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2007年10月

2007年10月31日 (水)

【文化】秋の古都・奈良〜正倉院展

正倉院展に行ってきた。最近は首都圏でも色々なところでポスターを見掛けるのでご存知の方も多いだろう。鹿の放し飼いで有名な奈良公園の中にある奈良国立博物館で開催している。
【文化】秋の奈良〜正倉院展

 平日だというのになんと40分待ちという長蛇の列で人気の高さが伺い知れる。やはり年輩の方が多く見えるが、平日だというのに若い方も予想以上に多い。
とにかく人混みが苦手な私には相当な覚悟が必要だ。
爽やかに晴れた秋の奈良。目と鼻の先には東大寺の本物の大仏さんがお見えになる。

ご存知の方もお見えだろうが、正倉院はその大仏殿の裏に建っている。今は宮内庁の管理のもとにある正倉院であるが、その昔は大仏を建立された聖武天皇が私物としての財物を東大寺に寄付をされ、大仏殿の裏に有名な高床式の建物を建てたのが、そもそも正倉院の始まりだ。

【文化】秋の奈良〜正倉院展

ここの財宝はとにかく破格である。もとは聖武天皇の六百点以上にわたるコレクションが元になり、その数はドンドン増えていった。
ペルシア(イラン・イラク)、天竺(インド)、唐(中国)を渡って日本につながるシルクロードの執着点。それが奈良正倉院である。

膨大なコレクションの中から毎年70〜80点ほどを選りすぐり、東大寺の向かいの国立博物館で催されるのが、この展覧会ですべてのコレクションを見るためには、それこそ何十年も通わねばならない。

思えば私もこの正倉院展を知ったのは中学の時の歴史の先生ではまってしまった人があり、名古屋から毎年わざわざ見に行く人がいて、それがきっかけだった。

ようやくの思いで入り口まで到着し、音声ガイドを借りることにした。大変分かりやすい解説なのでとにかく勉強になる。

さて会場に一歩足を踏み入れると大変な人である。
人だかりでまともに見られたものではない。平日の昼間にこの人だかりは信じがたいものがある。

【文化】秋の奈良〜正倉院展

まず会場の最初には正倉院の財宝の目録が書かれた鏡。今回はアジアの各国から来た楽器やオモチャ。
大仏の開眼会で使われた筆やスミやきらびやかな衣装や楽器などなど。

疫病で苦しむ多くの人々を救うために全国に国分寺、国分尼寺を建て、光明皇后ともに深く仏に帰依した、聖武天皇。

光輝く仏である毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)、大仏を建立し、ここに並ぶ、財宝、宝物によって、きらびやかに飾られ、異国の楽器で奏でられる音楽に彩られた開眼会。

シルクロードを通じてやってきた異国の財物が天平の都の風景に溶け込んでいる様子が目に浮かぶ。

『やまとは国のまほろば』。猿沢の池の水面に落ちる紅葉の葉と秋の古都は静けさの中にふけていくのであった。

  


【第59回 正倉院展】期間:平成19年10月27日(土)〜11月12日(月)


正倉院は普段は非公開であるが、年に1 度、奈良国立博物館で御物の特別 展示が行われる。宝物には、聖武天皇遺愛の品や東大寺の法会に使用された法具など中国の珍器、ペルシャ、インドの工芸品なども含まれ、国際色、種類ともに豊富です。


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2007年10月19日 (金)

【名言】三猿の教えの本当の意味

陽明門日光東照宮陽明門


日光東照宮に行ってきた。秋の紅葉にはまだ少し早かったが、それでも大変空気が澄み渡って清々しい。仕事の関係で近くまで行ったので立ち寄ってみたのだが、私にはどうしても気になることがあり、自分の目で確かめたくて足を運んだのであった。


それは昨日のブログに書いた『見ざる聞かざる言わざる』の三猿の教えについてであった。ブログを書くために色々と調べていると、この三猿は8枚の絵のうちの一枚であり、猿の一生を描きながら 「人の生き方 」 を伝えているということが書かれてあった。ところが三猿については有名なので大変たくさんの解説が方々にあるのだが、この8枚の絵と解説はインターネット上にはあまり乗っていないので自ら現地で見てみたかったのである。


東武鉄道で日光の駅まで行き、そこからバスで東照宮まで向かった。しばらくして陽明門の前までやってきた。大学時代サークルの旅行で来て以来だから実に20年ぶりである。この東照宮の陽明門は昔から日暮門(ひぐらしもん)と呼ばれ、いつまで見ていても飽きないと言われるだけあって黄金の輝きが色褪せることはない。昔の人はよく言ったものだ。『日光を見るまで結構というな。』まさにピッタリの言葉だ。

さてしばし見とれていた私はふと我に返り今日来た目的を思い出した。「そうだ。三猿だった!」あたりを見渡した私はすぐにお目当てのものをみつけた。陽明門に向かってちょうど背中の側にある厩(うまや)がそれであった。これは正式には神厩舎といって、境内の中では唯一の素木造りの建物で何の装飾もない普通の木造の建物である。きらびやかな建物ばかりの東照宮の中ではかえって目立つ。

陽明門神厩舎

この神厩舎は最初は徳川家康公が関ヶ原の合戦に乗馬された馬が奉納されていたそうである。現在の大きな神社には 必ず厩舎(うまごや)があるが、この厩舎は日本の神社建築史上 最初に境内に建てられたものだそうだ。昔から 猿は馬を病気から守るとされたため猿の彫刻が彫られているのだ。写真のようにちょうど屋根の下の軒下あたりに細長く飾られている。やはり前に調べたように何枚も猿の彫刻がある。やはり三猿の彫刻が一番始めに目の中に飛び込んできた。ちょうど向かって左から2番目の絵である。次に私は他の絵に(正確には彫刻だが)目を移してみる。すると5枚の絵が書かれてあった。そして前にはモノクロの写真とそれぞれの解説が書かれてある。

「ところであと3枚ないぞ」と思い、建物の右手奥に回り込んで見ると残りの3枚が見つかった。これで本日のお目当てが全部出揃った。私はその解説文に目を通すことにした。以下がその解説だが若干分かりやすく加筆修正してあるがほぼ原文のままだ。


(1)【赤ん坊の時代】

8ザル親子の猿。母は子供の未来までも見ている


(2)【幼少期】

8ザルいわゆる三猿の教え。見ざる、聞かざる、言わざる。子供の内は悪いことは見ない、聞かない、話さない。

(3)【将来を夢見る】

8ザルじっくり腰を落ち着けてこれからの人生を考える

(4)【上昇志向】

8ザル若い内は可能性が多い。望みを大きくもって上を見る。上には上がある。

(5)-1【挫折を知る】

8ザル 崖っプチにたたされた猿。大きな挫折を体験し友達がなぐさめる。下には下があると知りうつ向いてうなだれる。

(5)-2【挫折を乗り越え地に足をつける】

8ザル 挫折を乗り越え立直り、今度はしっかりと足元をみる。


(6)【良き伴侶にめぐりあい家庭を持つ】

ラブラブ恋愛中?やがて良き伴侶を見つけ結婚することになる。

(7)【夫婦で荒波を乗り越える】

8ザル二人で力を合わせれば、世の荒波も乗り越えていける。左手下に見えるのが青い荒波である。

(8)【子供が生まれ初めて親の有り難みが分かる】

8ザル妊娠した猿。お腹が大きくなっている。やっと親の苦労がわかる。二世誕生も間近。


これは一見すると分からないが大変深い教えが込められている。これと同じ教えが孟子の子供のころのことを現した有名な『孟母三遷(もうぼさんせん)』の教えである。幼児の教育には環境が最も大切であるという教えだ。


━━━━━『孟母三遷』(故事成語辞典より)━━━━━━━━━━━━━

孟子が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ近くにあった。 そのためいつも、葬式ごっこをして遊んでいた。孟子の母は、「ここはあの子が住むにはふさわしくないところだわ」
そう考えて引っ越すことにした。
移り住んだのは市場の近く。 孟子は商人のまねをして商売ごっこをして遊んだ。
孟子の母は言った。
「ここもあの子が住むにはよくないわ」
再び引っ越して、今度は学校の近くに住んだ。
孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、礼儀作法の真似事をして遊ぶようになった。
「ここならあの子にぴったりね」
孟子の母はここに腰を落着けることにした。
 やがて孟子は成長すると、六経を学び、後に儒家を代表する人物となった。【列女伝・母儀(ぼぎ)・鄒孟軻母(すうノもうかノはは)】

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この教えのように『見ざる聞かざる言わざる』とは子供の将来を考えた母猿が最高の教育の環境を考えて、教育上ふさわしくないものは、見たり聞かせたり真似させたりしないというのが、この三猿の教えの本当の意味になるのだ。

そう思いながら、ふと気付くと再び陽明門の前にたっていた。我に帰った私は謎を追い求めやって来た日光の旅を清々しい気持ちであとにするのだった。

※写真は宇佐美泰一郎撮影(2007年10月18日)による

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2007年10月18日 (木)

【名言】『見ざる聞かざる』は本当に正しいか?

 日光東照宮といえば左甚五郎の眠り猫とともに、「見ざる聞かざる言わざる」の三猿が有名である。

2  この三猿なのだが、これは子猿の彫刻であり、子供の時分には悪いことを見ない、悪いことを聞かない、悪いことを言わないようにするものだという教訓である。

 また『見ざる(人の短所を見ない)、聞かざる(人の非を聞かない)、言わざる(人の過ちを言わない)。最も大事なのは思わざる(人はその長所をみて悪く思わない)こそ勝るなりけれ』として、人のよい所を積極的に見ましょうという意味が本来のこの言葉の意味である。

 大変残念なことに、この言葉ほど本来の趣旨を曲解されて理解されている言葉もあるまい。

 私たちはこの言葉を、「自分にとって都合の悪いことには、見ても見ないことにしよう、聞こえても聞こえなかったことにしよう、さらに人前で口にすることは止めよう。(結果として他人から攻められて被害が及ぶから)」というように一般的に使っているのではないだろうか。

三ザル

 これは日本人の精神構造を端的に表現しているようにも見える。お上には逆らわない。事なかれ主義である。自分の身を守るための保身術、長いものに巻かれろ主義。

 確かにこうした気持ちは理解できる。理不尽な権力者や妨害するイケズな人間に対して、リスクを省みずただ闇雲に立ち向かうのは個人としては得策ではないかもしれない。中途半端な勇気は昔から「匹夫の勇」であり無謀なものだとされる。

 もともと農耕民族でおとなしく従順で特に権力者に歯向かう事は良しとしない国民性だ。何事もことを穏便に済ませることが美徳の日本人であった。

 しかし、いつまでもこのままでいいのだろうか?そろそろ、それも卒業しなければならない時がきたのではないか?

 『見ざる聞かざる』も、一個人の立場では理解できても、もし社会の全員が同様の対応を取ったとしたら、どうなるだろうか?改革など行えるものではない。

 年金制度の崩壊がいい例だ。社会保険庁の役人が我々のお金を無駄使いし、まじめに仕事もせず大切な記録を宙に浮かせてしまった。挙句に真面目にせっせとお金を払った人間に、自分たちの落ち度を棚に上げて30年前の領収書を持って来い、さもないと金は払わないぞと高圧的に脅しをかける。それでも「見ざる聞かざる」。

 政治家がどんなに金に汚く不正を働き私腹を肥やしても「見ざる聞かざる」。会社の上司が如何に理不尽なことを行おうとも、後で報復が怖いから「見ざる聞かざる」。などなど。

 改革を行ううえで上で一番困るのはこの精神風土だ。かつて本当にあった話である。大変優秀で頭の切れる、また器量も大きな人物がいた。しかし、自ら先頭に立とうとしない。

 飲み屋に行くと、切々と経営課題について舌鋒鋭く分析し、今こそ立ち上がるべきだと論じていながら、最後になると自分は関係ないと逃げてしまう。

 その時彼が言った言葉が「見ざる聞かざる言わざるが一番ですよ。言えば周りから叩かれ潰されるだけですからね。私にも家庭がありますから。」の一言だった。

 本来ならば『見ざる聞かざる言わざる』ではなく、真実を「見つめ」、人々の声に広く「耳を傾け」、本質を見抜いて時を得て「発言し」、お客様や相手の立場で深く「思い」、最後にもう一つ付け加えるならば、勇気を持って断固「行う」というのが本来のあるべき姿ではないだろうか?

 今の日本にとって本当の改革は我々の精神構造の改革こそ、その根っこにあるのだ。

(※2007年6月10日本ブログの記事を転載)

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2007年10月14日 (日)

【経営】松下幸之助告別式秘蔵VTR公開

先日書棚を整理していたら、私の師匠である故松下幸之助さんの告別式のVTRが出てきたので編集してみた。

当時の松下電器の全役員だけでなく、すでにお亡くなりになった方々も沢山おみえになるが、当時(1989年4月27日が命日)の政財界など有名な方々、重鎮が多数映った、各界のまるで紅白歌合戦のような大変貴重なVTRなので、皆さんも一度ご覧になられたらいかがだろうか?

ちなみに松下幸之助さんの戒名は『光雲院釈真幸』です。

そらの上から皆さんの真の幸福を願う『幸せ』の『助っ人』で幸之助という名前なのかもしれません。

昨年、早いもので17回忌も終わりましたが、いつまでも天国で安らかにお眠りください。

《故松下幸之助告別式秘蔵VTR(約30分)》


 なお下記にはこの改革支援サイト(『改革理論』のコーナー)で掲載している松下幸之助に関する関連講義です。こちらも合わせてご覧ください。

秋の夜長、『経営の神様』とうたわれた稀代の名経営者の考えにふれてみるのもいいかも。

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【松下幸之助関連講演・講義】

(1)松下幸之助改革思想(音声 約1時間30分)

(2)松下政経塾で学んだもの(音声 約50分)

(3)松下幸之助経営の秘密(テキスト)

(4)事業部制と松下幸之助経営理念(テキスト)

※『改革支援サイト』(改革理論のコーナーより)

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2007年10月12日 (金)

【名言】教えることの難しさ〜「卒啄同時」

 経営コンサルタントの仕事を始めてお蔭さまで満20年を迎える。

 20年もやっているとそれこそ色々なクライアント(コンサルティングのお客様のこと)に出会うものである。

その中には(口には絶対に出さないが)、当然こちらと波長の合う方もいれば、ちょっとこの人は合わないなというひともいる。

しかし、こちらも仕事である以上、極力相手の立場にたって相手のニーズや相手の気持ちに合わせるよう最善を尽くしている。


私は長年の経験からお客さんには実に様々な方がおられるので、どこに照準をしぼっていいのかわからない場合が時々ある。


例えば200人、300人以上の一般の人たちばかり集めた講演などがそうだ。若い人からお年寄り、家庭の主婦から経営者まで実に幅広い層があり、なかなか始めは焦点が絞りずらい。

こういう時は、なるべく一般の話をしながら、うけがいいテーマかどうかなど、相手の反応を見ながら修正していくしかない。

もうひとつ困るのが初対面かまたは一、二度会った程度でよく相手のことを知らないケースである。

この場合は、会社の概要や相手の役職、技術系か営業系か事務系かなどの仕事内容からある程度過去の経験に基づき想定して当たるしかない。

但しそれでも分からないので、相手のことがよく掴めるまでは、あまり策を労することなく、ただ自然体で素直にひたすら相手のためになることを思って聞いたり、話したりしている。

ところがどんなに努力をしても、こちらの期待に反した結果になることがある。

先日もこんなことがあった。一日に二件のお客さんとお話したのだが、その反応が全く正反対の結果となったのである。

こちらはいつものように素直な心で普通に接しているつもりなのだが、始めのお客さんは『短時間でこちらの悩みをよく理解してくれてズバリ指摘して頂いて本当に有り難かった』と涙を流さんばかりに感動していただいた。

しかしこの後のお客さんからは『言い方が厳しすぎる。もっとヤンワリと言ってもらわないと聞く気になれない』と反応が正反対なのである。

勿論、そこは20年もこの仕事をやっているので、厳しい指摘をするときは十分言葉を選び、慎重に、しかも悪いことばかり指摘されれば人間いい気はしないので、悪いことは1、良いこと2ぐらいの割合で必ず相手の長所を見つけて一緒に指摘するようにしている。

そうでないと自分がもし逆の立場になったら相手の言うことが素直に心に入って来ないからだ。今回特集で取り上げている『メタボ克服奮闘記』でもそうである。

過去何度も医者通いして、同じような指摘を繰り返し受けてきたが、不思議と同じことを言われても、この人のいうことは聞けるが、この人のいうことは聞けないなぁということを身を持って感じていたからである。

私の場合、素直に話が聞ける先生というのは不思議に決まって同じようなタイプの先生で、まず言葉は厳しいが相手に対し思いやりと愛情を感じること。

さらにキチンと筋道をたてて説明し相手が素人だからと馬鹿にして子供扱いしたり、見下して話さないこと。さらに嘘を言ったり誤魔化したりしないこと。

特に最後の点はこちらが真剣になればなるほど大切な点で少々厳しく言われても、そのことで少しでも体がよくなるならば、逆に厳しい指摘の方が有り難いものである。

要は指摘の仕方が厳しいか厳しくないかが問題なのではなく、話を聞くこちらがわの気持ちの問題なのだ。

確かにかつての私は『指摘されなくても俺はちゃんとやっているのだ。お前なんかに言われなくたって自分の体は自分で一番よく知っているんだ。医者はただ黙って診察し薬だけ出してりゃいいんだ。一体誰が金払っていると思ってるんだ。このやぶ医者め』と、今だから言えることだが、正直思っていた。

しかし、お恥ずかしい話、こちらがそういう心理状態の時はおそらくどんな名医でも私の治療は難しかったようにおもう。何よりも体の前に心が病んでいて一切のものを受け入れようとしないからだ。自分にとって耳障りの良いことは聞いてもそれ以外のことは拒絶する。これではどんな名医でも歯がたたない。

こうしたことをつらつら考えているとズバリこのことを現した言葉を思い出した。

それは下に詳しく説明した卒啄同時 (そったくどうじ)と言う言葉である。

もともとは曹洞宗の開祖、道元の言葉であり、親と子供、あるいは弟子と師匠、あるいは夫婦や兄弟、上司と部下、あるいは商売における売り手と買い手というように両者の気持ちと呼吸がピッタリと一致しないと、上手くことが運ばないものや関係に対する深い教えである。

私も今回改めて自省したが皆さんも一度素直に自らの棚卸しをしてみてはいかがだろうか?

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【卒啄同時 (そったくどうじ)】(故事成語辞典より)

 卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、内側からヒナが殻をつつくのを「そつ」、外から親鳥がつつくのを「啄」という。このタイミングが合わないとヒナは死んでしまう。この自然の不思議さを表現した言葉が「卒啄同時」である。「卒啄の迅機」ともいう。禅の世界では、師匠と弟子の間で佛法を相続、伝授するときに使われる大切な言葉である。師匠から弟子へと伝えられている佛法を、コップの水に例え、「一器の水を一器のうつわに移すがごとく」と表現している。弟子の器が小さ過ぎると水(佛法)はこぼれてしまう。器が大き過ぎると物足りないものである。絶妙のタイミングが要求される。師匠の悟りの力量と弟子の悟りの力量が、同等でなければならないのである。ヒナに力がないとき、親鳥が啄(つつ)けばヒナは死んでしまうのである。反対に親鳥に啄く力がないときも、ヒナは死んでしまうのである。ここで問題となることは、タイミングを間違えるとどちらの場合も、ヒナが死んでしまうということである。弟子の立場からいえばたまったものではない
。しかし、どう理屈を並べようが、どうしようもない立場なのである。師匠は師匠であり、弟子は弟子である。この立場が混乱してしまい次のような逸話も生まれてくるのである。ある修行僧は師匠のもとへ押しかけ「悟りの機が熟しました。どうか、啄いて、殻を破ってください」と言った。師匠は「啄いても良いが、命は大丈夫か」と問うと、生意気にも「弟子の私が悟らなければ、師匠のあなたが物笑いになりましょう」と答えた。師匠は途端に「未熟もの」と一喝した。この一喝が師匠の「啄」であったのである。師匠の一喝は、慈悲心の表れである。


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2007年10月10日 (水)

【物語】神様を微笑ませるための秘密の法則

 昔どこかで聞いたお話で今でも脳裏に焼き付いて離れないお話をご紹介しましょう。『神様を微笑ませるための法則』というお話です。

昔、アジアからヨーロッパまで世界中をまたにかけて行商を行っていた代々続くアラブの大商人の一族があったそうです。

その家では、代々子供が成長し、この子が跡取りだと決まると周辺の部族も呼んで大々的に跡目披露の儀式を行ったそうです。

その時、前の晩にその跡取りとして一族を束ねていく男の子の信念を試すため、真夜中の12時きっかりに、秘密の儀式が行われました。

それは一族の長の他にはごく一部の血の繋がりの濃い親しいものにしか公開されません。

実はその一族が他の部族に襲撃され、滅びたためその秘密が外部にも洩れ、今日我々が知ることになりました。

そしてそれは燃えたぎった火の中で熱せられた刀で性器の一部を切り取る割礼と呼ばれるものと、この『神様を微笑ませるための法則』という代々この部族の長にしか知らされない、秘伝中の秘伝の伝授だったそうです。

全部で七つの秘伝がありましたが火事で燃えてしまい、辛うじてひとつだけ、残ったのが次の言葉だったそうです。

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『神様を微笑ませる
   ための法則』

ある人が「俺ははもう限界だ、もうこれ以上無理だ」と感じたときに、残りの力を振り絞って半歩だけ前に足を出した人間にだけ神様は微笑み無限の幸せと喜びを与える

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『天は自ら助けくるものを助ける』(天は自分自身で努力するものに手助けする)と同じような言葉だが、少し違うのは「半歩だけ」という表現だ。

こちらの表現の方がより定量的だ。それに精魂尽き果てて残りの気力を振り絞って出した最後の一歩ならぬ半歩というギリギリのところが伝わってくる。

神は厳正に我々の努力の大きさを試しているのだろう。大変興味深い物語だった。


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2007年10月 8日 (月)

【人生】『鼻歌交じりの命がけ』

 仕事柄、色々な会社の経営者の方とお話しすることが多い。特に最近このブログをはじめてから、『宇佐美さん、ブログ見てますよ。』と声を掛けられることが増えて少々戸惑いと照れ臭さを感じることがある。

つい先日もある講演の講師を頼まれて出向いていった時のことだ。講演終えて一息ついていると、ある中小企業の経営者だと名乗る方が私に話しかけてきてこんなことをおっしゃるのだ。

 『宇佐美さんのホームページの中の「鼻歌交じりの命がけ」、あれいい詞ですね。本当、あれで人生開き直れました。助かりましたよ。妻からも子供からもお父さん、明るくなったって言われます。宇佐美さん、本当に有り難うございました。』と。

その時私は「そういえば昔書いた詞をサイトにのせていたな」ぐらいしか思っていなかったので、正直「こらゃ、またマズイこと書いたかな?」と思って載せてある文章を確認してみた。
この詞は、今皆さんがご覧になっている画面上のメニューの中から『大仏君の素顔』を選んでいただき、さらにその中のエッセイのコーナーに載せてある。

http://www.newport.jp/jp/WhatDaibutsu/index.html

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『鼻歌交じりの命がけ』

                              作:宇佐美泰一郎

       なあ、若者よ。
                  人生はつらい。
       でも楽しい。
                   そこが微妙なあやなのだ。

       人生は有限だ。
                必ず誰もが死ぬ。
        しかしそれを嘆いても仕方ない。

       でも私は考える。

       同じ死ぬなら
            胸を張り
                  正々堂々と
                       心の底からこう叫びたい!

      「私ほど
            幸せに満足して
                     生きた人間はいない」と。

       好きな仕事をし
                     好きな人たちに感謝され

       そして裕福とは
             言えないが
                     普通に生活もさせてもらった。

        これが人生最大の
              喜びといわずして
        なにが喜びと
                     いえるだろうか?

         テレビでは評論家が言う。
              「政府が悪い。誰々がわるいと。」

         じゃー聞こう。
                評論家のいうことを聞いて
         本当に日本は
                     変わったのだろうか?
         本当に世界は
                     変わったのだろうか?

         そろそろめざめろよ。皆!
                そして自分のために生きようよ。

    楽しい人生生きようよ。

    上司の顔色
       うかがってどうなるものでもあるまい!?

    どんなに顔色うかがっても
            首切られるときは首なんだ。

    たった一つの命だろ。
         たった一つの人生だろ。

    逃げてどうする?
         避けてどうする?

    幸せになろうよ。

    自分の命だろう?
          自分の人生だろう?

    さあ、やろうよ。

    涙はお葬式のために
          とって置こう。

    笑顔でいこうよ。

     「鼻歌交じりの命がけ」

             「鼻歌交じりの命がけ」

    さあ、皆で唄おうよ。

    君の命が見える。
           君の血潮を感じる。

    逃げるんじゃない。
          逃げてどれほどの価値があるというのだ?

    戦えよ。
      生きるんだろ?

    だったら出来るよ。
          絶対に。

    だって人間だろ?

    やれば出来るさ!?
          自信を持とう。

    さあやってみようよ!

    この長い道程のため。
          この長い道程のため。

    期待してるよ。

    さぁがんばろう!

 (※発表当時のものに一部加筆修正しました。)

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 正直、書いていた自分自身若いときの文章で多少赤面させられる。
ゴツゴツしてあらけずりで。確か落ち込んだ後輩を励ますため勢いだけで書いたものだったと思うが、やたらこの文章がいいという友人がいたのでサイトにのせた経緯がある。

 今私の目の前にいる経営者の方はこの詩に大層感動して下さり家族が幸せになったとまでおっしゃっている。何か思いもかけぬところでお役に立てたと言った感じだ。

私もこの詞のどこをどう感動し何が変わったのか?どうして幸せになれたのか興味があったので、その方の話しにしばらく注意深く耳を傾けたのだった。

すると彼はこのように話すのだった。

『宇佐美さん、私はこの詞を読むまでは何事にも一生懸命、真面目に取り組むことが一番大事だと思っていました。ですから、くる日もくる日も朝早くから夜遅くまで必死に黙々と働いていたのです。

お蔭でそれまでは裕福とはいわないまでも家族全員幸せに暮らしていました。

ところが長年取引のあった得意先から、突然一方的に取引を打ちきられ途方にくれていた時にこの詩に巡りあったのです。』

とここまで話を聞いて、ちょっと普通の話じゃないなと思いもう少し乗り出して聞いてみることにした。

この経営者は話を続けた。
『今まで私は真面目すぎたんです。真面目に働くことで必ず結果はついてくるとしんじていました。

しかし今回の理不尽な一件で思ったんです。どんなに真面目に努力しても、人生不運なことは起こるのだ。それは紛れもない事実なのだと。

そんな時に宇佐美先生の講演の中で「人間志の軸が定まると生きることのすべてが自らの仕事となる」という言葉を思いだし、そして偶然この詞を見つけ感激したのです。』

その経営者のそこからの発想の転換、意識改革は見事だった。以下はその核心が続く。

『生きることの全てが仕事。ただそのなかに生きる糧を得る部分のパートがあるというだけのこと。
 そうか人生って楽しんでいいんだ。鼻歌うたってもいいんだ。それで誰からも怒られないんだ。

 そう考えると肩の力が一気に抜け自然体になれた。無駄なことは一切考えることがなくなり、目の前の霧が晴れ渡る感じになった。

 だから、得意先でプレゼンしたり商談したりするのも、飲み屋の女の子に失恋するのも、パチンコでするのも、二日酔いでゲロ吐くのも汚い話だがウンコするのも皆同じ仕事と考えたらいい。

仕事だから真剣で命懸けにもなるが、どうでもいいといったらどうでもいいこと。

だって一々結果を追求しても、今回の一件のように結局なるようにしかならないんだ。

結果が良くても悪くても気にしたってしょうがない。
それに結果に固執しようがしまいが、期待しようがしまいが、また不安に思おうがおもうまいが、要はなるようになるだけだし、私たちが出来ることと言えば、ただやるべきこと、為すべきことを為すことだけだから。

ならばあれこれ考えるくらいなら、楽しくやった方が面白いし、第一楽しい。またどんな苦労も苦労でなくなる。

こう考えると見た目には真剣に努力しているようにみえても、やっている本人に取ってみれば、子供が目新しいパソコンのゲームを買ってもらってやっているのと同じ感覚。

気楽にそれこそ鼻歌交じりでやってみる。そうするとやること為すこと楽しくなってくる。

そしてなによりストレスなどないし、一番良いのは健康にいい。

そしてぐっすり眠れる。
そして妻が私の寝顔を見ていて、朝起きたら言うんです。

『あなたの寝顔は子供のように純真で穏やかで幸せそのものの平和な顔だ』と。
妻のその言葉が私にとって一番いいことでした。と。』

この経営者の話を聞いて、なるほど人生は奥が深く、同じひとつの出来事でも表から見るのと、裏から見るのでは全く見えるものが違うのだと改めて意識改革の重要性を痛感する一日だった。

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2007年10月 5日 (金)

【音楽】ダイブツ君の絵描き歌

 皆さん。実は私には小学校四年生になる『有沙(ありさ)ちゃん』という、かわいい姪っこがいます。

(写真は幼稚園の頃家族でオーストラリアに旅行した有沙ちゃん)

【写真】有里紗ちゃん ≪水着姿の有沙ちゃん≫p>

今はお父さん(私の弟)の仕事の関係で中国の上海にいます。

毎日、元気にお友達と遊んでいますが、ひとつ気がかりなのは大気汚染です。

向こうは光化学スモックなど大気汚染がひどく日本からいった人たちも大変困っています。

実は私の弟もスモッグにやられ、アトピー性皮膚炎になってしまいました。

【写真】有里紗ちゃん ≪家族と一緒の有沙ちゃん。「早く元気になってねパパ!」≫

大好きな有沙ちゃんがそんな公害に負けないように彼女の好きなマンガの絵をアレンジして作ったのがこの絵描き歌です。

まだほんの小さな頃から有沙ちゃんはよく私たち大人の似顔絵を書いて楽しませてくれました。

彼女は『ダイブツ君』が大のお気に入りで、私にはかわいい声で「だいぶちゅくん」と言っては大きな声で大笑いして、はしゃいでいました。

【写真】有里紗ちゃん ≪カンガルーと一緒の有沙ちゃん≫p>

そんな彼女もいまでは小学校四年生。最近残念ながらなかなか会えませんが、いつまでもこどもの頃の純粋な気持ちを忘れないためにも、海の向こうの有沙ちゃんに送ります。

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Photo

ダイブツ君の絵描き歌 【VTR解説】《PCで見てね。↓↓↓》
http://www.dainichi.newport.co.jp/blog/Ekakiuta.wvx

 みなさん、今度新しくダイブツ君の絵描き歌が出来ました。
 みなさんもお友達と一緒に元気に歌ってください。

※オレたちひょうきん族で大ヒットした山田邦子さんの「邦ちゃんの絵描き歌」のメロディーで歌ってください。


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【ダイブツ君の絵描き歌】

 作詞=ダイブツ君
 作曲=ポーランド民謡
 絵 =ダイブツ君

(掛け声)さぁ、みんなでダイブツ君を書いてみよう。歌にあわせて書いたら簡単だよ。それじゃいくよ!

【ダイブツ君の絵描き歌】

(1)(ぐるぐると輪を書きながら)
 ラーメン毎日食べました


追加3

(2)(二つ点を書いて)
 お目々が二つ出来ました

【ダイブツ君の絵描き歌】

(3)(蝶々の羽根を書きながら)
 ちょうちょが

【ダイブツ君の絵描き歌】

(4)(クルクル飛んでくる線を描きながら)
 ヒラヒラ飛んできて

【ダイブツ君の絵描き歌】

(5)(オデコの真ん中に大きな点を書いて)
 ホクロをつければダイブツ君

追加2

(6)(最後にあごを書いて) あっというまにダイブツ君


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 どうでしたか?みなさんも毎日元気に歌ってくださいね!じゃまた。

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2007年10月 4日 (木)

【世界】日本っていい国じゃないか!!

  ついに世界一の長寿が日本人の男女になった。男性は宮崎県に住む111歳の田鍋友時さん、女性は福岡県福智町に住む114歳の皆川ヨ子さん。ともに九州の人である。

【時事】日本はいい国じゃないか

 田鍋さんは1985(明治28)年9月18日生まれ。さる6月16日、男性の世界一の長寿としてギネスブックに認定された。テレビで見たが、まあ元気元気。スーツを着てシャキッとして年には見えない。長寿の秘けつは「お酒を飲まないこと」という。なるほど!なるほと。(写真:宮崎新聞より)

 日本人の平均寿命は男性78.53歳、女性85.49歳だ。(平成18年7月厚生労働省発表)。女性は21年連続世界一。男性は世界第4位という文句なしの長寿大国だ。

 これにはいくつもの理由が考えられる。医療技術の進歩やガンなど予防医学の普及。栄養状態の改善、冷暖房など住環境の改善、週休二日の普及。

 オートメーションや家電製品のなどの発達による過酷な肉体労働からの解放など労働環境の改善などなど。

 世界一の男女の二人がともに九州の人なので、豊かな自然や温暖な気候、のんびりした生活リズムなど地域性も影響しているかも知れない。

 またヘルシーな日本食。単一民族・単一国家の島国で、過度の競争も少なく、秩序と安定が保たれた社会の風土や国民性。

 さらに戦争や飢えもない平和で豊かな国だという点も忘れてなるまい。

 昭和30年には男性63.6歳、女性67.8歳だったわけだから、この50年くらいの間で、驚くほどの大変な進化だ。

 いずれにせよ、人類が地球上に生まれてから、『元気で長生きする』のは、人間なら誰もが望むことである。その意味では日本は世界に誇るべき国であり、胸をはっていいだろう。

 確かに今の日本の問題をあげれば切りがない。毎日毎日マスコミで騒がれるニュースを見ていればそういう気持ちになってくる。

 しかしあまりに細かいことに気を取られ、重箱の隅をつついてばかりいて、客観的で冷静な見方を忘れてはいないか?

 世界にはテレビでニュースを見たくても電気すらこない国がある。テレビなど見たことない人たちも無数にいる。

 今の日本人を例えるならば、毎日ステーキを食べているお金持ちが、『今日のソースの味は気に入らないわ』といったり、皿のデザインにケチをつけているようにすら思える。

 世界の現実から客観的に今の日本を見たら、間違いなく素晴らしい幸せな国なのだ。

 だからこそ改めて深く感謝をすべきだろう。こうした国を築いてきた、日本と日本人に誇りを持つべきだろう。

 その上で慢る事無く、謙虚にさらなる進歩を目指すのが大切なことだ。

 世界一の長寿国とは、『日本っていい国じゃないか!』ということを、改めて定量的に数字で明らかにしたものだと強く思う。

(この記事はさる2007年6月19日に本ブログに掛かれたものです)

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2007年10月 3日 (水)

【世界】堀本崇君の『最後の言葉

 皆さん〜ある青年へのメール〜」『日本刀の鍛練』の中の堀本崇君の記事読んでいただけましたか?

さて今日は実は堀本君の生前の最後の言葉をご紹介したいと思います。

ご紹介したように彼は国際貢献活動に文字通り体当たりで活動してきました。

おそらくそこには誰にも言えない苦労がたくさんあったろうと思います。

本日ご紹介するのは堀本崇君の『最後の言葉』です。ここには日本人として体当たりで国際貢献に取り組んできた彼にしか見えなかった奥底があります。

それから私たち日本人のこれからの国際貢献のあり方を考える大きなヒントが隠されていると思います。

文章は仕事柄経営相談を受けたときの記録を見ながら忠実に再現しました。

本来、私どもの仕事は守秘義務がありますのでお客様の相談内容を公開することは一切いたしませんが、今回は特別に相手がすでにお亡くなりになった方ということでお許しいただきたいと思います。

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堀本崇君の『最後の言葉』

『先輩この仕事、蟻地獄と同じですよ。色々と事業しますよね。それでうまくいったとします。それでもっとやって上げたいとまた事業を大きくします。また喜んでもらえる。これだけなら、本当にいいことづくめですが、資金をみたら、どんどんと苦しくなってくる。

これでも必死になって支援者を集めたつもりです。多分僕が集められる限界まできています。それに今の支援者の人も感謝で頭が下がるくらいにすでに出してもらっていて、もうこれ以上頼めない。

しかし事業は止めるにやめられない。だから先輩、職業訓練の学校を始めたのです。ただこれが時間がかかる。彼らが自活出来るところまでと考えると正直頭が痛い。

例えばねパソコン教室あるでしょ。あれってね。端末などは割に集められるんですよ。でも先生がいない。しかたないから彼らの中で教えられる人を一人作ったとしますね。しかし、そこで終わってしまう。

なぜかわかります?ねぇ先輩?今度はテキストがないんです。英語のテキストならいくらでもある。でも彼らに分かりやすくとなると、翻訳しなくちゃならな
い。でも辞書すらまともにない。

それに僕らの力ではまともに教科書なんか出来ない。専門家じゃないから。

だから日本政府もお金だけ出すんじゃなく、そういうところで手助けしてほしい。心の底からそう思いますよね。

ですからね、今の状態がある意味限界なんですよね。寄付だけに頼ったやり方では。

もうなんらかのお金もうけを考えないと。ツアーガイドでも何でもすぐに儲かるいい仕事ないですかね?今すぐやりますよ。あれば。そこまで大変なんです。

勲章なんてどうでもいいですよ。そんなためにやっているんじゃないから。勲章が売れるなら売りたいですよ。

今思うと最初の寄付集めは大変でした。実績も何もない。ゼロからでしたから。
でも今この苦労に比べたらなんのことはない。そんなの所詮一回こっきりの話でしょ。

問題は事業をどう継続するか?これにつきるんです。
何かいい仕事ないですか?先輩!』

(大阪の私の事務所にて)

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これが彼の最後の相談内容でした。これをカッコヨク書くと前回のブログのようになります。僕もそう思いますね。堀本君のようにとことん根っこまで掘っていくとここらが核心だと思う。

そのために何が出来るのかこれが本当の宿題であり、彼の志を真に受け継ぐことになる。
単に一団体や組織・個人がどうのというよりも、日本政府も含めて、国際貢献と本当に言うなら、日本人みんなで考えるべき宿題でしょう。

 例えば、あちらで使うテキストなど古着を送るより数千倍役に立つって堀本君は語っていました。!

何か私たちの身近でできそうなことがイメージできないでしょうか?皆さん。

 彼の後を継ぐという本当の厳しさと意味を知ること。そしてそれは私たちのみんなの役割なのだということ。最後にそれは私たちでも出来そうなことだということ。

そのことを堀本崇君は私たちにその遺志として残したかったのだと思います。

秋の夜長いつもの日常から離れ、何かできそうなことを考えてみるのもいいのじゃないでしょうか?肩の力を抜いて自然体にね。


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2007年10月 1日 (月)

【世界】〜ある青年へのメール〜『日本刀の鍛練』

 すこしづつ秋めいてまいりました。皆さんいかがお過ごしですか?さて『メタボ克服奮闘記』の合間にショートブレイクということで、少し違ったお話をしましょう。


先日知り合いのある方からの紹介でカンボジアへの国際協力の団体の活動をやっているという青年から突然一通のEメールをもらいました。


聞けば彼は私と同じ早稲田大学の後輩であり、また昨年若くして亡くなった松下政経塾の後輩の堀本崇君の活動を見て感激し、その遺志を受け継きたいとの思いから活動をはじめたそうです。 


この青年からの文面はその堀本君の遺志を受け継ぎ活動を始めたがどうにも活動が厳しく資金を含め協力して欲しいとのことでした。

話は相前後しますが、想えばこの堀本崇君という男がすごい人物でした。まさに心の底から尊敬できる人物です。

少し長くなりますが堀本君の思出話を最初にご紹介することにしましょう。


彼は政経塾の13期生でわたしより8年後輩です。上級生が塾の外で活動することが多い中で、彼は長い間塾に寝泊まりし活動していましたので、後輩から慕われちょっとうるさがられる『鬼軍曹』(笑)のような存在でした。

その後彼はカンボジアへの支援活動に若き情熱を一心に注ぎ込み、目の前の苦しんでいるカンボジアの人たち一人一人を救うため地道なことを一つ一つ積み重ねていく活動を続けました。

彼はその功績を認められカンボジア政府から直接二度も立派な勲章をうけていました。(その後彼の生前の業績を称える意味で、死後三度目の勲章をもらっています。)

しかし彼はそんなことはお首にも出さずただ黙って黙々と目の前のことを実行していくだけです。

偉ぶるでもなく他人に誇らしげに自慢するでもなく、一心不乱に突き進んでいった男でした。


こうした彼の人柄のせいか地元の人からも大変愛され親しまれていました。


彼がまだ本格的な活動を始める前、こんなことがありました。かつてカンボジアでPKOが行われるときだったと思います。彼は国連の監視団にボランティアでカンボジアに行きたいと言い出しました。

当時の塾の責任者を始め親しい友人の皆がその危険を案じて止めました。それほど当時のカンボジアは危険だったのです。

しかし彼は頑として周囲の説得に応じませんでした。『そこに私の為すべきことがあるのだ』と結局まわりの反対を押しきって命がけでカンボジアに行きました。

そんな強気な彼も本当は弱い人間なんだと感じさせることがありました。

一度大阪の私の事務所に遊びに来てくれた時のことです。

このころになると最初の勲章ももらい活動も軌道にのり毎月立派な報告書を多くの支援者に送るまでになり誰の目にも成功と思われたときでした。

ところがその彼が親しい先輩の前で気の緩みからか今までに見せたことのない弱気な一面をみせました。

「先輩実は悩みがあるんです。」とこう切り出しました。

聞けば順調に資金も集まりだし、色々な事業も軌道にのり、傍目にはうまくいっているが、それが長続きしない。つまり地元の人が真に力をつけ自立しないと次から次へとお金がいる。

つまり継続するための資金が決定的に不足するとのことでした。

私は仕事柄すぐに決算書を見せてもらいました。すぐにそれが綱渡りの自転車操業だと分かりました。

さらに驚いたことに彼個人のお金は全部注ぎ込み、一切なにもない裸の状態です。

生活費もギリギリまで詰めて余裕すらないのです。

「堀本君、これじゃ生活もできないだろう?」と私がたずねると彼は笑って言います。

「宇佐美先輩、そんなの大丈夫ですよ。むこうはTシャツ一枚でいいですしお腹がすけばその辺で木の実を食べていれば生きていけますよ。」とニコニコ笑いながらいうのです。

「そんなことより大事なことはね先輩、彼らカンボジアの人たちの未来なんです。今はいいかもしれませんが、もし私がいなくなったら、途端に立ち行かなくなってしまう。だから、どうしても真の自立がいるのです。」

彼の熱っぽく語る顔を見てつくづく感じました。

「この仕事は本当に厳しいのだ」ということと「自らの生活を犠牲にしてまでこの仕事に打ち込むこの男はほんものだ。」と。

世間では口先だけでお客様第一とかやれ世のため人のためという人はいくらでもいます。しかし果たしてそうした人が自分の生活や自分の命まで本当にかけているでしょうか?大抵うわべだけの場合がほとんどでしょう。

しかし今私の目の前にいる堀本君は違いました。

彼がこれで帰りますと席を立ちかけたとき私はふと何気に質問しました。

「堀本君、君結婚はどうするんだい?」

彼は一瞬悲しそうな表情を私に見せて「先輩、それが最大の問題ですよ。だれかいい人いませんかね。わたしのようなバカな貧乏人について来てくれる女性が!?」そういって二人で大笑いして別れました。

それが彼と会った最後になりました。


彼には色々なおもいでがありますが、一言でいえは、誠心誠意で体当たりという感じといえるでしょう。いつも半袖姿でエネルギッシュに突っ走り、自分の利益よりも他人の幸せの実現を強く願う。さらに理屈よりも行動を重んじ、目の前の一つ一つを積み重ねる実直そのものの男でした。


《堀本崇君プロフィール》

ところが運命とは皮肉なものです。昨年の晩秋のことでした。突然の訃報が入りました。「堀本崇君、カンボジアで事故のため死亡。」

一瞬私は我を失いましたが、その後聞くと交差点で二人のりのバイクと正面衝突し即死。一方的に相手が悪く、彼としては避けようのない事故だったそうです。

それからちょうど一年。来月、2007年11月上旬には彼の一周忌がやってきます。

すでにこのブログでご紹介しているように、すっかり痩せた私は昔の衣類を整理し古着を始末しようとしてきたとき、これはカンボジアの人たちに寄付したらきっと喜んでもらえるだろうと、ふと堀本くんのご家族に連絡をとりました。

その結果縁があって届いたのが冒頭お話しした青年からの突然のメールでした。

私はこの青年からのメールに対して、孟子の中の言葉を引用し以下のように激励のメールを送りました。

<彼への最初のメール>


カンボジアで活動を行うあなたへ


『自らを反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども我行かん』(孟子)。真に自らの良心と対話し正しいと思えばただただ突き進むのみ。貴君の健闘を祈ります。

すると彼からの返信には「はい、覚悟して頑張ります。激励有り難うございました。」とありました。

普通にメールのやり取りをするだけならそれですんだでしょう。

しかしその日の私は少し違っていました。

おそらくお盆で堀本君の霊が地上に里帰りしていたのかもしれません。

私は何かにとり憑かれたように、昔聞いた刀鍛冶の名人の話を思いだしながら、以下のメールを一気に書いていたのでした。

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<青年への二度めのメール>

カンボジアでの活動を行うあなたへ


 覚悟はするものではありません。試練を乗り越えながら順番に腹が固まっていくものです。

日本刀はもとは大変脆い金属の固まりにすぎませんでした。それが灼熱の火の中で溶かされ、出てきたと思えば今度は冷たい水の中で、キィャと絞められ身が引き締まり、さらに何度も何度も強く強く鍛冶によって、あの方向この方向からと何度も何度も叩かれる。

もういいだろうとおもったら、またもう一度。もうだめだとおもったら、またもう一度。これでうまくいったと思ったら、心におごりがあるというので、今度は最初から。

これを何度も何度もくりかえすのです。

そしてある瞬間天から沸き起こる声がふっと自然に聞こえるときが来ます。

それが天下の名刀が生まれる瞬間。そう刀鍛冶の名人は語ったそうです。

鍛練という言葉を辞書で引いてごらんなさい。その事が書かれてある。

だから発想を変えるのです。これから出会うあらゆる試練は神が自分に与えた財産なのだと。自らを鍛えるためプレゼントなのだと。そう考えれば、怒りも焦りも不安もなく難敵に立ち向かえるはずです。

だからこそピンチはチャンス。もっとも追い込まれたときこそ、自分を変え、天下の名刀を創るチャンスなのだと。

それともうひとつ。完成したという見極めは自分で判断してはいけません。また他人の判断もいけません。必ず天の神があなたを呼びに来ますから。こちらから出向かなくても、むこうから必ずやってきます。

『君はもうすでに立派な名刀ですよ。だから、いよいよ敵に向かってきりつけていいですよ。もはや切れないものはありません』と自然と聞こえてくる。

それまでは、あなたはただ黙ってもくもくと他のことは考えず、目の前のなすべきことをただ為すだけです。他ごとは一切考える必要はなし。

だからどんな人間だって本来名刀になれるのです。ところが自分の心に油断と甘えが生じると、まぁいいやと途中でやめてしまう。

また、他人から少しちやほやされると舞い上がってしまい、俺はすごいのだと錯覚し鍛練をあっさりやめてしまう。

だから大事なのはその天の声があなたにそっと自然に聞こえるようになるまで、鍛練の手を止めず、続けられるかということ。

このことを肝に銘じ、心をして歩めばもはや怖いものはありません。

孟子のこの言葉はこのことをあなたに伝えているのです。言葉は理屈で考えるのなく苦労を重ねて体でりかいするもの。

分かったら、頑張って下さい。期待しています。

では

ダイブツ 拝

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この青年がこの後どのように活動しどのように成長していくのでしょうか?おそらくそれは神様しかわからないことでしょう。

しかしこのことだけははっきりしていると思います。志半ばで若い命で死んでいった堀本君。彼のその志と情熱は間違いなく、新たな人たちに引き継がれるであろうことを。

この若き理想に燃えた青年に心からのエールを送りたいと思います。

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