【経営】指導者研究『鈴木清一』(その4)〜裸一貫からの出直し
『狭き門より入れ』(新約聖書マタイ福音書第7章第13節)は聖書の中の有名な言葉である。 信仰の世界においては誘惑か多い安易な道でなく、己の欲望を厳しく律する狭い道を敢えて選択せよ、という教えである。 これが宗教の世界のことならば理解も出来るが、厳しい利害の対立するビジネスの世界でとなら話しは違ってくる。 しかし、ここに『得と損の二つの道があれば私は敢えて“損の道”を取る』と断言する経営者がいたとしたら、あなたはどう思うだろうか? それもビジネスの世界で破れ、無一文の丸裸になった経済的に一番辛い時期にこの言葉を信念を持って語ったとしたら? ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ エバンス博士と出会い、またその紹介で知り合った人から思いもよらず、ダスキンの骨格となる技術を無償で手にした鈴木清一さん。 すべてが順風満帆に行っているかに思えたのだった。 彼の技術力の高さと経営のユニークさ、素晴らしさはマスコミにも多いに取り上げられ、彼の企業『ケントク』は有名な企業へと成長していた。 そんな時、アメリカで当時一番のワックスメーカーだったS・C・ジョンソン社から提携の申し出があった。 これに感激し承諾した鈴木清一さんは契約を行うことになった。しかし元来生真面目一本で経営してきた鈴木清一さん。 資本の力を背景に、何事も金、金、金のアメリカ流のやり方は根本的に合わなかったのだ。 そして副社長として乗り込んできたハロルド・ディーンなる人物にいいように会社は操られてしまう。 ことあるごとにアメリカ流のやり方を押し付けるディーン副社長。 すべての権限を取り上げられて、もはや社長とは名ばかりだった鈴木清一さんはイエス、イエスと言うことを聞くしかなかったのだった。 とりわけ創業以来、会社を束ねる柱として続けてきた『勤行』という『般若心経』を読む朝晩のお祈りも非合理だとして止めさせられてしまった。 真面目一筋でやってきた鈴木清一さんにとって、これは正に晴天の霹靂と呼ぶしかない出来事だった。 とうとう彼はついに彼が創業したケントクの代表の座から追われ丸裸となってしまう。 そして1963(昭和38)年、ダスキンとして、私の事務所のある大阪府吹田市江坂の地で、新しく裸一貫から出直すことになる。 鈴木清一さん51歳の歳のことである。当初、社名を『株式会社ぞうきん』にしたかったそうだが、ダストコントロールとぞうきんの造語で『ダスキン』とつけられた。 しかし、この裸一貫からやり直しを行った創業者の精神を賞し、『脱(だつ)』『皮(スキン)』でダスキンとする意味も加えられた。 新たに始める吹田の工場の資金は従業員が貯めていた、わずかばかりの退職金を借りて充てている。 鈴木清一さんはその時のことをその著『鈴木清一のことば』(ダスキン発行)の中で自らこう語っている。 『私が丸裸でケントクを追われた時、働きさん(従業員)たちは自分のもらった退職金とかつて私が分けてあげた1500万円を「社長さんに預けます」と言って私に差し出してくれました。』 『忘れもしません。昭和38年11月16日、私はこの働きさんたちからの借金で大阪の吹田に工場を作ったのでございます。』 『真っ黒になった雑巾をきれいに洗ってクスリをつけるというクリーニング工場です。これが現在のダスキンでございますが。』と。 この時の工場で使われた洗濯機は現在、ダスキンの社内向け、およびFC店向けの研修が行われている『ダスキン誠心館』の中に新しく作られた資料館に収めされている。 私もダスキン本社広報と誠心館館長など関係者の方々のご厚意で特別に見学させてもらったが、ずいぶん時代を感じさせるものだったが、今でも動くそうでビックリした。 アメリカ製の機械なのだが何故かモーターは日本製だった。大きさはよくコインランドリーで見掛ける業務用のものをドラムだけむき出しにして、少しこぶりにしたくらいのものだ。 ダスキンの歴史を創業者とともに歩いたのだと思い感慨深さを感じた。 さて昔から『縁は異なもの』とはよく言ったものだ。私が大変驚いたのは、実は松下幸之助さんも終戦後1946(昭和21)年GHQによる財閥指定を受け、すべての資産が凍結され丸裸になったのが、ちょうど鈴木清一さんと同じ51歳の時だった。 肺の病から奇跡的に立ち直ったこと、強い宗教色と崇高な経営理念といい、また51歳にしての裸一貫からの出直し。 また、ともに大阪で事業を成功させた創業者だということ、生まれた家はともに貧しく、大学は出ておらず商ない(あきない)の道で修行していること。 そしてお二人ともに明治の生まれだということといい、二人の共通点は驚くほど多くビックリさせられる。 いずれにしても、この裸一貫になった時の言葉が冒頭の『われ損の道をとる』という言葉だから、さらに驚きである。 彼自身がこの言葉の意味を下のように解説している。 『利害がからんだ時、自分の立場からは、あえて「損の道をゆくこと」を選びます。 この表現は、よく世間でいう「損して得とれ」という次元の表現ではありません。 企業の中の人間は、ともすれば経済的合理性の追求一本槍となって、人間全体を見失いがちですが人間性を何よりも大事にしたいのです。』と。 自分の取った選択に信念と本当の自信がなければ、ビジネスに破れ、矢折れた状態で断言できる言葉ではない。 『祈りの経営』とは我々凡人にははかり知れねほどの精神的な強靭さを鈴木清一さんにあたえたようである。
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写真:ダスキン誠心館

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