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2007年7月22日 - 2007年7月28日

2007年7月28日 (土)

【歴史】天神祭と水の都

さる7月25日は、天神祭の生中継をテレビで見た。前日にブログに天神祭について書いたので、最初から最後まで見ることにした。

 今までは断片的にただぼんやりと眺めていたが今回は事前に調べておいたので見ていて随分とためになったし、よく分かった。何事も積極的に関わると理解が違う。

さて肝心の番組だが、大阪のローカルにテレビ東京系列のテレビ大阪と言う局があり、午後6時半から9時までの二時間半の放送だ。開局25周年でかなり気合いの入った作りでもある。

司会は西川きよしと元フジテレビアナウンサーの八木亜希子で、ゲストに小林幸子や美川憲一などの歌手やタレントだ。お祭りのライブ中継の間に、歌やモノマネなどをまじえて飽きさせない趣向だ。

この番組が偉いのは、単に上辺の番組でなく、歴史的な意義や由来をしっかりと調べていて、現場での事実に基づく取材を怠っていないことだ。

 一人天神祭博士のような男性のアナウンサーがいて毎年解説をしているようである。毎年毎年のことなので、去年や一昨年と違うネタを探して毎年放送しているようなのだ。

 司会の西川きよしが『その話は去年は聞きませんでしたね』と何度も何度も大きな目をきょろきょろさせて感心している姿が印象的だった。

 さてここで大阪以外の方には馴染みの無い方もお見えだろうから、天神祭の概要をざっくり説明しよう。

 まず大阪天満宮という菅原道真をお祭りした天神さまを中心にしたお祭りで、途中何度か中断はあるものの天歴5年(951)からはじまり、今年で1057年目を向かえる大変歴史のあるお祭りだ。

 毎年7月の24日、25日の2日間行われる。一日目が宵宮(よみや)、二日目を本宮という。そもそも、年に一度天神さまが、神殿を抜け、川の流れで自らの身の御祓払いを行われる儀式である。

 そこで祭りはまず御祓払いの場所を決めるため川の上の船から鉾を藁のようなものでくるんで流し、流れ着いたところをお祭りの場所(祭場)と定めたのだった(鉾流神事)。

 次に年に一度、おそれ多くも神様が我々の目の前を通り川辺の祭場まで御祓払いに行かれるので、当然道案内やら、露払い、賑やかしの笛や太鼓、お供の行列は賑やかだ。

 これが天神様を特別の神輿に載せ、神殿のある大阪天満宮(宮)から、まず陸路を通って船着き場まで運ぶ(陸渡御)。

 その後川の船着き場(天神橋)から特別な船(御鳳輦船:ごほうれんせん)の上に神輿を載せ、それを祭場まで漕いでいき(船渡御)、儀式を済ませて、また宮まで無事送り届ける(宮入り)。簡単に言うとざっというとそういうお祭りだ。

そもそも大阪天満宮は、菅原道真が都から太宰府に流される時に、前の晩、大阪藤井寺の道明寺というお寺で、尼をしていた伯母さんと朝まで話し込んでしまい、その後、先を急ぐ道すがら立ち寄ったのがこの大阪天満宮の場所の前身だった大将軍社という神社だった。

 903年に道真が没した後天神信仰が始まり、949年この大将軍社という神社の前に道真公の威光の光で眩しいばかりの七本の松が突然現れ、その話が都まで伝わり村上天皇の命で建てられたのが大阪天満宮の最初である。

だから大阪天満宮では、道真公がたってしまわれる朝を表すと言うことで一番鶏は意味嫌い、今でも神官は鶏を食べないそうだ。

 さてこのお祭りだがやはり何と言っても他のお祭りにない最大のインパクトは、船渡御(ふなとぎょ)である。

5000発近い奉納花火が打ち上げられるなかを、神輿を載せた船を始めにそれこそ無数の船が川の上を漕ぎ、笛や太鼓、祭囃子とその賑やかなこと。

派手ずぎな商売人の町、大阪らしい大イベントである。

船でご神体をお運びするお祭りというのならば、福岡県の宗像大社のみあれ祭も有名だ。海のシルクロードと呼ばれ、大陸との交流の要所にあった玄海の孤島、宗像沖ノ島ではいまでも女人禁制で、島全体かご神体であり、入島の前には全員全裸で海に入り、御祓払いを行わなければならない。

 その宗像三神の女神たちを三つの離れた島からひとつに合わせるのがこのお祭りで七浦の漁船が総出でお供し、色とりどりの旗やのぼりで飾られた大船団がくり出す漁師たちの大祭だが、しかし天神祭とは規模が違う。

 また、海外では水の都イタリアのベネチアで開かれるヴォガロンガという小舟のマラソンなどがあり、5000人近い人が参加する賑やかなお祭りだが、歴史はまだ20年そこそこと浅い。

 また他にも船を使った海外のお祭りとしては、またカンボジアの首都プノンペンの水祭りなどがある。王宮の前、トンレサップ湖の水がメコン川に合流する地点で行われるボートレースで、大観衆がレースを見守るそうだ。

 しかし、おそらく千年以上の歴史を持ち、なおかつ世界的大都市での大きな規模を誇る水上の船を使ったお祭りは、他に類を見ないものだろう。

 船渡御の素晴らしさとインパクトに圧倒されながら、そういえばこの町、大阪はかつては『水の都』と呼ばれていたのだということをふと思い出した。。

 今は埋め立てられて道路になっているが、その昔江戸時代には、大江戸八百八町と呼ばれた江戸に対し、天下の台所、浪速八百八橋と呼ばれたものだ。心斎橋、淀屋橋、道頓堀、天神橋、天満橋、土佐堀通りなど当時を彷彿とさせる地名も数多い。

 さらに聖武天皇の難波京の時代から、古くはシルクロードの日本の玄関口であり、中国・韓国との貿易外交の核となる、国際港湾都市であった。

 また、海路は瀬戸内に大きな口を開け、日本中の海路という海路がここに終結した。

また豊臣秀吉が開いた大阪城を中心に商人がすむ町となり、町中運河で張り巡らされ、中之島を中心に大名の蔵屋敷が建ち並び、北浜には日本で最初の証券取引所ができ、この地域は三大市場と呼ばれ、米、塩などの日曜生活雑貨から、各地の海の幸、山の幸の産物が集まり、まさに商流・物流・情流・金流の接合点であり、コアだった。

さらには、淀川を通じて、京都まで通じる大阪は、木津川、宇治川、桂川という三本の大きな川の合流する、要衝の地、淀城をポイントに、軍事的な要衝でもあった。

 と学校の教科書でならった知識を総動員して、この水の都のかつての姿を想像してみるのだった。

 私も大阪に住んでかれこれ20年になるが、今は正直、水の都と言われてもピンとこない。大阪と言えば万才とたこ焼きの方がイメージしやすい。

 しかし、この町で千年もの間歴史をくまなく見てきて、時々の要素を取り込んできた天神祭は、水の都大阪のDNAをまざまざと眼前に甦らせてくれる。

 祭りの賑やかさの向こうに見える歴史の静けさであった。


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2007年7月27日 (金)

【経営】祇園祭と疫病神の物語

 京の夏の風物詩を彩る祇園祭。宵々山、宵山、山鉾巡航と祭りはクライマックスを迎える。このお祭りが終わると関西では梅雨が明け本格的な夏を向かえる。歌ではないが、まさに『夏は来ぬ』である。

 私は関西に住んで20年になるが、一度行きたいとは思っていたのだが、祇園祭に出掛けるご縁は今までなかった。暑さと人混みが嫌だったからということあるし、単なる出不精ということもあるが。(笑)

 さて、この祇園祭だがそもそもの由来はご存じだろうか。祇園祭といえば京都の代名詞かと思うが以外にそうでもない。

 よく仕事で福岡に行くのだが、祇園と言う駅もあるし、小倉(北九州)には小倉祇園太鼓という男らしいお祭りもある。

 あの博多の有名なお祭りの山笠だって、正式には『博多祇園山笠』というのだから、祇園祭は京都だけの専売特許ということでもないらしい。

 ウィキペディアによると祇園祭とは平家物語に出てくる祇園精舎の守り神だった牛頭天王(ごづてんのう)をお祭りしたものだ。それがやがて素戔嗚尊も合わせてお祭りするようになったそうだ。

 しかしこの牛頭天王とは疫病が流行ったときに鎮めるということで、世に言う『疫病神』としても知られる。京都の八坂神社も博多の櫛田神社も疫病を鎮めるために建てられた。

 そういえば、最近、妻夫木聡が主演している、浅田次郎原作の映画『憑き神』が話題だ。

 私も予告編程度しか見ていないが、この映画、しがない武士がげんかつぎにお祈りしたお稲荷さまが実は、貧乏神、疫病神、死神の巣だったことから巻き起こるドタバタ劇だそうだ。

 西田敏行演ずる貧乏神、赤井英和扮する疫病神、名前は知らないが最近よくテレビに出てくるかわいい子役の女の子の死神と、映画ではユーモラスで人間臭い神様たちの面白さがある。

 しかし、本当にこんなのにとり憑かれたら大変だろう。冗談ではすまない。人生最悪だろう。私は素直に願い下げだが。

 実はこの祇園祭の神様も疫病神として嫌われものの一面を持つから大変だ。

 疫病を撒き散らすと同時に親切に迎え入れた農民に対しては万病に効く術を授けたとも言われている。

 これについて八坂神社では昔話としてこんな有名なものあるそうだ。

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 ある時、疫病神が老人に身を変えてお忍びで旅に出たました。とある村にさしかかり、そこに一夜の宿を求めました。

 このときこの村には、二人の兄弟が住んでいました。兄の巨丹は裕福なのに冷淡でした。

 疫病神が兄の巨丹のもとを訪ねると、兄は言いました。
 『このうずぎたない爺じいめ。辺りが臭くなるわ。縁起が悪いから、どこかへ言ってしまえ。』と石を投げて追い出し家から遠ざけました。

 次に疫病神は、真面目で働き者ですが、貧しい生活をしていた弟の蘇民のもとを訪れました。

 貧しいあばら屋に住んでいた弟の蘇民は、みすぼらしい身なりの疫病神を親切に我が家に招き入れ言いました。

 『おじいさん、どこから来たんだい。その年で長旅は大変だろう。うちなら、いくらでも休んでいってもらって構わないんだよ。

 ご覧の通りの貧乏暮らしで何もお構いできないが、さあさ、上に上がって家族と一緒に暖かいお雑炊でもすすっておいでなさい。』とみずぼらしい姿の疫病神を貧しいのにやさしく迎え入れてもてなしたのでした。

 そこで疫病神は正体を明かし、「こんなみすぼらしい爺を手厚く親切にしてもらって本当にありがとう。お礼と言ってはなんだが、ひとつお前さんにいいことをお教えてしんぜよう。

 近々この村には、死の病が流行るであろう。男も女も、年寄りも子供も皆地獄の苦しみで死んでいくことじゃろう。しかし、お前は真面目でよく働き、親切なこころやさしさをもっておる。だからお前の一族だけは助けてやるとしよう。」と言いました。

 しばらくして、その話は本当になりました。多くの人が亡くなる死の病が大流行し、次から次から人々が苦しみながら死んでいきました。その様子はまさに地獄のようでした。

 そして強欲で冷たく金の亡者だった、兄の巨丹の一族は次から次へ全部死んでいってしまいました。その酷さは他の家族より悲惨なもので誰かの呪いだと噂されました。

 一方まじめでこころのやさしい弟の蘇民の一族は、不思議なことに皆全員無事で助かったということです。

 現在でも八坂神社などでは赤い地の紙に金色の文字で「蘇民将来子孫之門」という札を配布していますが、その由来はこの故事を基にしているそうです。

(オリジナルは備後風土記より)

***********


 マンガ日本昔話に出てくるような話だ。世知辛い今のご時世を考えると、他人に親切にするよりまず自分のことが先である。さもなければ、この激烈な競争社会生きていけないだろう。

 しかし、相手が例えば疫病神だろうと、貧乏神だろうと、仮に自分に災いが降りかかろうとも、同じ神様ならば大切にして当然だという弟の蘇民の発想は普通とは異なる。

 この発想は明らかに常識はずれの心の広さであり、心の余裕の現れでもある。

 とかく我々は、自分の都合のいいときだけご利益を求めて、神頼みするのが普通だ。

 しかし弟の蘇民は表面的には、たとえ自分に不利になろうとも、相手が神様ならばできる限りの誠を尽くそうと努力する。

ひるがえって我々商売、ビジネスの世界も『お客様は神様』と言われれる。

 目先の利益だけで生きていると、一時はいい時期もあるが、兄の巨丹のように結果は一族すべて滅びてしまう。

 なぜなら神様(お客様)は自分が利益を得るための都合のいい相手だと腹のそこでは思っているからだ。だから神社で手をたたいても、『儲けさせてください』と自分の都合だけをお願いする。

 しかし本当に神様(お客様)のことは考えていないので冷淡に追い返してしまう。自分が儲けたいときだけ都合よく神様だ。

 弟の蘇民は自分の都合や利益の前にどんな時にも神様(お客様)に真心を尽くす至誠の心で接する。

 どちらも形の上では『神様』と手を合わせる姿には違いがないが、その心持ちは180度違うだろう。

 弟の蘇民のような心持ちで神様(お客様)に接すれば、一族も企業も末長く永続的に発展するのだ。

 最近、兄の巨丹のような人たちがテレビで頭を下げたりする無様な姿が目立つ。こういう人たちに限ってよく口先だけで『お客様第一』を口にする。つまり自分の都合に合わせてのお客様と言う意味だ。

 企業もコンプライアンスやら、CSRと騒ぐのもいいが、まずは基本にかえって弟の蘇民のような心持ちを持つことが先決だろう。


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2007年7月25日 (水)

【社会】お祭りと梅雨明け

私も関西に住んで早いものでもう20年になる。関西は特にこの時期になると大きなお祭りがある。

 日本三大祭りのうちの『京都の祇園祭』と『大阪の天神祭』である。三つのうちの残りの一つは、東京神田の神田祭だ。

三大祭りのうちの二つが関西でおこなわれ、この時期に集中しているのも面白い。

京都の祇園祭は、祭りのクライマックスである宵山が毎年7月16日、山鉾巡行が7月17日に行われる。2007年の今年はすでに先週終わっている。

そして大阪の天神祭は、これも毎年7月の24日に宵宮、25日つまり今日祭りのクライマックスの本宮が行われる。

 特に25日には、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、夜には奉納花火がある。

私は人混みが嫌いなもので、これまで関西に住んでいながらどちらのお祭りにもまだ行ったことはない。とにかく恐ろしいほど多くの人出なのだ。

 それに、どちらのお祭りも地元のテレビ局が放送するので敢えて人混みのなかに足を運ぼうとも思わない。

ただ、この時期出張などで昼間町中を歩いていると、浴衣を着た若い御嬢さんたちの団扇(うちわ)を手にした艶やかな姿を見て、アァ今日はお祭りだったか!と初めて気付くと言う有り様である。

 さしづめ仕事中毒のビジネスマンには普段はあまり関係はなさそうなイベントなのだ。私の友人などは人混みを避けるため、この日はわざわざ仕事を作って出張にでかけるそうだ。

そんなわけだから、祭りの風情を味わうなどというのとはほど遠いのだが、しかしこのお祭りは関西の人たちには、梅雨が開けて本格的な夏の到来を知らせる大切な『呼び鈴』のようなものになっている。

先日もタクシーに乗っていたとき、私が『今年はまだ梅雨は明けないのでしょうかね?』と質問すると、運転手さんがこう答えるのである。

『祇園祭が先週終わって、今週が天神祭。梅雨明けも間近でしょうね。』と。

 彼の話によると、毎年関西の梅雨明けは、7月20日前後で、祇園祭の時はまだ梅雨のなかにあることが多く、天神祭の時には、たいてい梅雨が明けて、かっーと太陽が照りつける本格的な真夏になっているとのことだ。

確かにこの言葉を聞いて思い出すと、なぜだか天神祭りの時は決まって、京橋のOBPに出張に行っていることが多く、会議が終ってエアコンの効いた建物から出てくると、花火の大きな音が聴こえ、多くの人出と、また梅雨が開けた独特の真夏のクソ暑さと日差しの強さを感じたことを思い出した。

 ちなみに運転手さんの言葉に興味があったので調べてみると、気象庁の過去の統計によると、1971-2000の30年間では、近畿地方の梅雨入りは、6月6日頃で、梅雨明けは、7月19日頃だそうだ。

 梅雨の入明には平均的に5日間程度の遷移期間があるので、その期間のおおむね中日をもって「○日頃」と表現としているそうである。。

 今年の場合、近畿地方の梅雨明け宣言は昨日7月24日だされ平年の5日遅れ。つまり天神祭りの当日だった。

 雨の季節の梅雨が、天を司る天神祭に明けるのも面白い因縁である。

いずれにしても、今年も夏本番である。皆さん、エアコンの効かせすぎや冷たいものの食べ過ぎで、体を壊さぬよう、スタミナをつけてパワーで乗りきりましょう。


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