【経営】指導者研究『鈴木清一』(その3)〜エバンス博士と祈りの経営
さて一燈園から自宅に帰った鈴木清一さんは以前とは別人のように生まれ変わった。
強い信仰心から生まれる信念と持ち前のアイデアマンの特長を活かして、まさに破竹の勢いで活躍するのだった。
その後の彼の足取りをおってみるとひと目でおわかりいただけるだろう。
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1939(昭和14)年
戦争で輸入困難となった蝋の代用品として「URワックス」を開発。
1940(昭和15)年
さらに本格的な代用蝋「高度ワックス」を開発。日本の特殊蝋開発の第一人者として名声が高まる。
1942(昭和17)年
川原商店勤務の傍ら、「高度ワックス配給協議会」専務理事として全国の関係者 200余名を集めた懇談会を開催。さらに「高度ワックス」を原料として日本初の板の間用艶だしワックス「ビギーナ」を開発。
1943(昭和18)年
西田天香氏に随行旅行。帰国を期に「道と経済の合一」の実現をめざす独立開業を決意。
1944(昭和19)年
ツヤ出しワックスが水溶性切削油になるヒントを得て、争いのない“拝み合いの会社”をめざすユシロ航空油剤製造株式会社を設立。祈りの経営の第一歩。
1945(昭和20)年
終戦とともに亡き友人の法名“一燈園謙徳恭像居士”から社名をケントク産業株式会社と改める。
1950(昭和25)年
株式会社ケントクと改名し、本社を愛知から大阪に移転。“板の間廊下のツヤ出しケントク”を積極的に売り出す。
1958(昭和33)年
ビルメンテナンスや清掃用品の販売を行う株式会社ケントク新生舎を設立。
1959(昭和34)年
キリスト教精神に基づく企業の民主化を進めるDIA運動の創始者エヴァンズ博士の講演に感銘を受ける。
写真:エバンス博士
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このエバンス博士との出会いこそ鈴木清一さんにとってその後のダスキンにおける飛躍と『祈りの経営』をさらに深める決定的なものとなった。
メルビン・J・エバンス博士(1890〜1968)は、アメリカ、ウィスコンシン大学卒業。哲学博士。長年のビジネス経験から企業の運営は人、とくにリーダーの人間性にあるとしてキリスト教精神にもとづくDIA (Democracy In Action)運動を提唱した人物。
この運動は民主的な人の扱い方を通じて、そこに働く従業員の企業に対する協力を強めようとする運動である。
鈴木清一さんは奈良で開催されたセミナーでエバンス博士と初めて出会う。
実はその後、鈴木清一さんは1961(昭和36)年DIA出席のため渡米。
エヴァンズ博士から紹介されたカナダのメンデルソン氏と友情を結び、無償でダストコントロール事業の技術を伝授されるのであった。
これこそが後のダスキンの事業の骨格となる。帰国後ただちにダストコントロール事業に着手。
活性剤を用いて繊維に油類を吸着させる「含油繊維の製造方法」を特許出願し、商品試作にも成功して現在のダストコントロール商品の原形となる商品が誕生するのだった。
このエバンス博士との運命的出会いにおいて鈴木清一さんは大きく二つのものを学んだ。
一つは『幸福の4条件』というエバンス博士の理論であり、DIA (Democracy In Action)運動のもとになる考え方である。
『人間が生きていくには4つの要素が必要である。それは(1)仕事(2)家庭(3)趣味。最後に(4)宗教、つまり祈りである。どんな人も宗教、宗派のいかんに係わらず神への祈りは最も大切なことである。』
さらに鈴木清一さんがエバンス博士から学んだもののもう一つは『42番目の赤帽さん』という宗教の大切さについての具体的な事例であった。
このお話は下記のようなものだった。
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“42番目の赤帽さん”
(『ダスキン創業物語』岡本学著、ダスキン祈りの経営研究所発行より)
42番目の赤帽さんというのはニューヨークのグランドセントラル駅で働く黒人労働者、ラルストン・C・ヤングさんについての実話であった。ちなみに42番は赤帽荷役係の固有番号である。
彼は優秀な成績で大学を卒業し、一流会社で知的労働につくことを希望した。
早速各方面に就職依頼の手紙を書き送ってみると、ある企業から返事がきた。
しかし喜び勇んで出掛けた彼を待っていたのは、“黒人”への偏見からくる白人受付嬢の冷たい態度であり、困惑した人事部長の丁重な断りの言葉であった。
やむなく彼は赤帽荷役の仕事につくことになった。
仕事に興味は持てず、彼の態度は投げやりになり、仲間のいない生活空間は次第にしらじらしいものになっていった。
そういうとき教会に通っていた彼の心を一変させたのは新訳聖書の中の言葉、
『汝らの仇を愛し、汝らを責める者のために祈れ』(マタイ伝第5章)であった。
彼は自分を“黒人”とさげすむ相手でもこちらから積極的に愛することはできる、と考えた。
自分に荷物を持たせてくださるお客様のために祈ろうと彼は決意したのだ。
ある日手押し車に乗った老婦人が客になった。彼は祈った。
『神様、このおばあちゃんがお恵みを豊かにお受けになりますように・・・・・』
ふとみると彼女は肩を落として泣いている。彼はなおも祈り続けた。するとまったく自然に神に導かれたような言葉が口をついて出てきたのである。
『おばあちゃん。あなたの着ていらっしゃる服、それはなんて素晴らしいのでしょう。よほど高価なものか、それともどなたからのプレゼントでしょうか?』
一年後、見知らぬ四十がらみの婦人が彼を訪ねてきた。
『42番の赤帽さんはあなたですね。一年前、手押し車であなたに大変ご親切にしていただいたのは私の母です。』
『母はその後、会う人毎にこのグランドセントラル駅の42番の赤帽さんの深いご親切について語り続けていました。』
『母は先だって亡くなりましたが、生前あの時どんなに嬉しかったかを、もしもニューヨークに出かけることがあったら、あの赤帽さんにお会いして伝えて欲しいと頼まれていました。今日は母にかわってお礼を言いに来たのです』と。
この後、42番目の赤帽、ラルストン・C・ヤングさんは感激し仕事に打ち込み最後は大勢の人前で講話をするまでになったのだった。
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この話しに感激した鈴木清一さんはエバンス博士を自分の会社に招き、社員の前でこの42番目の赤帽さんの話を紹介した。
鈴木清一さんにとっては一燈園でのトイレ掃除の厳しい托鉢修行以来、自らの追い求めて来た『祈りの経営』について理論的に裏付けられた思いで意を強くしたのだった。
さらに42番目の赤帽さんの話はまさにその具体的な事実として鈴木清一さんの胸に強く刻み付けられたのだった。
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写真:ラルストン・C・ヤングさん

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