち並んだ。
しかも大型のショッピングセンターも出来た。

悲劇なのは昔からある商店街。完全にさびれてしまっでかつての面影はない。

小学校のころ見たあの店、この店はみなひからびてしまっていた。何とも淋しいものである

そんな中で今も元気に頑張っている2件の店を見つけた。道路をはさんで向かい同士にある金物屋である。
金物屋といえばもちろん日用品や大工道具、料理の道具など実に幅広い商品を扱っているわりに、八百屋や魚屋ほどに頻繁にいくものでない。

それに先客万来でウハウハで儲かるような商売とも違う。どちらかといえば地味な存在。他がさびれる中で、この2軒のライバルだけがしっかり生き抜いている。

なぜだろうか?勿論、相手に負けたくないから努力するというのはあるだろう。しかし、商店街に人が来なくなっている現実は厳しいはずだ。

町の人は言う。1軒だけなら、忘れてしまうが、2軒あるから、すぐに思い出す。金物ならあそこだと。
そして、1軒目に欲しい商品が無くてももう1軒にはたいていおいてあり、そこへ行けば用が足りる。

地域に密着していて遠くに行かなくてもすぐ欲しい時に手に入る。特に生活密着商品は助かると。

普通は同業者が自分の向かいにいて気分がいいわけはない。普通はどちらかが生き残り、どちらかがつぶれるものだろう。

しかし、互いに切磋琢磨すると同時に共存共栄することで、2店ともより強く生き抜ける奇跡のようなこともおこるのだ。

経営というものは、やはり奥が深い!?

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【技術】ブログの書き込みが簡単!

このブログは携帯電話でメールを使って書き込んでいます。以前のシステムは、パソコンからしか入力出来なかったんですね。
出張が多い私としては、1、2週間事務所に帰れないことも多いのでこれは助かります。

使い方も簡単で、まず携帯でメールを書きますよね。それをブログ書き込み用の特別なメールアドレスに送信します。すると確認用の返信メールがおくられてきます。
その返信メールにあるURLをクリックするだけで終わり。

何とも簡単である。つまり、ブログさんという友人がいたとして、彼に携帯メールを送る感覚で、ブログへの書き込みが出来る。こりゃ、いいですよ。本当。

これで、モノグサな私でも続けられるはブログ!              ダイブツ


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【挨拶】ブログ開設ご挨拶

皆さん、いつも『改革支援サイト』をお読み頂きありがとうございます。

この度、このサイトにブログ『ダイブツ君のひとり言』を開設いたしました。

このブログは、ダイブツ君こと、私ニューポートの宇佐美泰一郎が、日頃感じていることや日々の出来事を《気楽に》お伝えしていきます。

ときには真面目な堅い話もありますが、時にくだらない冗談や雑談もどんどんと書きますので、タイトルは『ダイブツ君のひとり言』としました。

個人的な話や私自身の悩み、プライベートなこともできるだげ、生のダイブツ君、素のダイブツ君をスバリだしていきたいと思います。

みなさんも、どんどんコメント下さいね。ただしあまり鋭いつっこみはやめてね。私、困っちゃいますから。

ということで、スタートします。よろしく

ダイブツ


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