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2007年11月25日 - 2007年12月1日

2007年11月25日 (日)

【経営】指導者研究『落合監督』(その4)〜世紀の決断の評価

 今回の日本シリーズにおける落合監督のこの完全試合を前にした山井投手に対する決断に対しての評価はどのようなものだっただろうか。

 これについてはマスコミやプロ野球解説者などスポーツマスコミにおける評価はご存知のように大きく二つに分かれている。

 それでは、まず歴史的な記録を前にして夢をたたれた山井本人はどう思っているのだろうか?

 彼は試合から数日たってマスコミにこうコメントしている。「完全試合は投げている時は意識しなかった。谷繁さんがスライダーを引き出してくれた。感謝です」と謙虚に振り返る。

 8回を終えてベンチに戻ると森投手コーチから「体力的にどうや」と聞かれ「代わります。」即答した。

 「この試合は個人記録は全然気にしていません。勝利が優先。ボクも岩瀬さんに投げて欲しかった。」とケロッとしている。

 野球関係者の中では実に様々である。解説者の張本勲氏は、落合監督の決断は勝つためには当然の判断とした上で、「打者出身の者は落合監督に賛成で、投手出身の者は反対が多い。特に気の強い投手ならば何があってもマウンドに上がるだろう。それくらい完全試合は投手にとってはロマンだから。」と述べている。

 今回破れた元日本ハム監督の大沢啓二氏は「結果として勝ったのだから非常に素晴らしい決断だった。将は結果がすべて。」とのべている。

 落合監督に直接インタビューした江川卓氏は「最後は岩瀬じゃないとチームのまとまりがつかない。皆が納得する選手で最後は締めくくるべき」と賛成である。

 これに対して反対意見の代表として東北楽天の野村監督は「監督が10人いたら10人とも替えないのでは」と発言。

 また北京五輪野球日本代表監督の星野監督は「私だったら投げさせていたと思う」とするものの、「思い切った決断だった」と一定の理解を示している。

 一方かつて日本シリーズを征し日本一となった名将といわれた監督たちの判断はどうだろうか。

 元西武監督で清原、秋山、工藤、松沼らを育て上げ西武の黄金時代を築き、日本シリーズの大舞台での勝負の厳しさを知り抜いている森祇晶氏はこう語る。

「公式戦ならば迷わず続投だろう。しかし、53年ぶりの日本一が目の前まで来た。落合監督は私情を捨て、チームの悲願を確実とする采配に徹した。よくぞ決断した。おそらく過去2度の日本シリーズに(ピンチの場面で温情策をとって続投を選んで打たれた)負けた経験が、監督の決断を後押ししたのだろう」と。

 さらにWBCで世界の野球の厳しさを知り抜いている福岡ソフトバンクの王貞治監督、またかつてヤクルト、西武で監督を務め常勝軍団への基盤を作り上げた広岡達郎氏らは勝利の厳しさを知るものとして、落合監督の決断は当然の采配と断言している。

 11月13日、落合監督は、プロ野球界最高の賞である正力松太郎賞を選考委員会の満場一致で受賞した。

 その際、選考委員長であり、かつて巨人のV9を成し遂げた歴史的名監督、川上哲治氏は、「正力さんはいつも『勝負に私情をはさんではいかん』と言っておられた。日本シリーズでも勝つことに徹する強い信念が感じられた」とコメントし大変高く評価している。

 このように過去何度も日本シリーズを経験し勝負の厳しさを知り抜いた名将たちは、落合監督の決断は正しい、いやそれは勝つことがすべてのプロの世界では当然の決断だと皆共通に言い切る。

 在京のスポーツ各紙やTV局は「非情の交代」 と報じたが、それでは実際にテレビで見ているファンはどう思っているのだろうか?

 これに対して、各スポーツ誌が実際に行ったインターネット上での緊急アンケートでは、意外なことにマスコミでの報道に反して、賛成が反対を少し上回るという結果であった。

 つまりファンはマスコミの報道内容とは異なり、見ているところはきちんと見ていると言えるだろう。ここでも落合監督の決断が評価されていることが分かる。

 それでは最後に落合監督が経営者、指導者として最後まで意識した『お客様』である地元名古屋を始め全国の中日ファンのファンの反応はどうだっただろうか?

 在京、在阪のマスコミや解説者とは異なり、実際に球場に足を運び選手のグッズを買いファンクラブに入って、中日ドラゴンズという球団の売上に直接貢献してくれるのは、彼ら全国のドラゴンズのファンである。

 プロとしての収入の多くはこうしたファンの支払うお金であり、選手や監督、コーチの年俸もここから出ている以上、彼らにとってはお金を払ってくれる『本当のお客様』である。

 選手がグランドで素晴らしいプレーや感動的な試合を行うことで、さらにファン層は広がり売上も拡大するのである。

 それではその『本当のお客様』の反応はというと、53年ぶりの優勝、日本一に町中が沸き、この落合監督の決断を心から歓迎している。

 従来、落合監督に冷ややかだった一部地元マスコミや、彼に批判的だったドラゴンズOBの解説者も目の前で大きな成功を見せ付けられ、53年ぶりの日本一に沸き返るファンを前にしては、もはやなすすべはなかった。

 昨日まで落合はけしからんと言っていた輩が、掌を返したように、『さすが落合監督』ともろ手を上げて高く評価しているのである。

 現役時代から実績を残すことで世間の批判や雑音を封じ込めてきた落合監督ならではのやり方であり、彼の『お客様第一』の判断は正しかったことが明らかになった。

 今回の落合監督の決断にあれこれ批判しているのは、中日ドラゴンズとは直接関係のない、在京、在阪のマスコミや解説者が中心ということである。

 多くのファンも勝負の厳しさを知るプロの目も落合監督の決断は正しいと判断し、実際にお金を払う『本当のお客様』にも勿論大いに評価されていることがこのことで分かると思う。

 さてそれでは落合監督の決断を通じて見たとき、『指導者とはいかにあるべき』だろうか。私たちはそこから何を学びとるべきだろうか。今回の研究で以下の9つの条件が浮かび上がる。

【落合監督に見る指導者の9つの条件】

(1)『53年ぶりの日本一』という経営理念、基本方針、「お客様」であるファンを含めたチーム全体のミッションを明らかにする。

(2)その上で一番勝つ確率の高い手段をとる。岩瀬という絶対的な勝利の切り札を使う。

(3)厳しく合理的な判断を行った後に選手一人一人に「心からの情」をかける。選手の立場に立ち目先の記録もさることながら選手個々の人生のことを考える。

(4)私心を捨て、一度決断した上は、迷うことなく実行する。

(5)決断した以上、すべての責任は一切指導者自らがとる。挑戦した選手を責めたりはしない。

(6)マスコミその他周囲のの批判はすべて甘んじて受け入れる。

(7)手柄は独り占めせず、まずがんばった選手を誉める。特に山井だけでなく岩瀬の殊勲も讃える。

(8)勝負は下駄をはくまで分からない。念には念を入れ詰めを怠らない。

(9)勝つためには常に私情を捨て非情でなくてはならない。

 以上が今回の落合監督の決断から見られる「指導者の9つの条件」と言えよう。特に指導者は結果責任を求められる。

 仮に山井に代えて出した岩瀬が打たれていたならば指揮官である落合監督が全責任を負うのは当然である。その上でどうすれば少しでも勝利に近づけるか考えるのが指導者である。

 また松下幸之助も「合理的判断の後に情(なさけ)をかけよ。」というように、まずは勝つために非情になるところは徹底すべきである。

 しかし、それで終わったのでは人はついてこない。あくまで選手の人生という長期的視野にたって、その人のために何が大切かという深い愛情が必要だ。それでこそ、選手は指導者を人間として慕い尊敬し従うのである。

 山井に対して厳しい対応をとった落合監督。しかしこの試合に命をかけ、血で染まった指を隠し、痛みを堪えて投げ抜いた山井こそこの試合一番の功労者だということを知り抜いているのも、指揮官たる落合監督の他には誰もなかった。

 日本一を決めたこの試合の記念となるウィニングボール。普通ならば勝利監督の落合監督か、あるいは胴上げ投手の岩瀬投手の元に届けられるはずだが、この日は違っていた。

 この日の最高の功労者として山井投手に渡されている。「みんなは一人のために、一人はみんなのために。All for One, One for all。」

 これこそが、オレ流監督、落合博満監督の指導方針の現れなのである。


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【経営】指導者研究『落合監督』(その3)〜非情采配裏側の真実

 『もしクレオパトラの鼻が低かったら歴史はどう変わっていただろうか?』

 歴史に『もし◯◯だったら』という議論がよくあるように野球にもこの種の議論はよくなされる。

 『もし自分があの時落合監督の立場だったらどう決断していただろうか?』

 『もし山井があのまま投げ続けていたとしたらどうなっていただろうか?』

 『もしあれが山井でなくエース川上だったら落合監督は代えていただろか?』

 今回の日本シリーズではこの『もし』が何度巷で騒がれたことだろうか?それほどまでに世間の注目を集め物議をかもした日本シリーズだった。

 長いプロ野球の歴史の中でもかつてない出来事であった。

 2007年プロ野球日本シリーズ第5戦、地元名古屋ドームで3勝1敗と53年ぶりの日本一にあと1勝と迫った、中日ドラゴンズ。対するは前年の覇者、北海道日本ハムファイターズ。

 第1戦に先発したエース、ダルビッシュと肩の故障で長くブランクのあった山井の先発で試合は始まった。

 試合は2回裏、中村紀洋のセンターオーバーの二塁打、平田の犠牲フライで1点を中日が先制。

 その後はダルビッシュ、山井ともに譲らす、中日1点リードのまま手に汗握る投手戦を展開。

 中日先発の山井は得意のスタイダーが冴え渡り8回まで24人の打者を完全に抑え、一人のランナーも許さない完全な試合。

山井

 残り三人抑えればプロ野球史上初、本場アメリカ大リーグでも一度もない、日本シリーズでの完全試合を達成する所まできていた。

 先発投手の8回パーフェクトピッチングは日本シリーズの新記録(過去の最高記録は村山実(阪神)、佐々岡真司(広島)が樹立した7回1/3)である。

 9回表、球場の中日ファンから山井の続投を望む山井コールが湧き起こっていた中、落合監督は、ストッパー岩瀬仁紀への継投策を取った。

 それは日本シリーズ史上初の完全試合という金字塔への挑戦権をも“放棄”する決断だった。

 最後は守護神・岩瀬が3人で締め、継投による完全試合(参考記録扱い)を達成。日本のポストシーズンゲームにおける完全試合及びノーヒットノーランの達成は初めてであった。

 翌日の新聞は一斉に落合監督の『球史に残る非情采配』と書き立てた。しかもファンの間でも『私なら投げさせた』、『いや勝負はあれくらい非情にならなければ勝てないのだ』と賛成、反対の意見が真っ二つに別れた。

 プロ野球史上『球史に残る世紀の意思決定』。さてあなたならこの場合どちらの判断をとったであろうか?山井の続投か、それとも落合監督と同じ岩瀬へのスイッチか?

 正直判断の別れるところだろう。プロの解説者の間でも大きく判断は別れている。

 日々意思決定に追われる経営者。その判断次第で組織の命運を決する場合も多い。しかも貴方が誰にも相談出来ない最高意思決定者ならばその決断に当たっての重圧は計り知れないものである。

 ここではあの状況の中で落合監督は何を考えどう決断したのか?彼のインタビューや実際に彼自身書いたものをもとに、あの世紀の意思決定の裏側の真相に迫ってみることで指導者としてのあり方を探ってみることにしたい。

 まず色々分析を進める前に物語の主人公、山井大介投手がどんな投手なのかを見てみることにしよう。以下が彼のパーソナルデータである。

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■山井 大介(やまい・だいすけ)

山井ガッツ

【経歴】
 1978(昭和53)年5月10日、大阪府生まれ、29歳。神戸弘陵高から奈良産大、河合楽器を経て、2002年ドラフト6巡目で中日入団。1年目に6勝を挙げた。今季は14試合に登板、6勝4敗0S、防御率3.36。通算成績は5年間で84試合に登板、17勝13敗1S、防御率3.81。1メートル77、81キロ。右投げ右打ち。既婚。血液型はA型、趣味はドライブ。年俸1900万円。背番号29。

【素顔の山井大介】
 サングラスを着用している風貌がウルトラセブンにそっくりなため、ネット上ではそれがそのまま愛称となっている。球種は少ないがスライダーのキレには定評があり、直球と組み合わせてコントロールよく投げ込む。

【ここ数年の山井】
 05年はわずか3勝。昨年06年は右肩を痛め一軍登板はなし。オフに結婚したが、契約更改は合宿所でという二軍扱い。背水で迎えた春季キャンプでも、二軍のウエート室にこもり地道なトレーニングを続けた。
 その成果があって後半戦から復帰し、9月に登板5試合で4勝1敗、防御率3.00の好成績を上げ月間MVPを受賞して今季6勝。
 長年期待されながらここ数年は怪我に泣かされ、今シーズン、得意のスライダーを武器にようやく一本立ち出来たところだった。

【最近の山井の状態】
 2007年のクライマックスシリーズでは第2ステージ第1戦での先発予定も右肩痛再発のため回避し、この日本シリーズでも登板を危ぶまれていたが、なんとかこの日の第5戦に間に合い登板したが長らく投球間隔が空いていたため、首脳陣もこの日の投球を見るまでは不安があった。

【これまでの活躍】
 落合監督はインタビューの中で山井についての印象についてこう答えている。 『彼のこんな活躍を見たの僕が監督になってから3回目でしょう。
 最初は2004年、優勝争いが激しさをますペナントレース終盤の広島戦、ローテーションの谷間で左の長峰とジャンケンで先発を決めて好投した試合。

 そしてその年の日本シリーズ西武ライオンズとの第4戦に、大方の予想を裏切りまさかの完封をした試合。この2試合しか記憶にない』と語っている。

【年度別成績】
2002年 6勝3敗(率)3.93
2003年 0勝0敗(率)4.76
2004年 2勝1敗(率)3.33
2005年 3勝5敗(率)4.13
2006年 怪我で登板なし
2007年 6勝4敗(率)3.36
通算 17勝13敗(率)3.81

【投球した山井の言葉】
 「去年や前半戦のことを考えたら、こんな場所に立てるなんて…。いろいろな人に、感謝の気持ちしかないです。」

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 このデータを見る限り、正直彼のこの日の好投は本人は当然、監督、コーチの誰もが想像しなかったと言える。

 しかも試合後、この交代について山井本人がインタビューの中で、個人の記録達成は眼中になかったこと、4回にマメ(肉刺)がつぶれたことや握力が低下していたことに加え、「最後は岩瀬さんに投げてほしい」という気持から自ら降板を申し出たことを明らかにしている。

 また、落合監督も山井交代は手のマメ(肉刺)をつぶして出血していたことと右肩痛が再発してクライマックスシリーズへの登板を回避していたことだと説明した。

 後日落合監督は記者からのインタビューでの質問にこう語っている。


【落合監督インタビュー】
 「あそこは一点差の場面。一つ間違うと流れが向こうに行ってしまう大事な局面でした。だから岩瀬へのスイッチについては全く迷いはありませんでした。世間がこれほど大騒ぎするとは私の方が驚いているくらいです。」

 「みんなが完全試合を見たいのは分かる。オレだって見たい。でも山井のここ(ユニホームの右太もも部分)の血を見たら…。本人が『ダメです』と言ったらしょうがない」(注:山井は4回から血豆をつぶし皆には内緒で痛みを必死にこらえて8回までマウンドにたっていた。)

 「完全試合といってもそれは個人の記録でしょ。それも大事かも知れないが、我々のお客様であるドラゴンズファンにとっては日本一こそ最大の望み。そこのところを天秤にかければ迷うことなく当然の判断です。だから一切迷わなかったですね。」

 「仮に彼にマメが出来ていなくても同じ判断をしてたでしょうね。ただし、彼もあそこまでもたなくて、5回か6回で降板してたんじゃないですか。皆で日本一を目指す日本シリーズという大舞台だからこそできたんですよ。そういう意味では山井は本当によく投げました。」

 「あの時山井じゃなくて、エースの川上が投げていても判断は同じです。岩瀬に代えていますよ。でも川上だったら自分から岩瀬に代えてくれといってくるでしょうね。」

 「それほど岩瀬はうちにとって大事な存在だし、彼を最後に持ってくることを前提にすべてのゲームプランを立てているわけですから。」

 「山井には来年、再来年がある。それでなくても右肩を悪くしてこの2年放れていないんだ。あれで『行け』といって肩をぶっ壊したらアイツの野球人生は終わってしまう。指導者としてそれは出来ないでしょう。」

 「それより岩瀬をもっと評価してやってくださいよ。パーフェクトの試合を引き継いで出ていくわけですからね。その重圧はとんでもないほど大きい。それを表情一つ変えずに抑えるんだから岩瀬は大したものです。もっと評価されてもいい。」

 「もしあそこで岩瀬を出さずにいてその後北海道に行って3連敗でもしていたら、何故あの時岩瀬を出さなかったということになる。出していてもこうして色々言われる。」

 「だから何をやっても言われるけど、日本一になって文句言われるならいいじゃないですか。ファンであるお客様たちは一番そのことを望んでいたわけだし。」

 「マスコミが色々言うのは分かります。ベンチの中のことを知らないんだから、それはそれで仕方ないことですよ。色々言われることには慣れてますから。」

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