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2007年10月12日 (金)

【名言】教えることの難しさ〜「卒啄同時」

 経営コンサルタントの仕事を始めてお蔭さまで満20年を迎える。

 20年もやっているとそれこそ色々なクライアント(コンサルティングのお客様のこと)に出会うものである。

その中には(口には絶対に出さないが)、当然こちらと波長の合う方もいれば、ちょっとこの人は合わないなというひともいる。

しかし、こちらも仕事である以上、極力相手の立場にたって相手のニーズや相手の気持ちに合わせるよう最善を尽くしている。


私は長年の経験からお客さんには実に様々な方がおられるので、どこに照準をしぼっていいのかわからない場合が時々ある。


例えば200人、300人以上の一般の人たちばかり集めた講演などがそうだ。若い人からお年寄り、家庭の主婦から経営者まで実に幅広い層があり、なかなか始めは焦点が絞りずらい。

こういう時は、なるべく一般の話をしながら、うけがいいテーマかどうかなど、相手の反応を見ながら修正していくしかない。

もうひとつ困るのが初対面かまたは一、二度会った程度でよく相手のことを知らないケースである。

この場合は、会社の概要や相手の役職、技術系か営業系か事務系かなどの仕事内容からある程度過去の経験に基づき想定して当たるしかない。

但しそれでも分からないので、相手のことがよく掴めるまでは、あまり策を労することなく、ただ自然体で素直にひたすら相手のためになることを思って聞いたり、話したりしている。

ところがどんなに努力をしても、こちらの期待に反した結果になることがある。

先日もこんなことがあった。一日に二件のお客さんとお話したのだが、その反応が全く正反対の結果となったのである。

こちらはいつものように素直な心で普通に接しているつもりなのだが、始めのお客さんは『短時間でこちらの悩みをよく理解してくれてズバリ指摘して頂いて本当に有り難かった』と涙を流さんばかりに感動していただいた。

しかしこの後のお客さんからは『言い方が厳しすぎる。もっとヤンワリと言ってもらわないと聞く気になれない』と反応が正反対なのである。

勿論、そこは20年もこの仕事をやっているので、厳しい指摘をするときは十分言葉を選び、慎重に、しかも悪いことばかり指摘されれば人間いい気はしないので、悪いことは1、良いこと2ぐらいの割合で必ず相手の長所を見つけて一緒に指摘するようにしている。

そうでないと自分がもし逆の立場になったら相手の言うことが素直に心に入って来ないからだ。今回特集で取り上げている『メタボ克服奮闘記』でもそうである。

過去何度も医者通いして、同じような指摘を繰り返し受けてきたが、不思議と同じことを言われても、この人のいうことは聞けるが、この人のいうことは聞けないなぁということを身を持って感じていたからである。

私の場合、素直に話が聞ける先生というのは不思議に決まって同じようなタイプの先生で、まず言葉は厳しいが相手に対し思いやりと愛情を感じること。

さらにキチンと筋道をたてて説明し相手が素人だからと馬鹿にして子供扱いしたり、見下して話さないこと。さらに嘘を言ったり誤魔化したりしないこと。

特に最後の点はこちらが真剣になればなるほど大切な点で少々厳しく言われても、そのことで少しでも体がよくなるならば、逆に厳しい指摘の方が有り難いものである。

要は指摘の仕方が厳しいか厳しくないかが問題なのではなく、話を聞くこちらがわの気持ちの問題なのだ。

確かにかつての私は『指摘されなくても俺はちゃんとやっているのだ。お前なんかに言われなくたって自分の体は自分で一番よく知っているんだ。医者はただ黙って診察し薬だけ出してりゃいいんだ。一体誰が金払っていると思ってるんだ。このやぶ医者め』と、今だから言えることだが、正直思っていた。

しかし、お恥ずかしい話、こちらがそういう心理状態の時はおそらくどんな名医でも私の治療は難しかったようにおもう。何よりも体の前に心が病んでいて一切のものを受け入れようとしないからだ。自分にとって耳障りの良いことは聞いてもそれ以外のことは拒絶する。これではどんな名医でも歯がたたない。

こうしたことをつらつら考えているとズバリこのことを現した言葉を思い出した。

それは下に詳しく説明した卒啄同時 (そったくどうじ)と言う言葉である。

もともとは曹洞宗の開祖、道元の言葉であり、親と子供、あるいは弟子と師匠、あるいは夫婦や兄弟、上司と部下、あるいは商売における売り手と買い手というように両者の気持ちと呼吸がピッタリと一致しないと、上手くことが運ばないものや関係に対する深い教えである。

私も今回改めて自省したが皆さんも一度素直に自らの棚卸しをしてみてはいかがだろうか?

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【卒啄同時 (そったくどうじ)】(故事成語辞典より)

 卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、内側からヒナが殻をつつくのを「そつ」、外から親鳥がつつくのを「啄」という。このタイミングが合わないとヒナは死んでしまう。この自然の不思議さを表現した言葉が「卒啄同時」である。「卒啄の迅機」ともいう。禅の世界では、師匠と弟子の間で佛法を相続、伝授するときに使われる大切な言葉である。師匠から弟子へと伝えられている佛法を、コップの水に例え、「一器の水を一器のうつわに移すがごとく」と表現している。弟子の器が小さ過ぎると水(佛法)はこぼれてしまう。器が大き過ぎると物足りないものである。絶妙のタイミングが要求される。師匠の悟りの力量と弟子の悟りの力量が、同等でなければならないのである。ヒナに力がないとき、親鳥が啄(つつ)けばヒナは死んでしまうのである。反対に親鳥に啄く力がないときも、ヒナは死んでしまうのである。ここで問題となることは、タイミングを間違えるとどちらの場合も、ヒナが死んでしまうということである。弟子の立場からいえばたまったものではない
。しかし、どう理屈を並べようが、どうしようもない立場なのである。師匠は師匠であり、弟子は弟子である。この立場が混乱してしまい次のような逸話も生まれてくるのである。ある修行僧は師匠のもとへ押しかけ「悟りの機が熟しました。どうか、啄いて、殻を破ってください」と言った。師匠は「啄いても良いが、命は大丈夫か」と問うと、生意気にも「弟子の私が悟らなければ、師匠のあなたが物笑いになりましょう」と答えた。師匠は途端に「未熟もの」と一喝した。この一喝が師匠の「啄」であったのである。師匠の一喝は、慈悲心の表れである。


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