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2007年11月23日 (金)

【経営】指導者研究『落合監督』(その2)〜悲願の日本一達成

 そしていよいよ待ちに待った日本シリーズがはじまった。対戦相手は前年の2006年、1勝4敗で屈辱の敗北を味わった北海道日本ハム。

 ダルビッシュ始め武田久、マイケル中村など強力な投手陣を武器に一点を守り勝つ野球は粘り強く手強い。

 第一戦はエース川上が登板。ダルビッシュとの投手戦はダルビッシュに軍配があがる。

 第二戦以降、本来の打線の粘りを取り戻したドラゴンズは3勝1敗と大手をかけ、53ぶりの日本一に後一歩と近づいた。

 しかし落合監督を始め中日の選手の中に誰一人浮かれるものはいなかった。

 敗者復活から這い上がったクライマックス・シリーズ。一度は死んだ身。なりふり構わす全力投球してきた。

 指揮をとる落合監督も二度と同じ過ちは犯したくはなかった。それほど彼の日本一に向けてのこの四年間は苦難につぐ苦難のイバラの道でもあったのだ。

 2004年のシーズン、初めて監督として中日の指揮をとる落合監督。選手全員に10%の実力の底上げを求めトレード、解雇は一切行わず現有戦力で望んだ。結果はセ・リーグ優勝。

 しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは勝手が違った。セ・リーグペナントレースのシーズン中、大車輪の活躍で優勝に貢献した岡本投手を引っ張り過ぎて自滅。

 流れは最後までもどらず、3勝2敗と大手をかけながら逆転で優勝をのがしてしまう。この時から落合監督にとって日本シリーズ優勝へ向けてのイバラの道が始まるのである。

 ここで『日本シリーズのような短期決戦ではシーズン中と異なり勢いのある選手を使うべきだ』ということを学んだ。

 そしてディフェンディング・チャンピオンとして望んだ2005年、この年から始まったパ・リーグとの交流戦でまさかの惨敗。その年の優勝は阪神だった。

 そして捲土重来を期し、入念な交流戦への対策の上で望んだ2006年。エース川上、ベテラン山本昌、鉄壁の守護神、岩瀬ら投手陣を中心にした守り勝つ野球というドラゴンズのスタイルが確立しセ・リーグ制覇。
 ベテラン山本昌は41歳という史上最年長でのノーヒットノーランという記録を達成し最後までチームを引っ張った。

昌

 しかし、日本シリーズでは第一戦をエース川上で勝ったものの、第二戦ではその山本昌を本人がまだ行けると言うので、必要以上に投げさせ結果流れが敵陣に行ってしまい、1勝4敗と負けてしまった。

 ここでも勝機とあれば、非情に交代させることも大切だとチーム全員が学んだのであった。

 ドラゴンズにとって、また落合監督にとってそれほどまでに日本一というのは遠い遠い、心の底から恋い焦がれた困難なゴールだった。

 そして経営者としてみれば、お金を払って球場に足を運んでくれるファンであるお客様様の最大の『ニース』こそがこの日本一だったのである。

 経営者であり、指導者である落合監督はその事を誰よりも痛いほど知っていた。

 だから日本シリーズ第5戦地元ナゴヤドームでの最後の試合。自分たちの最大のお客様であるドラゴンズファンの前で日本一になること。それ以外に落合監督もチームの全員も頭の中にはなかったのだ。

落合監督胴上げ


 だから直前の8回裏まで完全試合を続けていた山井投手を変えて、ストッパー岩瀬をマウンドに送ったのだ。

 そして、ここにもう一人悲痛な気持ちでこの瞬間を迎えていた男がいた。中村紀洋である。

 彼は近鉄時代から手首と腰に持病を抱えていた。そしてドラゴンズの日本一を目指して、チームが一丸となって戦っている中で、彼は自分の体にムチをうち続けた。

 医者は『野球が出来る体ではない。直ぐに手術を』といったが一日も長くドラゴンズの一員として、また現役選手としてファンに、そして恩人落合監督に恩返しをと強く願っていた中村選手。

 そして何としても落合監督に日本一の胴上げをプレゼントしたいと願う中村紀洋は、医者の薦めも振り切り、もはや満身創痍と化した自身の体を痛め続けたのだった。

 彼のこの願いは神に通じたのか奇跡はおこった。全試合出場し、打率.444、打点3。シーズン中はチャンスに凡退が多かった彼だが、この日本シリーズでは驚異的な活躍を見せ、見事シリーズMVPに輝いた。

 試合が終わりお立ち台に登場した彼は恥ずかしそうに帽子をとり、『本当に長かった。色々なことがあった一年でした。』と、過去の苦労から落合監督に拾ってもらった数々の思い出を振り返り涙を浮かべながらこう叫んだ。

 『自分を拾って下さったドラゴンズさんに本当に感謝します。』と。

 自分のチームなのに『さん』づけはあまり考えられないが、外様の自分を温かく受け入れてくれた監督、コーチ、チームメート、ファンに対する心からの気持ちだったのだろう。


 試合後のインタビューで中村本人は『シーズン前、落合監督にお前には期待していないからな』と言われた言葉が一番心に染みたと語っている。

 それは『落合監督の独特の言い回しなのだろう。そういうことで長いブランクがある自分に過大なプレッシャーを感じさせないようにしてくれているんだ。

 それほど自分たち選手のことを気遣ってくれる監督に何としても恩返ししなければという強い気持ちが自然に湧いてきました。』と語っている。

 その後も中村紀洋はウッズの抜けたアジアシリーズでも、怪我を押して、日本の代表チームの四番打者として試合に出続け優勝に貢献した。


 落合監督は来期の中村についてインタビューにこう答えている。

 『今年は何とか野球を続けたいという気持ちと勢いの中で体力も持ったかもしれないが彼も年々歳をとるなかで、今年の秋から来年のキャンプともう一度基礎から体力を鍛え直して行けば選手としての寿命も伸びていくだろう。』と。

 王や長島のように決して野球エリートとして順風な生き方をしてこなかった苦労人、落合監督は単に目先の活躍を手放しで喜ぶことなく、選手一人一人の人生を考えて指導している。


 これが落合監督の本当の『オレ流指導方法』であり、現場の選手の一人一人が心の底から彼を慕う理由と言えるのだろう。 


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