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2007年7月1日 - 2007年7月7日

2007年7月 6日 (金)

【流行】新・不易流行学〜現代を救う新たな処方箋〜

 さて本日は流行についてもう一歩深堀をしてその本質に迫りたい。

 松尾芭蕉が俳諧の用語として使った言葉『不易流行』という言葉がある。『奥の細道』の旅の中で羽黒山で僧侶と会ったのをきっかけに体得したといわれる概念だ。

 その大本は荘子の思想や易の三義と呼ばれるものがベースにあったが、芭蕉なりに禅の発想で解釈を深めたものだ。

 芭蕉はご存じのように、それまでの五・七・五・七・七の短歌を代表とする和歌の世界に対し、もともと庶民が気軽に楽しんでいた、五・七・五の『俳句』を芸術の域にまで高めた俳聖と呼ばれるひとだ。

 言ってみれば既成の世界に殴り込みをかけ、新しい世界を自らの手で作り上げた革命家と呼んでもいい人だ。

 最近一般によく使われるようになった、この不易流行という言葉だが、革命家が使った言葉だとして理解すると面白い。

 広辞苑の解釈は「不易とは、詩的な生命の、基本的に永遠性を有する本体である」とあり、「流行とは、詩における流転の相で、その時々の新風の体である」とある。

 さらに、この不易と流行の二体は、「共に風雅の域から出るものであるから、根本においては一に帰すべきものであるという」とある。(ここでいう風雅とは俳句の世界を指している。)

 はっきり言ってなんのことか分からないだろう。芭蕉が言いたかったことの具体的な事例を示そう。

 ある人が作った俳句に対する芭蕉の評価である。

小松生ひ
 なでしこ咲る
   いわほかな
     (守武 作)

<巌には小さな松がはえているのみか、撫子までも咲いている。その風情のよさ>(解釈―復本一郎氏)

この句を芭蕉は高く評価している。景色だけを表現したものはもう古い。本来生物など生えるはずもない岩に松が生えている。そればかりか艶やかな撫子までが咲くという生命力のすごさであり、自然の美しさの奥の深いことだ。

 無骨な巖と松という男性的な荒々しさに『大和撫子』と例えられるの撫子の女性らしいコントラスト。しかも常識では考えられない場所に咲いている自然の驚異の生命力。

 芭蕉は景色を詠むという形式だけではない、そこに本質を見い出したわけである。しかし、一方で和歌ではなかった新しい形にもこだわっているのだ。

 芭蕉はこう解説してくれる。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であると。

 俳句は五七五という形だけでなく和歌の世界でタブーだったこともドラスティックに変えてしまった。特に短い文章の中で庶民でも分かりやすい力強い言葉で、シンプルで且つストレートな表現という、和歌とは違う形の変化を次々と追っていった。

 しかし一方で形に囚われないことで、従来の和歌では表現できなかった自然美や躍動感をよりリアルに
如実に表現することが出来た。

 きっと芭蕉はこう言いたかったに違いない。『だから不易も流行も元は一つなんだ。いかに本質を表現できるか、いかに伝える力を持つかが大事なんだ。古くからの形に囚われる奴がおかしいんだ。

 形に囚われるな。本質にこだわるんだ。本質にこだわり続ける限り、常に一番いい形を追求し続けろ。変えること、変わることは決して軽薄なことじゃない。

 形に囚われるやつほど形骸化して、進歩が止まり命がよどんでくる。それこそ魂の怠慢だ。

 変えろ、変えろ、変え続けろ。君に本質を追い続ける勇気と執念があるなら、改革をためらっちゃならない。』と。

 ここからは私の想像だが、おそらく彼は非常にピュアな人だったに違いない。周囲の人の目や上辺の評価を云々するような生き方を拒絶し、天を向き天に気に入られる本質を追求し続けた。だから形を変えることを躊躇せず、形に囚われることを由しとしなかったのだ。

 (ここからが肝心なところだが)ではひるがえって現代の流行はどうだろう。新しいことばかりを追い求め、周りの目を気にし、結果としての数字ばかりに終始した。

 結果は芭蕉がもっとも嫌った、形の新しさという上辺ばかり追い、本質や実態・実物・実体験を忘れた
、魂の怠慢という蟻地獄で苦しんでいるのではないか?

私はこの芭蕉の追求した真の意味での『不易流行』の言葉の奥底に現代の我々に対する処方箋があると信じる。

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2007年7月 5日 (木)

【流行】ウィンナーワルツと本物の流行とは?

今の日本に流行創出力がなくなったのではないか?それは流行を創出するメカニズムがコピー&ペースト文化とかわり、上辺の話題だけが流通するためだとのべた。

 結果として、価値のある実態を離れ記号としての流行が驚異的なハイスピードで一人歩きしだした。また流行の流通速度に人間の創造力がついていけていないのでは?とものべた。

 では究極の流行、本物の流行とはなんだろうか?何がそれを生み出す要因なのか?について今日は考えてみたい。

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 流行について考えるとき私は必ずいつも思い浮かべるものがある。それは、ウィンナー・ワルツだ。

毎年、お正月を向かえると開かれるウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。金色の格調高い優雅な会場(ウィーン楽友協会の大ホール)でヨーロッパ中の貴族が集まり、音楽に酔いしれる祭典。

 NHKが放送しているので楽しみにされている人々も多いだろう。特に2002年は小沢征爾が指揮を務め一気に親しみが増した。

 私も小学校の時にカラヤンのレコード全集を買ってもらってからのクラシック音楽のファンなので小沢征爾指揮のものはDVDを何度も聞いた。

美しき青きドナウやシャンペンポルカ、ラデッキー行進曲などヨハン・シュトラウス親子のウィンナーワルツの名曲があでやかに奏でられる。

 1939年12月31日にクレメンス・クラウスの指揮により初めて開催され70年近い歴史を持つ。2大交響楽団として、世界中の人気をベルリン・フィルと二分するこの楽団。カラヤン、メータなど名だたる指揮者が指揮をとったコンサート。

誰が考えても流行とは正反対のクラシックや権威や伝統の権化みたいな存在だ。

しかし、このいかめしいコンサートの大元のウィンナー・ワルツがこの世に初めて現れたとき、今では想像も出来ないほどの『大流行』によって登場したことをご存じだろうか?

もともとアルプスのチロル地方に古くから伝わる民族舞踊「レントラー」の一種がやがて1750年以後から宮廷音楽に入り込む。特にフランス革命後の異様な興奮の中でダンス熱が時代を狂わし、若者たちを狂わせた。

 やがてハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンとなども多くの舞曲を作曲。この流れが音楽の都ウィーンに流入。それまでの古典派音楽のメヌエットなどを凌駕した。

 1814から1815年にかけて行われた、フランス革命、ナポレオン戦争後の世界秩序を話し合うためのウィーン会議。一説によれば、ヨーロッパ各国の国王や皇帝らが一同に会したが、肝心の会議はそっちのけで、毎晩会議の合間には舞踏晩餐会が催されウィンナー・ワルツに熱狂し酔しれたそうだ。

 有名な言葉で「会議は踊る、されど進まず」。まさに文字通りでウィンナー・ワルツは踊る。しかし一向に会議は進まなかったわけだ。

それまで封建的な価値観に縛り付けられていた人々にとって、フランス革命後の自由な空気と、男女が体をひっつけて踊るウィンナー・ワルツがまさにマッチしたのだろう。心にたまっていたガスに火を付け、大爆発したのだ。

これは日本の幕末に大流行した『ええじゃないか』にそっくりだ。お伊勢詣りをするため、方々で『ええじゃないか』と歌い踊りながら、伊勢を目指すムーブメントだ。当時の大衆を熱狂させた。

 このウィンナー・ワルツと『ええじゃないか』ともに共通する点がある。ともに閉塞した時代が終わり新しい時代が始まる。それまでの型苦しさから、自由の息吹を感じとる。これは若者ならずとも世代を越えて大衆の心をわし掴みにしたわけだ。

しかし当時の伝統を重んじる石頭の老紳士たちはさぞ苦々しく思ったことだろう。『最近の若い連中は実にけしからん。男女がみだらに体をひっつけ、ワルツという伝統を無視したいかがわしい音楽に熱狂しおって。』と。

しかしそのウィンナー・ワルツがおよそ200年の時を越えて、ヨーロッパを代表するクラシックで伝統的な価値の一等になったのだ。まさに笑いが止まらないとはこのことだ。流行と言えば、これほどすごい流行もあるまい。

ではこの究極の流行を産み出したものは何か?作り手だろうか?流行の消費者である大衆だろうか?

ここで大事なものは、時代である。時代の胎動や変化が新しいものを生み出す原動力となる。時代の鼓動をとらまえないと真に流行の覇者とはなれないのだろう。

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2007年7月 4日 (水)

【流行】コピー& ペースト文化の大罪

 私はコピー&ペースト文化という全く新しい流行の創出システムが、逆に流行を生み出す力を無くしてしまったのではないか、とのべた。

 そもそも私は流行には本来二通りの意味があると思う。一つはテレビやマスコミ、ネットなどで話題となり多くの人に情報として流通すること。

 そしてもう一つは、流行するもの、それそのものに単なる話題を越えた実態としての価値があることだ。

 例えば流行するものそのものが、新規性、有用性、独創性、国際性、技術力、経済性などの価値をもつものだ。

 そして後者の、実態として価値をもったものの中から、流行が社会に浸透し、定着し、やがて文化になっていくものが現れる。ビートルズ、ジーンズ、ハンバーガー、最近では携帯電話などなどだ。

 最初世の中に出てきたときは若者を中心に熱狂的なブームを巻き起す。やがてそれが世代を越えて、時代をとらえ、広く大衆の心をとらえ、やがて文化になっていった。

 ウィキペディア(Wikipedia『流行』より)では、こう述べている。『急激に普及し、あっという間に消えてしまう流行を、ファットと呼ぶ。(例:たまごっち)いっぽうで、長期にわたり流行し、その社会に定着する流行を、ファッションと呼ぶ。』

 今日の流行とは実はファッションにもファットにすらなり得ないものが多いのではないかと感じている。

 むしろ単なるフロー(flow)であり、実態的価値がともなわないもの。情報の流通過程で、ただ消費されて終わってしまうものばかりに感じるのは私だけではあるまい。

 これはマスコミの形にも大いに関係していると言える。今の時代はインターネットだけでない。テレビも地上波だけでなく、BS、CS、CATVなどなど極めて多様化している。

 テレビの番組もニュース番組かワイドショーか分からないものが増えている。新聞もまともな日刊紙だけでなく、派手な見出しのスポーツ各紙も相変わらずタブロイド版の夕刊紙も元気だ。

 雑誌にしても極めて多様化していて本当に読む人がいるのか思わず心配してしまうくらいだ。

 ここで大事なことは彼らにとってニュースとして価値があるとかということの前にやっかいな問題が存在するという事実だ。

 すなわち彼らも商売として飯を食わねばならない。だとすれば紙面や番組に穴をあけるわけにはいかない。内容はともかく、まずは枠を埋めることが第一であり、そんな中でストレスをためながら時間に追いまくられているのだろう。

 かつては一つの話題でも情報が流通していくプロセスのリードタイムが長かった。要は時間が稼げた。この間で手を変え品を変えて、演出をこらして、間がもった。しかし、今ではそれが一瞬である。

 料理を作る料理人に例えるならば、作った端からすぐ次の料理はないのかと催促が始まるようなものだ。
 料理をする側も必死だ。材料を吟味し、集め、趣向を凝らしてどこにもないものを作りたくても、そんな時間は与えられていない。それほど人間が何か(特に名作と呼ばれるもの)を生み出すためには莫大な時間がかかる。

 しかし食べる方はどこまでもワガママだ。気が付けば、前よりも刺激の強いものをと、要求がどんどんと厳しくなる。

 大衆は常に新しい『刺激』を求めると同時に『飽き』も早い。結果として、話題やブームが作り出され瞬くままに消費されていく。今は情報の伝達スピードがあまりにも早いため、作り手はその速度についていけてない。

 問題は、流行という情報が流通し消費されていく時間が極端に短くなってしまったということだ。その速度のアップに人間の創造力のスピードがついていっていない。

 一つヒットさせても、すぐ次のヒットを要求される。休む暇もない。結果、どんどんと創造の意欲もそがれ何かを産み出そうという若い情熱も冷えてしまったとしたらどうだろうか?

 しかし、一方で視聴率だのなんのと言われれば、手っ取り早い方法がいい。いや、それしかしかたない。このことがコピー&ペースト文化を生む根深い背景だろう。

 そして結果として、消費者も、上辺だけの同じようなコピー&ペースト情報に飽きたらなくなってくる。
 そして求める刺激がエスカレートし、ブログやリーク話のような、一般には流通していないものでも、実態がともなっているものほうがリアルで面白いと感じるようになってきた。

 フランスの小説家ロマン・ロランは流行についてこう語っている。『流行はつねに前進していく。そして、精神の偽りの自由が絶えずせり上がっていく。 ほとんど誰もそれに抵抗しようとはしない。』

 ロランのいう流行はそこに作り手の情熱や伝える人間の使命感があったからこそ成り立つ話だ。

 そこに文化として定着し新たな価値を生む、時代を引っ張る原動力があるからこそ、人々はその軽薄さやいかがわしさにも寛大となり流行を受け入れたのだ。

 しかし今日、もしコピー&ペースト文化がそれを根底から変えたとしたら、我々の創造性や情熱はどのように発揮すべきなのだろうか?

 また大問題を抱えてしまったようだ。

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2007年7月 3日 (火)

【流行】流行が生まれる仕組みが変わった!

 前回は秋葉原での視察で町の活力がかつてほどなくなったという話。ベストヒットの商品番付から、何か日本は流行を生み出す力がなくなったのではないか?という話をした。

 いずれも私が感じた印象に基づいて書かせていただいたので、少し違うぞという方もおられたかもしれない。

 さて、なぜ私が『日本人の流行創造力がなくなった』と感じたのか?

 個人的な話だが、私は真面目なのか古い人間なのか、ブログに書いて皆さんにお話する以上、そこに明確な分析なり、理由がなければならないと思う。

 そこでここ数日ブログを書く手を止め、このテーマをじっくり考えた。ブログとはただ書けばいいのではない。そこに必死に考えるというプロセスが加わる。これがまた意味があるのだろう。
 
 さて正直言ってこの問いは難問だった。主観的な印象に理屈づけするのは至難だからだ。とはいえ色々考えた結論が出た。答えはこうだ。

 私の個人的な見方だが日本は今『コピー&ペースト文化』なるものに犯され、流行を創造する力がなくなったのではないかという仮説だ。

 コピー&ペースト文化ってなんだ?ご承知のようにパソコンなどの世界であるものをコピーして別の所に張り付けるというあれである。

 例えば雑誌の記事を書いているとして、ネットで参考になりそうな言葉なりデータがあると、それをコピーして、自分の記事に張り込む、つまりペーストする非常に便利な機能だ。このお陰で図書館通いして、一次データを苦労して調べる必要が一切なくなった。

 作家ならば空いた時間をよりいい作品を生み出す時間にまわせばいいわけだ。一面では知的作業の革新だが、反面手抜きになったり、著しく独創性にかけたりするデメリットもある。

 しかも、ネット社会になって情報の伝達スピードが異常に速くなったことがさらに拍車をかけている。

 ある人がちょっとしたネタを生み出すと、次の人はそれに少しだけ手を加え、コピー&ペーストし、情報を発信する。次の人、また次の人も同じことを繰り返す。

 これがコピー&ペースト文化だ。この文化の最大の特徴は、やっている渦中の人たちは決して盗作などしていないし、必ず著作権は触れないでいるつもりなのだが、離れた立場で客観的に見ている人間には皆同じに見えてしまうということだ。

 例えばテレビがいまそうだ。朝ズバッでみのもん太がいったことが、フジの小倉さんが特ダネでコピー&ペースト。違う局も似たような番組でコピー&ペースト。11時台でもピンポンはあるし、関西などは午後2時から6時前までは、このコピー&ペースト番組が続き、夜も古舘さんから始まってコピー&ペーストが続く。

 ひどいのはコメンテーターだ。朝出ている人が昼も夜も違う番組に出ていて、ちょっとだけ言い方を変えてコピー&ペーストしている。

 私はこのコピー&ペースト文化が、今の中身のともなわない上辺だけの『流行』を生み出し増幅させ普及させているメカニズムだと思っている。

 かつては情報が流通する過程で必ず体験や見聞を通じて、その価値を吟味し評価をしながら、広がったものだ。

 つまり情報という記号だけが一人歩きするのではなく、必ず実態そのものにに触れ、頭で必死に考えて評価したものだ。だが今はそれがなくなった。

 ランドマークも電子マネーなどヒット商品番付に載っているものは皆、マスコミで取り上げられ話題十分だ。しかし実際に現地に行ってみたり、体験し、使ってみてその良さや価値を実感した人がどれだけいただろうか?

 私は流行という新しい価値や情報の創出から始まって、それを受け取ったものが吟味し評価し、さらに伝達されると昔ながらの、『流行創出メカニズム』がコピー&ペースト文化によって、全く変わってしまったと思うのだ。

 つまり日本自身のオリジナリティーや独創性、創造性自体は大きく変わってなくても、『流行創出メカニズム』がコピー&ペースト文化によって、全く変わってしまった結果、流行が薄っぺらな話題性だけのものに席巻されてしまったとしか思えないのだ。

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