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2007年7月15日 - 2007年7月21日

2007年7月20日 (金)

【健康】お酒をやめて健康になったの??

  世のメタボの皆さん、お待たせいたしました。さて私がお酒をやめて2ヶ月たちました。本当に宇佐美は健康になったのだろうか?数値は改善したのか?体重はやせたのか?医者はなんと言っているのだ?効果があるのなら俺もやろうか????

  皆さんのお聞きになりたいことはよく分かりますよ。そうですよね。そこが一番知りたい点だと思います。今日はゆっくりそのことをレポートしましょう。

  しかし、まず最初に誰でもお酒をやめたらそんなによくなるのかという誤解を避けたいので私の場合の前提条件をお話しておきたいと思います。以下の5項目です。

 (1)お酒が好きで毎日たくさん飲んでいた。つまりお酒をやめればそれだけ数値的な効果が高い人だということ。
 (2)体重を下げる努力はそれまでにしていた。前にもこのブログで詳しく触れたが、ピークは100Kgまであたったものを、72〜73Kgまで減らしていた。
 (3)お酒をやめるのと同時に徹底的にサプリメントを研究し自分の体質や病気にあったものを飲んでいた。(これについては後日特集でより詳しく書こうと思う)
 (4)お酒をやめると同時に専門の医者へ行き治療を受けていること。裏返せばそれまではほとんど専門の医者には見せていないので、数値は大きく向上する背景はある。
 (5)宇佐美家自体、体質的にかなりの肥満の傾向があり、血糖値、血圧ともに高く、体質遺伝であり、もともとの数値は高いこと。

 いずれにしても以上のような前提条件があるということを踏まえて以下のお話を聞いていただきたいと思う。(さらに人によって個人差があるのであくまで数値は参考程度に聞いていただきたいのと、詳しいことは必ず専門医とご相談の上判断をいただきたい。)

 結論から言って一番気になっていた糖尿病の影響は数値の上ではまったくなくなりました。よく血液検査の血糖値とならんで、糖尿病の時の重要な指標として見られるものとしてHbA1C(ヘモグロビン)があります。この値は血糖値と違って過去1ヶ月の間のトータルの血糖値のコントロールがうまくいっているかどうかの指標です。(血糖値の場合、食後から何時間たっているかで大きく変動してしまい指標としてはヘモグロビンの値を主たる指標として多く用います)。

  さてこの値は基準値が4.3%〜5.8%にあると正常といわれます。私の場合、1年前吐き気が一番酷かった時に、この値が9.1%もありました。どの医者に見せてもはっきりと異常という数値でした。結果として吐き気も最悪でした。

  そして同じ症状がこの5月はじめに再発。そして5月5日お酒をやめました。そして5月24日に専門医に行って血圧検査をしてもらった結果、この値が5.5%にまで落ちていました。私としては、体重制限もしていましたし、カロリーコントロールもしていました。サプリも徹底的に研究して飲んでいましたので、最後はお酒をやめれば相当の数値まで改善するだろうという読みはありました。

  しかし、正直9.1%が5.5%とわずかな期間で改善するとは思いませんでした。行った医者は大阪の北部地域でも糖尿病の専門医として大変有名な人で、今までも数多くの患者を見てきた人です。かなりのスパルタ管理としても知られる人でしたので、最初は覚悟していきました。

  しかし、その医者の第一声が、「驚いた。こりゃ大変なことが起こっているぞ」だったのです。私は過去の経緯もありますから、てっきり最悪の結果を想像しましたが結果はその逆でした。第一声に続けてこういいました。「あなた奇跡ですよ。正直言って状況を聞いて酷い数値だと予想していたが、正常値ですよ。あとは今までどおり食事療法だけで、いいですから。お薬は飲まなくてもいいです。」

  この言葉を聞いて本当にほっとしました。お酒をやめてからの2週間くらいはかなり色々な面に気をつけていました。また何故お酒をやめてすぐに医者に行かなかったといいますと、大体人間の体で細胞が一通りターンオーバーするのが2週間、一ヶ月たつと一通り入れ替わり、2〜3ヶ月で体質も少しづつ変わるといわれていたからです。

  うれしさのあまり、私は先生の言葉に続けてこう質問しました。「お酒をやめて2週間になりますがそれが効いたんでしょうかね?」それに対してこういう返答でした。

  「普通はお酒をやめたぐらいで短期間にそんなに良くなる訳はないのですがね。それまで余程たくさん飲んでいたんじゃないですか?」

  先生としては皮肉か何かのつもりで半分冗談で言ったのでしょう。しかしそう言われた私としては、その言葉がまさに図星だったので、笑うに笑えませんでした。勿論最後に「油断は大敵ですからね。気を緩めればまた元に戻るのがこの病気ですから。これに懲りてお酒は一生やめることですね。」といわれた私は思いっきり大きな声でこう答えた。

            「はい。先生!!!!!!!!!」

ということで、ひとつの不安はなくなった。

  糖尿病で苦しまれた方、今戦っておられる方々はよくご存知だと思うが、糖尿は今国民病といわれ、潜在的な人も含めて、国民の6人に1人が糖尿病と言われている。初期のころは特に自覚症状がないが、特に進行が進むと脳卒中、心筋梗塞の大きな要因であり、手足に血流がめぐらなくなり、痺れや冷えのみならず最後は壊疽を起こし切断しなければならなくなる。また毛細血管への血流の影響が出ると、眼底に出血し最悪は失明をおこす。糖尿の進行で腎臓も悪くなり、最悪は人工透析を行わなくてはならず地獄の苦しみを伴う。先天的に糖尿病の人もいるが現在は多くが生活習慣から来る後天的な場合が多い。

  治療には一般に食事療法、運動療法、薬物療法とあるが、なんと言っても肥満が諸悪の根源である。食事制限ではまず厳しいカロリー制限があるが、バランスの取れた食事ということも大事な要素である。つまり健康にやせないと意味がないといわれる。運動も大切だ。生活の一部として無理なく続けられる運動を工夫しなければならない。生活習慣全般を見直すために教育入院という方法も最近では多くなっている。

  薬は最後の手段である。まずは血糖値を下げる薬を処方されるが、さらに進むとインシュリン注射も行わなくてはならなくなる。そして糖尿病の治療が大変なのは薬を飲んでも症状を抜本的に改善し完治させるのは大変な困難なことだ。つまり、多くは一生薬を飲み続けなければならないのだ。そのことを良く知っていたから先生の「薬は飲まなくてもいいですよ。食事療法だけでいいです。」という一言は非常にうれしかった。

  今回のように糖尿病の血糖値が高いだけでなく、血圧、高脂血症、高コレステロールなどとの合併症であらわれると最悪である。生活習慣病のデパートといわれ、これが世に言うメタボリック症候群、メタボのことになる。つまり単に太っているとか、ウエストが気になるなんて悠長なことを言っているうちはまだいい。知らず知らずに進行し、ほっとけば死の恐怖がそこまで忍び寄るのがメタボの本当の怖さなのである。

  今回、私は原因不明の吐き気で苦しみ、それが糖尿が本ということで、断酒に取り組んだ。(先のブログに書いたように)勿論そこには妻の一言や、背中を押してくれた酒豪の友人の断酒の決断もあった。問題は先生と約束したように一生続けることだろう。元に戻ったらまたもとの木阿弥だ。それが自分自身の健康のため、家族の心配をなくすため、そして新しい人生を踏み出す、そのきっかけではじめた断酒である。

  決断すること、まずやり始めること、そしてやり続けること、最後に何があってもやめないこと。でも今回は肩の力を抜いて自然体で、誰かに言われてやるのではなく、ムリ、ムラ、ムダなく気持ちよく続けられそうである。

 とにかく行動を起こしましょうよ!メタボの同志の皆さん。

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2007年7月19日 (木)

【断酒】お酒をやめてはじめて気づいたこと

  さてここまで【断酒】シリーズで、私がお酒をやめたことに対する色々な話をしてきた。
まだ2ヶ月しかたっていないがお酒をやめて何か変わったことはあっただろうか?
何か気づいたことはあっただろうか?今日はそんなお話をしたい。

(1)「糖尿でお酒やめました」と一言で納得するメタボ親父

  私のような仕事をしていると、お酒や食事の誘いは大事な仕事の一環である。特にクライアントからすれば、日中には腹を割って話せないことでも、そうした席では「実は先生 。。。。。」と相談を受けることも多い。だから、大事な仕事なのだ。

  今回お酒をやめたので、酒席に入る前に、まずは、お酒をやめましたという宣言と理由の説明が必ずいる。仮に普段どおりに酒席にいくとしても、そのことを説明しないと始まらないのだ。

  ただしこれは、思ったほど難しくなかった。何しろ世はメタボリック親父ばかりだから、「糖尿の影響でやめました。」と一言言うだけで皆さん納得してくれる。逆に「数値はいくつ?」「いつから?」などとしばらくその話で持ちきりで、案外いい話題を提供してくれたと思っている。

(2)お酒を飲まなくても「酔うんだ」!

  その次に大変なのは酔っ払いにいかにペースを合わせるか?という問題だ。普通は大体みんな同じようなペースで飲むので、酔いのメータ−も同じように進むわけだ。しかし今度は自分だけ飲まないわけで、果たしてどうだろうか?ということだ。

 これもお酒をやめてみて始めて気づいた不思議なことがある。一般に私たちは「酔う」といった時に勿論お酒に酔うという使い方を一般にする。しかし、辞書をひくと(a)酒に酔う (b)乗り物に酔う (c)何かに引き込まれる。うっとりする。(例)「名演奏に酔う」 とある。

  実は私が不思議だといったのは、酒席にはお酒以外の酔わせるものがあるということだ。
  ○料理に酔う  ○雰囲気に酔う  ○会話に酔う  ○良き人間関係に酔う
  ○お水に酔う  ○睡魔に酔う などなど
なにかこういう言い方をするとキザな評論家のようなだが、本当に酔うのだ。私の場合酒であれ水であれ大して変わらない。つまりどちらもあまり酔わなかったから。しかし、酒席ではみんなと一緒にいい気分になり、うとうとと眠くなり、宙に浮いた気分になる。これは間違いなく酔っている。

  しかし、以前にもあったが酒を飲んでも酔わないときがある。深刻な話や厳しい状況でリラックスなどできないときなどは絶対に酔わない。どんなに飲んでも酔わない。あるいはストレスが相当たまっているときなどは逆で少しの酒でも相当に悪酔いする。ヘベレケになり誰かに絡む。私も色々な人に絡んで迷惑をかけたのを覚えている。

  つまり、飲む酒の量はあまり問題ではないのだ。その場のトータルな条件によって「酔う」「酔わない」が決まるのだということを、酒をやめて初めて知った。一仕事終えてほっとしているとき、誰かと信頼関係が深まって喜びを共有できるとき、おいしいお料理に舌鼓を打つとき、仕事の心地よい疲れで気分よくうとうとするとき、周りのみんなが機嫌よく飲んでいて盛り上がっているとき、確かに自分もお酒を飲んでいるのと変わりなく、「酔っているのだ」。本当こればかりは不思議だ。

(3)生まれて初めて「酒臭さ」を実感した!

  もうひとつ気づいたことがある。「酒臭い」ということを生まれて始めて感じたことだ。よく「酔っ払いは自分では絶対に酔っているとはいわないもんだ」と。あれはよく分かった。今までは自分が酔っているから、酒臭いなどということは感じなかった。仮に自分がしらふで誰かが酔っていても、匂いはたいして気にならなかった。しかし今度は違った。

  臭いくさい。あの臭いはたまらない臭さだ。終電近くに電車に乗るとそれがよく分かる。酒を飲んだ人間のだらしないふらふらした足取り。ロレツの回らないしゃべり方。あれは飲んでいない人間からすれば、すべて嫌に見えてくるのがよーーーーーく分かった。

  「なんだよ、宇佐美さん。たかが2ヶ月お酒やめたくらいで、もう飲まない人間の味方するのかよ」と裏切り者と呼ばれそうだが、しかし生まれてはじめて酒を飲まない人間が酒飲みを必要以上に毛嫌いする気持ちが分かったような気がする。

  でもご安心を!!酒飲みの皆さん。私はお酒のすばらしさを誰よりも知っていますよ。
だから毛嫌いなんかしません。でも客観的に見ることで、飲みすぎはまずいなというのははじめて分かりました。

(4)お酒を飲まなくてもよく眠れるんだ。

    お酒をやめる決断をする前、気にしていたことのひとつだ。私は意外に睡眠が浅くて困ることが多かった。夜中に何度も目覚めてしまうとか、とにかく気分よく朝まで熟睡することが少なかった。そのためよく眠る意味もあって、お酒を飲んでバタン、キューで寝ていた。確かにお酒は不眠症の人には効果があるといわれる。

  だから果たして、お酒をやめてよく寝られるだろうか?と思って心配していた。しかし、結果は意外にも予想とは逆だった。よく寝られるんですよ。これが。理由は今のところ分からないが、体調がいいこともあるかもしれないし、日中よくエネルギーを使うので、適度な疲れが睡魔を誘うのか、理由は色々と考えられるが、とにかくこの点は取り越し苦労だった気がする。

(5)お酒を飲まないと時間の使い方が変わるんだ。

  これも日常の習慣が変わるので最初は予想つかなかったことだ。とにかくそれまでは毎晩決まって夕食の度にお酒を飲んでいたわけだ。そうするとあとは寝るだけ。つまりお酒を飲まないということは、夜毎日しらふで過ごす事になる。一体何するんだ?その時間?と真剣に考えた。

  私が尊敬する恩師でずっとお酒を飲まれない方がお見えになった。その方は中学しか卒業していない現場のたたき上げで筋金入りの改革者だった。外見からは相当飲むような感じの人だったが、一滴もやらない。その人が夜何をしているかといえば、読書だとおっしゃっていたのをよく覚えている。

  「何、この俺もまじめに読書するのか?そんなのカッタルいよ。」これは私の本音だった。仕事柄本は腐るほど読むわけで、夜家に帰ってまで読む気にはならない。SEの仕事をしている人で日中仕事でパソコンばかり見ている人が、家に帰ってからも自室に入ってパソコンをいじっているとしたら、明らかなオタクなのと同じだと思った。

  さあ、どうしようか?  これも結果からいうと心配には及ばなかった。まず家族との会話が増えた。それまでは夜話したくても酔っ払いのヨッピー相手では話せないと思っていたらしく、最近では酔っ払っていないので、妻が喜んでいて機嫌がいい。

  それと、このブログだ。ちょうどお酒をやめて1.2週間してこのブログをはじめた。もし今でも飲んでいたら、こんなに長続きはしていなかったろうと思う。

  とにかく習慣が変わると、生活そのものが変わる。そうするとそれまでは無理だとか、俺には絶対できないとかと既成概念で決め付けていたものが、変われば変わったで、また新しい環境に合わせて自然に変化するのが、人間の体なんだなということを改めて感じることができたように思う。これが一番の気づきだったろう。

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2007年7月18日 (水)

【断酒】我が友、お酒との思い出

  さて今まで断酒について色々とお話した。しかし、皆さんにお断りしておきたいのは決してお酒が嫌いになって、断ったわけでもなんでもないということだ。正直言えば、今でも当然大好きだし、お酒の魅力もまた悪い点もよく知っているつもりだ。

  言い方が悪いかもしれないが、あえて誤解を覚悟でいうならば、「酒は長年連れ添って、わけあって分かれた愛人であり、いまでも好きな人。ちょっぴりわがままだけど甘え上手で魅惑的な小悪魔的ないい女」という感じだろうか?演歌の世界になってきたぞ。(笑い)

  というわけで、今日は皆さんにお許しいただいて、この愛人、いや違ったお酒との思い出を語りたい。「何を分かれた女に未練がましいわね」と怒られそうだが、しかし思い出はいつまでも断ち難く、ブログに書いて多少とも記憶に残したいのである。

  さて先に書いたとおり、私の一族は大酒のみである。特に父方は大変に強い。昔から子供ころよく聴かされた話がある。父の母親(つまり私の祖母)の実家というのが、名古屋で銘木店を経営していたそうである。そこの創業者であったひいじいいさんというのが、たいした商売人で体が太っていて、めっぽう酒に強かったということだそうだ。

 銘木店というのは、大きな山の中に入っていって、何十年もあとに立派な材木に育つだろう杉の木などを先を見越して買い付ける仕事だそうである。つまり、先を見る先見性がないとできない商売である。私の体の中にもそういう血が入っているのかもしれない。

 さて思い起こすとこの宇佐美家(つまり父方の一族)というのが大変な酒好きで、また宴会好きでもあった。父の兄弟は男5人、女2人という昔の典型的な大家族であり、当時同族で会社経営をしていたこともあり、よく祖父の家に集まっては宴会を繰り広げていた。

 単にお酒を飲んで騒ぐだけでなく、芸達者が多く、小唄、長唄、どどいつ、踊り、日本舞踊などなど何でもござれのような感じで大変な宴会だった。今でもカラオケで集まると、全員がプロなみの腕前で見ている人間は正直舌を巻くのである。一度カラオケの様子をビデオで取ったものがあったので、知人に見せたが正直言ってひっくり返っておどろいていた。

 「なんだこの一族は!!!!全員芸人だにゃーこれは。」と。同感である。

  このにぎやかな家系の中にあって、やはり父も酒は強い。子供のころから、毎晩晩酌は当たり前だった。しかし、なぜかビールしか飲まない人なのだ。理由がまた面白い。「不思議なことだが、ワシはビール以外のお酒を飲んでも酔わないんだ。どんなに飲んでも酔わない。しかしビールだけは1本程度で酔うことができる。その方が経済的にも体にもいいので、毎晩風呂上りにビール1本必ず飲むことにしてる。」と、これは本人がよく言っている言葉である。

 これが私の大酒のみのルーツである。カエルの子はカエル。やはり血は争えない。

 その後、私は故郷、名古屋を後にし、早稲田大学に進学し、本格的に酒の味を覚えることになる。ご存知のように、いまや斎藤祐樹くんで有名な母校は大隈重信公が創設以来、バンカラで知られ、酒はきっても切れない存在だ。私のときもそうだった。

 一年生でサークルに入り、まずは新入生歓迎コンパ(シンカンコンパ)だ。とにかく手荒い歓待なのだ。私のときはまず洗面器がもってこられビール5本くらい一気にそそがれる。それを一気飲みさせられるわけだ。また、悪いことに私が入学した年は、ちょうどチューハイが始めて流行した年で、かなりアルコールが強いのに一気飲みがはやって、足をとられて倒れる連中が多数出た。

 さらに早稲田大学が創立記念100周年の年で野球だけでなく、とにかく様々な競技で優勝優勝の騒ぎで、当時新宿の歌舞伎町のコマ劇場前の噴水広場では、全員が池に入り全身水浸しで、連日校歌である「都の西北」を歌い、同じ大学というだけで、見ず知らずの人間と肩を組んで、騒ぎまわるというドンちゃん騒ぎだった。

 というわけで、まずはサークルで始めて本格的に飲み始めた。なにしろ「吐くぐらいなんだ。人間吐きながら酒は覚えるものだ」という筋金入りの先輩たちに薫陶を受けた。

 しかし、普段はお金がない貧乏学生だったこともあり、飲みたくてもそんなに飲めなかった。同じ名古屋出身の親友がいたが、時折彼の下宿へ泊りがけで遊びに行ったときに
お互いにお金を出して買って分け合って飲んだ、1リットルの缶ビールの味が今でも懐かしい。

 その後、実際に私が本格的に酒が強くなったなあと思うのは、政経塾時代にアメリカに留学したときのことだ。当時下宿させてもらっていた家で、毎晩のようにビールを飲むようになった。当時日本で買うと、350mlの缶ビールが300円くらいした時期に、アメリカでは30〜40円だった。為替の関係で円高だったのと、税金の関係で10倍近い価格差があった。

  それにコンビニがそこらじゅうにあり、6本入りのパックが簡単に手に入った。値段は200円前後である。一緒にメキシコ料理からきたナッチョスのチップ(トルティアチップス)とトマトソースのベースの辛いソースを一緒に買ってきて食べた。毎晩それが夕食だった。そりゃー強くなるはずだ。日本なら大金だから飲めないが、向こうならお小遣いでも飲めるわけだ。その時、アメリカに1年弱ぐらいいたが、私の眠っていた潜在的な大酒のみのDNAに火がついたきっかけがこれだった。

  さらに悪かったのは、やがて仕事をするようになり、いっぱしの収入が入るようになったことである。こうなると誰に遠慮するでもなく自分のお金で自由に飲めるようになった。しかも当時、松下電器の本社で仕事をしていたので大阪の守口市に住んでいた。毎晩11時過ぎぐらいまで仕事をしていた。そうするとその時間まで空いているのが居酒屋みたいなところしかなかったのだ。

  私は近所にあったお好み焼き屋さんにほとんど毎日のように通った。庶民的で、きさくなおばちゃんと少し偏屈だが職人肌のおじちゃんには大変よくしてもらった。ちょうど寅さんにでてくるおいちゃん、おばちゃんといった感じだった。

  豚玉と焼きそば、あと一品料理とビールを1本、チューハイ1杯が定番だが、少し話し込んだりすると、チューハイをあと2、3杯飲んでいただろうか?とにかく他にまともな店がなかったので、この店が私の命綱であり、生命線だった。

 これが独身時代だった。仕事に夢中で楽しく面白い酒だった。

 その後、結婚し、自分で今の事務所を開き、経営の厳しさや仕事の奥深さ、人生の悲哀もそのとき味わった。一人で飲む酒も前よりも増えた。悲しい酒も増えた。そんなときも酒は身分にも関係もなく、金のあるなしも関係なしに慰めてもくれたし、苦しさも紛らわせてくれた。美空ひばりの「悲しい酒」を聞いても味わえるようにもなった。

 なんかこんな話をしていると、どんどんと話が演歌くさくなっていけないが、しかし、人生の裏も表も、喜びも悲しみも、時には名演出家として、あるいは地獄に誘う悪魔でもありいつも一緒にお酒がいた気がする。

 かつて禁酒法なる悪法がアメリカであったそうである。アルカポネかなんかのギャングがアングラで酒を横流しし大金を稼いだそうだが、人間の本能はそんな理屈で割り切れるほど簡単じゃない。どんなに立派な社会になっても、やはりお酒はなくならないだろうな。

 ただ、今回断酒宣言をして、ちょっと悲しいことがひとつある。お祝いのお酒であり、友と酌み交わす友情の酒である。これは何物にも変えがたい喜びだった気がする。まあ、私の場合は水でも十分喜びは感じれるからいいのかも知れないが。

 なにせ、私は「ビール以外は一切酔わない」という父の息子である。水でもアルコールでも、大して酔わないので、にたようなものである。とにかく今振り返るとお酒は懐かしくもいい思い出だった。

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2007年7月17日 (火)

【断酒】私が酒をやめた三つの理由

 さて皆さん、緊急記者会見で私が断酒宣言をしたブログ(7月9日、7月10日付け掲載記事参照)読んでいただけましたか?  ちょっと趣向を凝らして記者会見風にまとめてみましたがどうだったでしょうね。  しばらく、この断酒にまつわるお話をシリーズで続けようかと思っていますのでよろしくお願い致します。

 先のブログ上での、緊急会見で私の今回の断酒についての大まかな所はお話しました。  ところが一つ掘り下げてお話していないテーマがあります。

  それは、『お酒を止める前は随分考えた』と書いたんですが、何をどのように、どの程度考えたのかということについて深くお話しておりませんでした。今日は特にこの点についてお話しましょう。

  皆さんもご想像ください。私の家はだいだい酒飲みの家系です。特に父方のほうは大変な大酒のみが多く私だけにとどまらず、おじさん、おばさん、親戚一同がよく飲む人ばかりです。ですからDNAの影響は怖いもので、私も気づけば同じ範疇にいたわけです。

 本格的に飲み始めたのは大学に入ってからです(当然ですが)。以来20年以上飲んできたわけですから、簡単にやめられるわけがありません。以前にも何度か医者から注意されて、断酒しようと思って始めましたが、正直長続きはしませんでした。人間というものはホトホト意志の弱いものです。

  それが今回は違います。以前のようなことがないように、とりあえずきちんとやめられる目処が立つまでは皆さんにお話しませんでした。それから、誰かから止めろといわれてやめるのではなく、自分自身の意思でやめるとはっきりと得心してから、断酒をはじめました。それで、ちょうど2ヶ月です。

  その決心に至るまで色々と考えました。そして大きく3つの理由で決断しようと心に決めました。それは以下の3つです。

  (1)自らの健康を考えて
  (2)家族の心配を考えて
  (3)新たな人生の生き方を考えて

以下それぞれどんなことを考えたかお話しましょう。

(1)自らの健康を考えて

  これは先にお話したように、糖尿の影響で嘔吐がひどくなったわけです。それまでに体重を減らし食事に気をつけかなり気にはしていましたが、いよいよ最後の切り札が断酒ということになりました。糖尿の治療のご経験がある方はご存知でしょう。食事の制限は一日1400〜1600Kcalと大変厳しいものです。正直大変おなかが減ります。

  私の場合、食事だけを考えた場合、大体この範疇で収まっていました。勿論時には温泉にいったりしてご馳走も食べましたが、それは前後の食事でコントロールしていました。   問題はお酒に絞られていたわけです。お酒そのもののカロリーが大きく影響していたのでしょう。

  ビール(350ml) 140kcal 、ウイスキー水割り 160kcal、 日本酒(1合) 210kcal、 ワイン(100ml) 75kcal、 (数値は目安です)と一般に言われます。

  ちなみにご飯一杯が80Kcalで栄養学では1単位といって基準になります。ウィスキーが特に好きだった私の場合、1杯飲むだけでご飯2杯分です。当然何杯も飲むわけですから、まあ、正直これだけで一日分の食事のカロリー数などすぐにオーバーしてしまいます。さらに、酒飲みの人は分かるでしょうが、必ずおつまみを一緒に食べます。これがまたカロリーの多いもののオンパレードですよね。

  植木等さんじゃありませんが、「これじゃ体にいいわけないよ。」なわけですよ。自分で言っていておかしなものですが、頭で分かっていてもやめられませんね。今じゃ寛仁親王殿下がみずからアルコール依存症だと勇気を持って公式にされました。一昔前なら皇室の方がアルコール依存などというのははばかられましたが、今は時代が変わったのでしょうね。

  話がずれてしまいましたが、そいうことで、私も糖尿のことを考えるとまずは食事制限でカロリーコントロールが必要で、それにはお酒をやめるというのが一番の方法でした。


(2)家族の心配を考えて

  私は元来わがままでわが道を行く、そういう人でした。裏を返せば滅多なことで他人の言うことを聞かないという短所があります。いい意味で言えば自信を持って信念を貫くということになるのでしょうが、仕事と違って、体のことになると自分だけのことではありません。当然家族が色々と心配します。

 そんなことは百も承知の上で、それでもめちゃくちゃやっていたわけです。(おはずかしいことですが)。ただ今回ばかりは妻の一言が効きました。

  「あなたね、このままの状態だと大好きなお仕事で穴でもあけて、お客様にご迷惑をおかけして、二度と仕事の依頼が来なくなるわよ。そうしたら今まで苦労したことは一切無駄になるのよ。それでもいいの。」と。

  正直この言葉には参りましたね。いつもは自分の都合ばかり押し付けたりする発言でしたが今回の言い方は違いました。確かに私自身にとって一番痛いところをつかれました。妻の言うとおり今まで何をやっていたのかわからなくなってしまう。そして自分の志を貫こうにも足元から土台が壊れてしまう、その通りなのです。

  妻にとっては何気ない一言でしたでしょう。しかし、この一言は断酒の決断を深めさせました。ですから、妻のその一言でまあ、自分なりに気づいた。そして考えた。その一言がいい触媒になったということです。

  勿論、酒をやめたと言ったときの家族の反応は複雑でしたね。「あーーーー、よかった」という反面、「本当に長続きするんだろうか?」という疑いと疑問の目とでもいいましょうか???まあ、今まで散々勝手をやってきた「前科もの」(笑い)の発言なんでしょうがありませんが。。。。しかし、2ヶ月たって今は家族も穏やかですので、よかったのではないかとお思いますが。

(3)新たな人生の生き方を考えて

  実は私が断酒を決断する数ヶ月前でした。私の10年来の親友が断酒を宣言しました。彼は私以上に酒豪でした。彼の親父さんは大阪でも有名な大きな企業を経営していて、彼はそこの副社長として経営者の修行をしている立場の人間です。彼は仕事上の接待などで、よくミナミなどの高級なクラブなどに常連として行っていました。とにかくよく飲みました。

  そんな彼が突然酒をやめたといいだしまた。ただし、お酒の席には必ずウーロン茶で一緒に付き合います。なぜやめたのか私も理由を聞いたのですが、はっきりとしません。余程心に期するものがあったのでしょう。

  正直私は意外でした。世の中でもっとも断酒というものから遠い存在だと思っていた彼が。。。。。。。。

   このことも大いに考えさせられたことでした。そしてこうも考えました。「私より若く、また酒も強く、しかも立場上いくらでも飲めるだけのお金がある彼のようなエグゼクティブが酒をすっぱり断つのだ。ひょっとすると断酒も悪くないな」とね。彼のこの行動は私に勇気をくれましたし、背中を後押ししてくれました。

  彼の偉いのは、単にお酒の量を減らすとかいうのでなく、きっぱりとやめてしまったこと。そして公の前でそれを宣言していること。そして最後はお酒をやめても付き合いは今までどおり続けていることです。

  彼のこの行動で、正直私は色々と考えさせられました。 実は私も今年でこの仕事を始めて20年になります。人間の人生でも20年で成人式、40年で初老(厄年)、60年で還暦として20年というのは大きな節目です。25歳でこの仕事をはじめて今年で45歳(誕生日は12月28日です)。ちょうど丸20年です。

  この際、自分自身もう一度原点に立ち帰って足元を見直し、今までの人生をリセットし、新しく生まれ変わって再出発したいと思っていた矢先でした。

  私の仕事である「改革請負人」という仕事は、単なる経営コンサルタントと違い、人を動かし、組織を動かし、社会を動かすという結果を求められます。

  ですから単に最新の理論や知識を知っているだけでなく、自らの体を張って立ち向かい現実の壁を動かしていくだけの、人間の器、人格、つまり徳を磨かねばと常から思っていました。この修行は命ある限り一生続くものだと思っています。

  それまで私も立場上、クライアントや研修生などに対して「意識を変え、行動を変え、習慣を変える。そして人生を変える。」などと言ってきました。

  偉そうに他人に言う以上私自身がまず身をもって手本を示すのが礼儀です。単に、頭の中で出直そうと言うだけでなく、形としての目で見えることで大きく変えよう。そのために断酒は大変意義あることだと考えました。

  勿論誘惑もあるし、今までの慣習もある。他人にどう説明しようか。夜ぐっすり寝られるか?などなど障害もありましたが、とりあえずやってみよう。そして始めたのが2ヶ月前でした。

  今はそれが大正解だったと思っています。人が生き方を変える、新しく生まれ変わるなどといっても簡単にできるものではありません。形から入るというのもいいことでしょう。今はそう思っています。  

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