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2008年3月2日 - 2008年3月8日

2008年3月 8日 (土)

【経営】指導者研究『鈴木清一』(その7)〜今問い直す本物の経営とは?

 鈴木清一さんの『祈りの経営』とは大変厳しい『献身』がなければ、本当ではないことがお分かりいたたけただろう。

 この見返りを求めない『献身』を理解しないと信仰から来る喜びや感謝の気持ちも真に分かったことにはならない。

 それでは鈴木清一さんが『祈りの経営』によって追求しようとした『本物の経営』とは一体なんだったのだろうか?

 ここで少し視点を変えてそもそも『経営』というものの本来の意味を少し考えてみよう。

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 皆さん、国語辞典で『経営』という言葉をひいてみたことがあるだろうか?

 普通、企業経営やマネジメント、管理としての意味が一番に出てくると思うのだが意外に違う。

 まず最初に出てくるのが(1)土地を測量し、土台を据え、目標を定めて建築すること、とある。

 二つ目が(2)方針を定め、組織を整えて、目的を達成するよう持続的に事を行うこと。

 この(2)の意味が企業に使われて初めて、会社事業を営むという意味が出てきたということである。

 もともと『経営』の『経』の文字は『お経』の経、東経何度・西経何度というときに使う、縦糸という意味だ。

 何千年たとうが変わらない真理のことを『経』というのだ。

 このことは四国八十八ヶ所一番札所霊山寺の芳村超然住職も『雪のお遍路さん(試作版)』の中で詳しく触れられているので、是非ともご覧頂きたい。

 一方『経営』の『営』という字は、現実の私たちの生活、営みを指す。時には泥々したシガラミや利害対立など理屈だけではなんともならない世界での営みを意味する。

 つまり、本来の意味の経営とは仰いで天の意思に反することなく理想を目指しつつ、一方でどろどろした現実を踏まえた人間の営みのことである。

 歴史的に見ても、西洋では経営の始まりを16世紀の東インド会社とするが、我が国では異なる。

 古くは古事記や日本書紀の世界まで遡る。高天ヶ原という天の国にいた、天照大御神(あまてらすおおみかみ)からニニギの尊が天孫降臨でこの地上に降り立った時まで遡る。

 この時、有名な三種の神器とともに、天照大御神自らが、育てていたとされる『種もみ』を受けたのであった。

 この種もみを植えて、稲を育てる。これが我が国における稲作の始まりとされる。

 さらに採れたお米を神嘗祭(にいなめさい)に神に捧げ、高床式の倉庫に保管し、村全体で、神に使える神官の『管理』のもとに、生産、蓄積・保管し、分配した。

 これが我が国の『経営』の始まりである。また、そうした『神から仕かわされた命を行う事』として『仕事』という言葉が生まれたのである。

 これが日本における『経営』の定義であった。

 西洋流の貨幣経済の考え方が入ってきた明治時代以降、物質主義の行き過ぎとも相まって、『経営=金儲け』という愚かな価値観が生まれてきたが、それ以前の我が国では『仕事』や『経営』とは神に仕える厳粛なものだった。

 このことでもうお分かりだろう。実は鈴木清一さんの『祈りの経営』こそが日本における本来の経営のあり方に他ならないのである。

 ところが明治時代以降の貨幣経済、ひいては『金儲け万能』の世の中が、逆に我々の感覚を麻痺させ狂わせてしまったのだ。

 さてかつて『お客様は神様です。』という三波春男さんの有名な言葉があった。

 色々な解釈が成り立つのだろうが、この言葉を日本古来の考え方に基づいて考えるのなら、鈴木清一さんの目指したものも深く理解出来るはずである。

 鈴木清一さんの『祈りの経営 鈴木清一のことば』という本の中に『人につかえる』という次のような文章がある。

★★★★★★★★★★

『人につかえる』

     鈴木清一

 「人を助ける」とは思い上がりもはなはだしい、と気付いたときに「人につかえる」まして商売人の私は「お客様につかえる」のだ、と思ったらうなずけました。

 自主的に、自発的に「人につかえる」即ち「人様のお世話をする」自分になろう!

 なんだ、かんだ、とうまいことを言っても自分がかわいいために、自分の好きなことをしたいために、他の人をせめているのでないかという反省。

 それよりも、ざっくばらんに、どうぞ許してください、どうぞやらせて下さい。

 その代わり自分だけが喜ぶのだけではなく、私で喜ぶのならば、あなたのためにも、多くの人のためにも、私の生きている限りは「喜びのタネ」をまいてみたい。

★★★★★★★★★★

 実に鈴木清一さんの本音が出た素直な文書だと思われる。

 宗教なり信仰から考えると世のため人のためと、偉そうに大上段から人を見下ろして、「人を助ける」などと思い上がってしまう。

 しかし、所詮人間。欲もあれば弱さもある。こんな私でも商人として「お客様につかえること」は出来るはずだ。

 ならば嫌々つかえていても面白くはない。裏も表もなく「ざっくばらん」にやらせてもらおう。

 そうすれば自分にとっても最高に喜びである。それ以上に相手の人にとっても大きな喜びである。と。

 ここには見栄も外聞も偉そうなところは何もない。さらに偽善者ぶったところもなにもなく、素直にほっと出た言葉なのだろう。

 おそらくここからダスキンの企業スローガンである「喜びのタネ」という言葉が生まれたのだろう。

 最後に鈴木清一さんの追い求めた理想、つまり時代が変わっても変わらない『経』はなんだったか?

 最後にダスキンの経営理念を掲げてこの連載を終えることとしたい。どうも長い文章お付き合い有り難うございました。 

合掌

ダスキン経営理念写真:鈴木清一さん直筆のダスキン経営理念


【ダスキン経営理念】

一日一日と
  今日こそは
あなたの人生が
 新しく生まれ変わる
  チャンスです。

自分に対しては
 損と得とあらば
  損の道をゆくこと。

他人に対しては
 喜びのタネまきを
    すること。

我も他も
 物心共に豊かになり
  生き甲斐のある
  世の中にすること

 合掌


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【今回の連載でお世話になった方々と問い合わせ先】
(1)ダスキン本社広報部
 野田朋宏様
(2)ダスキン誠心館館長
 石井善子様

【参考文献】
(1)『われ損の道をゆく』
鈴木清一著、日本実業出版社発行
(2)『鈴木清一のことば』
ダスキン祈りの経営研究所、ダスキン発行
(3)『ダスキン創業物語』
岡本学著、ダスキン発行

*上記書籍に関するお問い合わせ先
 ダスキン本社広報部:TEL 06(6821)5006


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★【最高の年に最高の縁起物を!『雪のお遍路さん』】

2008年3月 7日 (金)

【経営】指導者研究『鈴木清一』(その6)〜『理念なき経営は罪である』

 さて仙涯禅師(1750〜1837)の『□△○』の絵によって、今日の企業経営には

 『政治』=□
 『経済』=○

 とならび『宗教』=△という要素が大変重要だと言うことはすでにお分かりいただけただろう。

 今ここに、鈴木清一さんの『祈りの経営』をさらに深く考える上で大変参考になる言葉があるのでご紹介しよう。

 インドのデリーのラージガードを訪れると非常に美しい記念公園がある。(写真出典)

記念公園写真:デリーの記念公園

 ここにあるのがインド独立の父として知られるガンジーの慰霊碑がある。

ガンジー慰霊碑写真:ガンジー慰霊碑

 この碑文には下記のように記されている

★★★★★★★★★★

【七つの社会的罪(Seven Social Sins)】

【1】理念なき政治(Politics without Principles)

【2】労働なき富(Wealth without Work)

【3】良心なき快楽(Pleasure without Conscience)

【4】人格なき学識(Knowledge without Character)

【5】道徳なき商業(Commerce without Morality)

【6】人間性なき科学(Science without Humanity)

【7】献身なき信仰(Worship without Sacrifice)

★★★★★★★★★★

 マハトマ・ガンディー(1869年-1948年)とは、ご承知のように、インド独立の父として知られ、宗教家であり、政治指導者であった。「マハートマー」とは「偉大なる魂」を意味するという。

ガンジー写真:インド独立の父 ガンディー

 彼は「非暴力・不服従」を提唱した。この思想によりイギリスの勢力に徹底的に抵抗し、多くの苦難の末に最終的に独立を勝ち取った。

 彼も鈴木清一さんと同じように深い宗教家としての境地から発想し行動していた。

 このガンジーの言葉のうちでも特に『【1】理念なき政治』と『【7】献身なき信仰』の2つが一番重要な言葉であろう。

 【1】理念なき政治とはまさに『□△○』の中でいう□の政治には、理念すなわち△としての宗教=真理、理念こそが必要不可欠という意味だ。

 ガンジーもまさに仙涯や弘法大師の考え方に共通しているといえるだろう。

 そしてもう一つ重要なのが、【7】献身なき信仰である。鈴木清一さんの生涯を振り返った時、なんといっても一燈園のトイレ掃除の厳しい托鉢修行を抜きに語れない。

 ガンジーも鈴木清一さんと同様、単なる思想家ではなく、実際の社会の中における活動家である。

 それゆえに、この『献身なき信仰』という言葉は奥が深い。

 つまり、ご利益頂戴や単に手を合わせたり念仏を唱えるだけの信仰は、真の信仰とは呼べない。

 鈴木清一さんの『祈りの経営』とは厳しい現実の中で、自分を犠牲にしてでもという実践としての『献身』が求められるのだ。


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★【最高の年に最高の縁起物を!】『雪のお遍路さん』

2008年3月 4日 (火)

【経営】指導者研究『鈴木清一』(その5)〜□△○祈りの大切さ

 『最大の名誉は決して倒れないことではない。倒れるたびに起き上がることである。』とは孔子の言葉である。

 一旦地獄を見て這い上がってきた人間はそれだけで、とてつもなく力強いものである。

 松下幸之助さんも終戦後の財閥指定による苦難を乗り越えた後は、折からの高度経済成長や三種の神器と言われた家電ブームにものり、奇跡の経済成長を成し遂げた。

 と同時に鈴木清一さんもダスキンの創業後は文字通り破竹の勢いで経済発展を成し遂げた。

 ダスキンのフランチャイズ店の全国展開、ミスタードーナツとの提携、全国展開。そして世界で有名なフランチャイズチェーンに贈られる賞の受賞。

 『喜びのタネをまこう』というスローガン同様、全国に鈴木清一さんの経営思想に共感したオーナーさんや、働きさんと呼ばれる従業員の人々の輪が急速に広がっていったのである。

 私も何本か実際に鈴木清一さんのお話になる姿のビデオを研究したが、最も驚かされたのは、その情熱と気迫に溢れた話し方だった。

 かつて学生時代に雄弁会にはまって学校の勉強はほったらかしにしたほどの人だけに、その話し方は流暢でよどみない。

 初めは宗教家として物静かで穏やかな内向的な人をイメージしていたのだが、明らかに期待は裏切られた。

 彼の語りは宗教家というよりも革命運動の若き指導者のごとき様相である。

 当時としては比較的上背もあり、すっきりスリムな体型で、顎には洒落た白い髭を蓄え、蝶ネクタイなどをつけた姿は英国紳士のようですらある。

 しかし一方で革命運動の若き指導者然とした語り口でエネルギッシュに圧倒する話し方。

 そして滔々と自分の信念と理想を訴える姿は、そこらの金儲け一辺倒の経営者とは全く一線を画している。

 先にお話しした資料館には様々な鈴木清一さんの生前の遺物が展示されている。

 よく観察して見ると、手帳にしろメモにしろ、紙の大きさ一杯にビッシリ文字が詰まっていて、その繊細でデリケートな一面が窺い知れる。

 驚いたのは鈴木清一さんの使った手帳の展示の前にはなんと虫眼鏡がおいてある。それくらい小さな文字がびっしりと詰め込まれているのだ。

 若いときに友人と同人誌を作り自らガリバンを刷って昼夜なく打ち込んだという経験からか、実に多くの文章や詩歌を直筆でしたためられている。

 こうした遺品をじっくりと眺めれば眺めるほど私は一つの確信を得るのだった。

 それは鈴木清一さんの本質は神経質で内気な文学青年であり、壮絶な経験と宗教による祈りの強さによって計り知れね程のエネルギーと信念を『後天的に』身に付けたとしか私には思えないのだった。

★★★★★★★★★★

 さて鈴木清一さんの成功の秘密を色々探ってきたが、その『祈りの経営』から来る信念の強さに最大の秘密があることがわかった。

 しかし生きてこられた時代背景や生い立ちから、『宗教』や『祈り』が重要なファクターであるのは頭では理解できる。

 しかし疑問なのは何故祈りが必要であり、どういう効果があるかということだろう?

 この話をするときにいつも私が思い浮かべる一枚の絵がある。それは下の仙涯禅師(1750〜1837)という江戸時代の臨済宗のお坊さんが書かれた絵である。

Sengai3写真;仙涯禅師作『□△○』

 かつて出光のガソリンスタンドにこのマークが描かれていたことがあるのでご存知の方もお見えになるだろう。

 この絵は出光興産の創業者である出光佐三さんがつくられた出光美術館に所蔵されているものである。

 実はこの絵が何を意味するかは描いた本人の仙涯禅師は何も語っていない。

 そこで出光佐三はこの絵を海外に紹介するとき、自ら広大無辺という意味の『宇宙』を表現しているとした。

 これに対し禅の教えを海外に紹介したことで知られる仏教学者の鈴木大拙はこの絵を『The Univers』として訳した。その結果、海外ではこの絵は『宇宙』として知られている。

 実はこの絵は、四国八十八ヵ所めぐりの第21番札所太龍寺にあるロープウェイにも描かれている。

 これは弘法大師の大師の教えである、

 『政治=□』
 『経済=○』
 『宗教=△』

という本来異質なものが融合して宇宙は成り立っているのだという考えをもとにしている。

 つまり宇宙の成り立ちのすべてを『経営』としてとらえた場合、

 経営=□+△+○

という方程式で表されるということだろう。


 わたしが申し上げたいのは、この『政治』、『経済』、『宗教』の3つの融合という点である。

 松下政経塾という名前のように『政経』というのはよく用いられるが、これに宗教が加わった組み合わせというのは確かに異質なもの同士だろう。

 さてそれではこの弘法大師の教えは、現実の企業経営の世界では一体どのように解釈したらよいだろうか?

 私は下記のように考えている。すなわち企業という一つの宇宙を考えてみよう。

 当然そこにはメーカーならば『開発』、『生産』、『販売』。流通業なら『仕入』、『販売』などのラインの業務が中心となる。

 これに『人事』、『総務』、『経理』などスタッフ系の仕事。

 また『物流』、『情報システム』、『サービス』などの仕事が存在するわけである。

 こうした要素すべてが融合して企業という一つの組織の機能、すなわち『宇宙』が成り立っているといえる。

 しかし、こうして細分化された機能も突き詰めれば、すべて『人と組織の問題』をどうするか?という点。

 それと『お金の問題』をどうするか?という2つの問題に集約出来ると思われる。

 これが弘法大師の教えの『政治→人と組織』、『経済→お金』と置き換えられるだろう。

 誰もがここまでは容易に理解できると思う。

 問題は企業において『宗教』というものをどのように理解するかである。

 これは何のために経営を行うか?という経営理念や企業としての使命(ミッション)や追求すべき真理という要素だと考えられる。

 つまり企業組織における『政治→人と組織』、『経済→お金』の2つの問題ともに相反する異質なテーマだが、これらの問題を矛盾なく解決し、統合するところに『宗教』という要素が必用なのだと理解してよいだろう。

 私は多かれ少なかれ、『宗教』という心、理想、理念、正義、使命、祈り、やる気、魂、気、情熱、統合、調和というような要素は必ずどんな組織でも必要だと確信している。

 宗教を単にどこかの特定の宗派に対する信仰と狭くとらえるのではなく、もっと大きな意味で理解するとしよう。

 ならば、鈴木清一さんの目指した『祈りの経営』はどの企業にも欠かすことの出来ない不可欠な問題だと言えるだろう。

 いやともすると今日まで近代の物質主義、行きすぎた合理主義の中で、軽んじられてきた、教育や心のストレス、福祉や医療、環境の問題など社会における歪みの部分に目を向けたとき、今こそ我々の住む『宇宙』の中では『宗教』の要素が最も必要な要素といっていいだろう。

 単に年寄りが神社・仏閣で手をあわせて拝み、祈るという表面や形式のみに囚われると『まっこうくさい』とか『年寄りくさい』、『胡散臭い』、『偏っている』となる。

 しかし『祈りの経営』を広い意味でとらえることこそ今日の企業には一番大切なことである。

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★【最高の年に最高の縁起物を!】『雪のお遍路さん』

2008年3月 2日 (日)

【経営】指導者研究『鈴木清一』(その4)〜裸一貫からの出直し

 『狭き門より入れ』(新約聖書マタイ福音書第7章第13節)は聖書の中の有名な言葉である。

 信仰の世界においては誘惑か多い安易な道でなく、己の欲望を厳しく律する狭い道を敢えて選択せよ、という教えである。

 これが宗教の世界のことならば理解も出来るが、厳しい利害の対立するビジネスの世界でとなら話しは違ってくる。

 しかし、ここに『得と損の二つの道があれば私は敢えて“損の道”を取る』と断言する経営者がいたとしたら、あなたはどう思うだろうか?

 それもビジネスの世界で破れ、無一文の丸裸になった経済的に一番辛い時期にこの言葉を信念を持って語ったとしたら?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 エバンス博士と出会い、またその紹介で知り合った人から思いもよらず、ダスキンの骨格となる技術を無償で手にした鈴木清一さん。

 すべてが順風満帆に行っているかに思えたのだった。

 彼の技術力の高さと経営のユニークさ、素晴らしさはマスコミにも多いに取り上げられ、彼の企業『ケントク』は有名な企業へと成長していた。

 そんな時、アメリカで当時一番のワックスメーカーだったS・C・ジョンソン社から提携の申し出があった。

 これに感激し承諾した鈴木清一さんは契約を行うことになった。しかし元来生真面目一本で経営してきた鈴木清一さん。

 資本の力を背景に、何事も金、金、金のアメリカ流のやり方は根本的に合わなかったのだ。

 そして副社長として乗り込んできたハロルド・ディーンなる人物にいいように会社は操られてしまう。

 ことあるごとにアメリカ流のやり方を押し付けるディーン副社長。

 すべての権限を取り上げられて、もはや社長とは名ばかりだった鈴木清一さんはイエス、イエスと言うことを聞くしかなかったのだった。

 とりわけ創業以来、会社を束ねる柱として続けてきた『勤行』という『般若心経』を読む朝晩のお祈りも非合理だとして止めさせられてしまった。

 真面目一筋でやってきた鈴木清一さんにとって、これは正に晴天の霹靂と呼ぶしかない出来事だった。

 とうとう彼はついに彼が創業したケントクの代表の座から追われ丸裸となってしまう。

 そして1963(昭和38)年、ダスキンとして、私の事務所のある大阪府吹田市江坂の地で、新しく裸一貫から出直すことになる。

 鈴木清一さん51歳の歳のことである。当初、社名を『株式会社ぞうきん』にしたかったそうだが、ダストコントロールとぞうきんの造語で『ダスキン』とつけられた。

 しかし、この裸一貫からやり直しを行った創業者の精神を賞し、『脱(だつ)』『皮(スキン)』でダスキンとする意味も加えられた。

 新たに始める吹田の工場の資金は従業員が貯めていた、わずかばかりの退職金を借りて充てている。

 鈴木清一さんはその時のことをその著『鈴木清一のことば』(ダスキン発行)の中で自らこう語っている。

 『私が丸裸でケントクを追われた時、働きさん(従業員)たちは自分のもらった退職金とかつて私が分けてあげた1500万円を「社長さんに預けます」と言って私に差し出してくれました。』

 『忘れもしません。昭和38年11月16日、私はこの働きさんたちからの借金で大阪の吹田に工場を作ったのでございます。』

 『真っ黒になった雑巾をきれいに洗ってクスリをつけるというクリーニング工場です。これが現在のダスキンでございますが。』と。

 この時の工場で使われた洗濯機は現在、ダスキンの社内向け、およびFC店向けの研修が行われている『ダスキン誠心館』の中に新しく作られた資料館に収めされている。

ダスキン誠心館写真:ダスキン誠心館

 私もダスキン本社広報と誠心館館長など関係者の方々のご厚意で特別に見学させてもらったが、ずいぶん時代を感じさせるものだったが、今でも動くそうでビックリした。

 アメリカ製の機械なのだが何故かモーターは日本製だった。大きさはよくコインランドリーで見掛ける業務用のものをドラムだけむき出しにして、少しこぶりにしたくらいのものだ。

 ダスキンの歴史を創業者とともに歩いたのだと思い感慨深さを感じた。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 さて昔から『縁は異なもの』とはよく言ったものだ。私が大変驚いたのは、実は松下幸之助さんも終戦後1946(昭和21)年GHQによる財閥指定を受け、すべての資産が凍結され丸裸になったのが、ちょうど鈴木清一さんと同じ51歳の時だった。

 肺の病から奇跡的に立ち直ったこと、強い宗教色と崇高な経営理念といい、また51歳にしての裸一貫からの出直し。

 また、ともに大阪で事業を成功させた創業者だということ、生まれた家はともに貧しく、大学は出ておらず商ない(あきない)の道で修行していること。

 そしてお二人ともに明治の生まれだということといい、二人の共通点は驚くほど多くビックリさせられる。

 いずれにしても、この裸一貫になった時の言葉が冒頭の『われ損の道をとる』という言葉だから、さらに驚きである。

 彼自身がこの言葉の意味を下のように解説している。

 『利害がからんだ時、自分の立場からは、あえて「損の道をゆくこと」を選びます。

 この表現は、よく世間でいう「損して得とれ」という次元の表現ではありません。

 企業の中の人間は、ともすれば経済的合理性の追求一本槍となって、人間全体を見失いがちですが人間性を何よりも大事にしたいのです。』と。

 自分の取った選択に信念と本当の自信がなければ、ビジネスに破れ、矢折れた状態で断言できる言葉ではない。

 『祈りの経営』とは我々凡人にははかり知れねほどの精神的な強靭さを鈴木清一さんにあたえたようである。


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★【最高の年に最高の縁起物を!『雪のお遍路さん』】

【経営】指導者研究『鈴木清一』(その3)〜エバンス博士と祈りの経営

 さて一燈園から自宅に帰った鈴木清一さんは以前とは別人のように生まれ変わった。

 強い信仰心から生まれる信念と持ち前のアイデアマンの特長を活かして、まさに破竹の勢いで活躍するのだった。

 その後の彼の足取りをおってみるとひと目でおわかりいただけるだろう。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

鈴木清一創業者の足跡より

1939(昭和14)年
 戦争で輸入困難となった蝋の代用品として「URワックス」を開発。

1940(昭和15)年
 さらに本格的な代用蝋「高度ワックス」を開発。日本の特殊蝋開発の第一人者として名声が高まる。

1942(昭和17)年
 川原商店勤務の傍ら、「高度ワックス配給協議会」専務理事として全国の関係者 200余名を集めた懇談会を開催。さらに「高度ワックス」を原料として日本初の板の間用艶だしワックス「ビギーナ」を開発。

1943(昭和18)年
 西田天香氏に随行旅行。帰国を期に「道と経済の合一」の実現をめざす独立開業を決意。

1944(昭和19)年
 ツヤ出しワックスが水溶性切削油になるヒントを得て、争いのない“拝み合いの会社”をめざすユシロ航空油剤製造株式会社を設立。祈りの経営の第一歩。

1945(昭和20)年
 終戦とともに亡き友人の法名“一燈園謙徳恭像居士”から社名をケントク産業株式会社と改める。

1950(昭和25)年
 株式会社ケントクと改名し、本社を愛知から大阪に移転。“板の間廊下のツヤ出しケントク”を積極的に売り出す。

1958(昭和33)年
 ビルメンテナンスや清掃用品の販売を行う株式会社ケントク新生舎を設立。

1959(昭和34)年
 キリスト教精神に基づく企業の民主化を進めるDIA運動の創始者エヴァンズ博士の講演に感銘を受ける。
エバンス博士写真:エバンス博士

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 このエバンス博士との出会いこそ鈴木清一さんにとってその後のダスキンにおける飛躍と『祈りの経営』をさらに深める決定的なものとなった。

 メルビン・J・エバンス博士(1890〜1968)は、アメリカ、ウィスコンシン大学卒業。哲学博士。長年のビジネス経験から企業の運営は人、とくにリーダーの人間性にあるとしてキリスト教精神にもとづくDIA (Democracy In Action)運動を提唱した人物。

 この運動は民主的な人の扱い方を通じて、そこに働く従業員の企業に対する協力を強めようとする運動である。

 鈴木清一さんは奈良で開催されたセミナーでエバンス博士と初めて出会う。

 実はその後、鈴木清一さんは1961(昭和36)年DIA出席のため渡米。

 エヴァンズ博士から紹介されたカナダのメンデルソン氏と友情を結び、無償でダストコントロール事業の技術を伝授されるのであった。

 これこそが後のダスキンの事業の骨格となる。帰国後ただちにダストコントロール事業に着手。

 活性剤を用いて繊維に油類を吸着させる「含油繊維の製造方法」を特許出願し、商品試作にも成功して現在のダストコントロール商品の原形となる商品が誕生するのだった。

 このエバンス博士との運命的出会いにおいて鈴木清一さんは大きく二つのものを学んだ。

 一つは『幸福の4条件』というエバンス博士の理論であり、DIA (Democracy In Action)運動のもとになる考え方である。

 『人間が生きていくには4つの要素が必要である。それは(1)仕事(2)家庭(3)趣味。最後に(4)宗教、つまり祈りである。どんな人も宗教、宗派のいかんに係わらず神への祈りは最も大切なことである。』

 さらに鈴木清一さんがエバンス博士から学んだもののもう一つは『42番目の赤帽さん』という宗教の大切さについての具体的な事例であった。

このお話は下記のようなものだった。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

“42番目の赤帽さん”
(『ダスキン創業物語』岡本学著、ダスキン祈りの経営研究所発行より)

赤帽さん写真:ラルストン・C・ヤングさん

 42番目の赤帽さんというのはニューヨークのグランドセントラル駅で働く黒人労働者、ラルストン・C・ヤングさんについての実話であった。ちなみに42番は赤帽荷役係の固有番号である。

 彼は優秀な成績で大学を卒業し、一流会社で知的労働につくことを希望した。

 早速各方面に就職依頼の手紙を書き送ってみると、ある企業から返事がきた。

 しかし喜び勇んで出掛けた彼を待っていたのは、“黒人”への偏見からくる白人受付嬢の冷たい態度であり、困惑した人事部長の丁重な断りの言葉であった。

 やむなく彼は赤帽荷役の仕事につくことになった。

 仕事に興味は持てず、彼の態度は投げやりになり、仲間のいない生活空間は次第にしらじらしいものになっていった。

 そういうとき教会に通っていた彼の心を一変させたのは新訳聖書の中の言葉、
『汝らの仇を愛し、汝らを責める者のために祈れ』(マタイ伝第5章)であった。

 彼は自分を“黒人”とさげすむ相手でもこちらから積極的に愛することはできる、と考えた。

 自分に荷物を持たせてくださるお客様のために祈ろうと彼は決意したのだ。

 ある日手押し車に乗った老婦人が客になった。彼は祈った。

 『神様、このおばあちゃんがお恵みを豊かにお受けになりますように・・・・・』

 ふとみると彼女は肩を落として泣いている。彼はなおも祈り続けた。するとまったく自然に神に導かれたような言葉が口をついて出てきたのである。

 『おばあちゃん。あなたの着ていらっしゃる服、それはなんて素晴らしいのでしょう。よほど高価なものか、それともどなたからのプレゼントでしょうか?』

 一年後、見知らぬ四十がらみの婦人が彼を訪ねてきた。

 『42番の赤帽さんはあなたですね。一年前、手押し車であなたに大変ご親切にしていただいたのは私の母です。』

 『母はその後、会う人毎にこのグランドセントラル駅の42番の赤帽さんの深いご親切について語り続けていました。』

 『母は先だって亡くなりましたが、生前あの時どんなに嬉しかったかを、もしもニューヨークに出かけることがあったら、あの赤帽さんにお会いして伝えて欲しいと頼まれていました。今日は母にかわってお礼を言いに来たのです』と。

 この後、42番目の赤帽、ラルストン・C・ヤングさんは感激し仕事に打ち込み最後は大勢の人前で講話をするまでになったのだった。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 この話しに感激した鈴木清一さんはエバンス博士を自分の会社に招き、社員の前でこの42番目の赤帽さんの話を紹介した。

 鈴木清一さんにとっては一燈園でのトイレ掃除の厳しい托鉢修行以来、自らの追い求めて来た『祈りの経営』について理論的に裏付けられた思いで意を強くしたのだった。

 さらに42番目の赤帽さんの話はまさにその具体的な事実として鈴木清一さんの胸に強く刻み付けられたのだった。

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★【最高の年に最高の縁起物を!『雪のお遍路さん』】

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