【経営】指導者研究『鈴木清一』(その1)〜ダスキン創業物語
中国製の毒入冷凍餃子の影響で食の安全がもう一度真剣に見直されている。
思えば最近は赤福、船場吉兆、日本ハム、古くは不二家、雪印とここのところ老舗と呼ばれる会社の不祥事が後を絶たない。
厳しいノルマに追われる現場と創業以来の伝統や経営理念の狭間で追い込まれて、やむにやまれず起こしてしまったのだろうが、随分後味が悪い。
二度と起きない『仕組み』の構築と同時に、働いている各自がもう一度、経営の原点に立ち返る必要があるだろう。
かつて私が取り組んだ松下電器の全社改革も創業者がなくなって時間がたち、経営理念が形骸化したものをいかに立て直すかが一大テーマであった。
その意味では、日本中がもう一度経営の原点に立ち返る必要があると言えよう。
今回指導者研究で取り上げるのは、かつてテレビのコマーシャルの金さん銀さんで話題になったダスキンの創業者である、鈴木清一さんである。
おそらく経営理念や経営の原点を考える上で、この方ほど相応しい経営者は他にないだろう。
ダスキンが経営するミスタードーナツ自体が、この経営の原点を忘れ、ここのところ何度も食に関する不祥事を起こしているだけに、創業者の理念を振り返ることはダスキン自体にも大きな意味があることだろう。
実は松下幸之助の若いときの講演で『業即信仰』というものがある。下記のアドレスから実際の幸之助さんの貴重な肉声がお楽しみ頂けるので、まずはお聞きいただこう。
松下幸之助さんの肉声はこちらから→【業即信仰】(『商いのこころ』より)
いかがだっただろうか?実はダスキンの鈴木清一さんはこの【業即信仰】という言葉を、『祈りの経営』と称して、正に現実の経営の舞台で実際に実行した稀有な人物なのである。
その証拠に今でもダスキンは誰もが知る有名企業でありながら、毎日会社で祭壇に向かってお祈りが行われる。
さらにまた、従業員のことは『働きさん』。お給料のことは『お下がり』、ボーナスのことを『ご供養』と社内では真顔で呼ぶ。
こんなユニークな会社は滅多にお目にかかれないだろう。
まずはダスキン創業者、鈴木清一さんがどんな方なのか簡単にプロフィールを見てみることにしよう。
━━━【鈴木清一プロフィール】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
写真:ダスキン創業者鈴木清一氏 1911(明治44)年、愛知県碧南市に生まれる。東京・中央商業学校を卒業後、川原商店に入社。肋膜を患い養母の愛情に救われてからその影響で金光教に入信。1938年、一燈園に身を投じ托鉢求道の生活に入る。1944年、ケントク創立。以後「道と経済の合一」を願う祈りの経営について生涯を通じて追求する。1963年、ダスキン創業。フランチャイズシステムによって画期的な流通組織を確立、おそうじ用具のレンタル事業を全国展開する。1971年、ミスタードーナツ事業の導入をはじめとする多角化によって、わが国初の複合フランチャイズ企業の道を開き、ダスキン企業集団を率いた。1980年、68歳で死去。
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実は今回鈴木清一さんを取り上げるに至ったのは、奇妙なご縁があった。
(1)ダスキンの本社は私の事務所から徒歩3分で、ともに大阪府吹田市の江坂にあること。
(2)私も鈴木清一さんも同じ愛知県出身の同郷である。
(3)ダスキンの創業が1963(昭和38)年2月4日であり、私の誕生日1962年12月28日とほぼ2ヶ月違いなこと。→今年で満45才です。
(4)私の師匠である松下幸之助も鈴木清一さんと同様、若いときに結核で死ぬ寸前まで行きながら、命拾いして元気になった強運の持ち主であること。
(5)松下もダスキンもともに『世のため人のため』という強固な創業者、経営理念に支えられている。
(6)松下幸之助も松下教と揶揄されるほど宗教色が強かったが鈴木清一さんのダスキンも負けず劣らず宗教色が極めて強いこと。
以上のように不思議に共通点が多かった。それがある場所で偶然鈴木清一さんのビデオを何本も観ることが出来、それ以来すっかりとファンになってしまった。
本日からしばらくの間この鈴木清一さんの特集をお送りしたいと思います。乞うご期待!
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ダスキンの創業の地に立つ記念碑
ダスキン本社ビル
ダスキンの創業の地に立つ記念塔

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