文化・芸術

2008年4月 7日 (月)

【クイズ】この言葉はなんでしょう?

 ここで突然ですが、クイズを一つ。今から順番に出す言葉から連想する言葉はなんでしょうか?。

(1)サントリーBOSSのCM

(2)オタク

(3)秋葉原

(4)電車男

 どうですか?まだ分かりませんか?それでは続きをどうぞ。

(5)美少女アニメ

美少女アニメ

(6)メイドカフェ

萌え2

(7)コスプレ

萌え2

(8)美少女フィギュア

フィギュア

(9)アイドル歌手

アイドル

 最後のヒントです。これではどうでしょうか?

(10)流行語


いかがですか?お分かりですか?

 そうです。答えは『萌え(もえ)』です。

今やオタクのキーワードがこの『萌え』です。我々のわかいころには余り使わなかった言葉です。

2007年11月18日 (日)

【芸術】60歳で確立した己のスタイル〜シャガール

シャガール作品
マルク・シャガール
『ロミオとジュリエット』(リトグラフ1964)

 今年は西洋近代画の巨匠、マルク・シャガール(1887-1985)の生誕120年の年に当たる。そのため全国至るところで展覧会が開かれている。昨年から千葉、青森、三重、高知。

そして現在は東京上野の森美術館、奈良県立美術館と立て続けに開催されており、すでにお出かけになられた方も多いかもしれない。

 ロシアでうまれ、画家としての才能を開花させた彼の第二の故郷でもあるフランス、パリではポンピドーセンターに於いても大々的にシャガール展が催された。

 私は正倉院展の帰りにシャガール展にたちよった。ちょうど国立博物館から歩いて奈良駅に向かう途中に奈良県立美術館がありそこで開催されている。

 普段は仕事が忙しくゆっくりと絵画など楽しむ余裕もないが、高校時代の昼休み、よく図書館に通って、ゴッホやルノアール、マネやモネといった西洋の近代画家たちの画集を楽しんだのを覚えている。

 なかでもシャガールはそのパステル調の底抜けな明るさや空飛ぶ恋人、独特のタッチの鶏などユニークなモチーフなどが好きでよく楽しんだものだ。

 豊かな色彩と幻想に満ちた彼の作品は、世界中の人々に親しまれ、作品に登場するユニークなモチーフの数々は、彼の独特の画風を決定付けている。

 空飛ぶ恋人達や花束、ロバ、鶏、サーカス、バイオリン弾き、聖書といったモチーフの数々は、いずれも深い愛情にあふれ、生命の喜びと平和への希望を人々に抱かせるのである。

シャガール作品
マルク・シャガール『赤い薔薇と恋人たち』(リトグラフ)

 しかし今回改めてシャガールの作品を見直してみて、新たな発見をすることができた。

 それは人目見れば彼の作品だと分かるあの画風であり、スタイルが確立するまでには、実に様々な紆余曲折を経ていることだ。

 彼がユダヤ人として生まれ、第一次世界大戦、ロシア革命、ナチスによるユダヤ人への弾圧、第二次世界大戦と彼が生きた過酷な時代背景の中で、彼の画風が暗い冷たい画風の時代を経て独自のスタイルを順番に確立していったことである。

 特にそれはおなじみのモチーフだけではなく、その風景画の中にその特徴がよく出てきているのだ。

 彼の芸術の源泉である生まれ故郷ロシア(現在のベラルーシ)のヴィテブスクの街並みや、「第二の故郷」と呼んだフランス・パリの華やかな景色、晩年移り住んだ地中海沿岸の美しい景色など彼の描いた風景画の作品の中にその画風であり彼の心の変化がよりくみ取れるのだ。

 ユダヤ人として生まれ、歴史の波に翻弄されながら各地を転々とした画家の生涯の軌跡。

 自身の心情を伝える重要なメッセージの中に、実は彼が彼自身のスタイルを確立するまでの変遷の鍵を読み解くことができる。

シャガール作品マルク・シャガール
『誕生日』 1915年 (ニューヨーク近代美術館蔵)

 彼が自分の絵の中に登場させる『空飛ぶ恋人たち』のモチーフなどはその典型だ。上の作品は、後に『空飛ぶ恋人たち』のモチーフとなるその原型が現れた作品である。

 彼が愛する妻のベラと結婚した直後まさに天にも昇る幸せの絶頂の時に描かれた『誕生日』という作品である。

1887年、ロシアのヴィテブスクでユダヤ商人の家庭に生まれ育ったシャガール。この作品が書かれた1915年はシャガール28歳の年で、前の年の1914年にベルリンのデア・シュトゥルム画廊で初めての個展を開き、翌年ベラと結婚し、故郷のロシアのヴィテブスクに帰郷していた時期で、彼の前半生で最も落ち着いて充実していた時期である。そしてシャガールは1922年までここに滞在する。

この絵は、彼自身の誕生日にブレゼントの花束をもらい、その喜びのあまり、二人が思わず宙に浮いてしまった様子を表している。

このころのシャガールの作品はキュービズムなどの影響を受けながらも、彼独自のスタイルを模索している最中である。

写実的な中にも彼独特の色使いや大胆なモチーフといった独自のスタイルを見つけ出そうとしている姿がかいまみえる。

実はシャガールは≪誕生日≫という作品を2度描いている。

最初は上の絵でありロシア人実業家が購入する。彼にとっては人生におけるまさに幸せの絶頂での作品だったが、しかしその後彼の落ち着いて幸せな日々は長くは続かなかった。

この作品の書かれた1915年当時は第1次世界大戦の最中だった。その証拠に彼の前後の作品にはそのことが色濃く反映された暗くて過酷な作品が多い。

 その後も彼の作品は略奪、盗難、破壊、壊滅、廃棄など数多くの試練にさらされ、多くの作品が散逸してしまっている。

 この作品もフランスで作品が勝手に持ち出され、売却されたのだった。再び同じ事態が起こることを恐れたシャガールは、1923年にこれとまったく同じサイズ内容で再び制作している。

彼の悲劇は止まるところがなく、やがてナチスによって作品すべてが焼き付くされるという、芸術家としては最も耐え難い過酷な試練にも遭遇している。

 そしてその後、彼は1922年、リトアニアでの個展を最後に生まれ故郷ロシアを去り、翌1923年、パリへ移り住む。1937年、フランス国籍を正式に取得するがナチスによる弾圧はこの頃からどんどんと酷くなっていく。1939年、カーネギー賞受賞。作品としての評価が高まる一方で次々とナチスによる破壊が繰り返される。一芸術家として居たたまれない日々が続く。1941年、ナチスからの迫害の難を逃れるためアメリカに亡命。そして1944年、30年近く連れ添った最愛の妻べラがこの世を去る。

 度重なる戦争、革命。故郷ロシアを追われ、また長年住み慣れたパリもナチスの迫害を受けて追いやられ、さらに魂を込めて創った自らの作品をことごとく焼き付くされ、今また最愛の妻までも失ったマルク・シャガール。この時、シャガール、54歳であった。

 しかし彼の心が本当に落ち着いて平穏が戻り、彼本来のスタイルが出来上がるのは、第二次世界大戦が終わってしばらくの後、彼が60歳を過ぎてからのことであった。

 彼の底抜けに明るいあの色調も幻想的な風景も、まるでどこかの絵本から飛び出てきたようなロバや鶏といった夢に溢れたあのモチーフもすべて、時代が幸せになり、彼の心にも文字通り平穏が訪れた60歳以降の作品なのだ。

 幸い彼はその後再婚もし97歳という長寿を全うし生涯2000点にもおよぶ作品を残している。

 しかし彼の前半生の時代の作品の多くは散逸したものが多く、今まで我々の目に触れないものが多かった。

 しかし、今回の展覧会ではそうした過去の作品も彼の生きた時代の順に沿って時系列的に観ることが出来た。

 このことで一人の芸術家が幾多の試練を乗り越え、齢60歳にして自分のスタイルをそれまでどのようにして確立していったか、良く理解出来るのである。

 60歳と言えば定年退職する歳である。職業人としてはもはや引退の歳だ。しかしシャガールは違った。

 60歳までが自分のスタイルを確立するための長い長い準備期間であって、そこから亡くなるまでの37年間にそれこそ誰からの束縛も迫害を受けることなく自由に絵筆をふるったのだ。

 定年になりもはや自分の人生も終わりだと嘆いているあなた。少しシャガールを見倣って「これまでは自分のスタイルを確立するための準備期間だったのだ。これからこそ人生本番だ。」と胸を張るのもいいかも知れない。

 「芸術は長し。されど人生は短し」と言われるが、シャガールの場合は芸術も長く人生も長かった。

 一人の芸術家の波乱に満ちた生涯を通じて、改めて人生と芸術の奥深さを実感させられた。
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◆マルク・シャガール(Marc Chagall)◆

シャガール写真

【解説】(展覧会解説文より)
今年は、20世紀最大の画家の一人であるマルク・シャガール(1887-1985)の生誕120年にあたります。

シャガールは、ロシア生まれのユダヤ人で、フランス、アメリカ、メキシコで活躍します。パリに出て“色彩の魔術師”といわれるほどの豊かな色彩感覚を開花させ、詩的で豊かな色彩表現と物語性をたたえたシャガールの絵画は、世界中の人々に愛と希望を与え続けました。

シャガール写真

革命や2度の世界大戦など激動の20世紀を駆け抜けたマルク・シャガールは、さまざまな苦渋、ユダヤ人であるがゆえの迫害を受けながらも、97歳で生涯を閉じるまで多くの作品を残しています。

彼の作品は油彩をはじめ、リトグラフ、壁画、ステンドガラス、陶芸など多岐にわたります。

1922年頃から版画の制作を始め、その後生涯に渡って約2,000点にも及ぶ作品を残しています。はじめは銅版画を中心に取り組んでいましたが、第二次世界大戦後リトグラフも手がけ、鮮やかな色彩の作品を次々と生み出しました。

愛や生命への賛歌を奔放な描線と、踊る色彩で幻想的に描いたシャガールの絵画。そのシャガールの素顔に迫ります。

※お問合せシャガール展(奈良県立美術館)2007年10月6日[土]〜12月16日[日]

生誕120年記念 色彩のファンタジーシャガール展(東京 上野の森美術館)2007年10月13日(土)〜12月11日(火)


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2007年11月13日 (火)

【芸術】感動の映画『涙そうそう』

 久しぶりに感動する映画を見た。妻夫木聡と長澤まさみ主演の『涙そうそう』である。

 実はロードショーの広告を見ていて一度見てみたいなと思っていて見れなかったのだが、少し時間が出来たのでレンタルで借りてみることができた。

数年前、夏川りみが歌ってヒットした曲の実話を題材に映画化したものだそうだ。

『古いアルバムめくり
ありがとうってつぶやいた』で始まる名曲である。

沖縄の曲らしくさわやかで陽気なのだがどこか物悲しさが漂う。

どこかの音楽番組で『この曲は実際にあった実話をもとに作られた曲です。』と紹介されていたので、どんな話なのか気になっていた。

 物語は沖縄の那覇で自分の店を持つことを夢見て、市場や居酒屋で必死に働く妻夫木聡演ずる主人公のお兄さんの洋太郎と、成績優秀で離島から一人だけ那覇の高校に合格した長澤まさみ演じる妹のカオルの心暖まる、しかしちょっと切ない物語である。

 高校に合格し離島から那覇にやってきた妹のカオルは兄と二人暮らしを始める。二人は幼い頃、母親を病気で亡くし、親戚のもとで育った。

 しかし本当は二人は血のつながらない兄妹だった。兄は小泉今日子扮する母親の連れ子であり、妹のカオルはジャズの演奏に狂うヤクザな父親の連れ子であった。

 やがて父は家族を捨てて放浪の旅に出かけ、母は女手一つで幼い二人を育てるのだが無理がたたって他界してしまう。

残された二人は平良とみ扮するお婆あのもとで育てられ立派に成長する。

一足早く那覇にでた兄は長年の夢であった自分の店(飲食店)をもつために、昼は市場で配達の仕事をし、夜は居酒屋でバイトをしながら仕事を覚え必死にお金を貯めるのだった。

那覇市内の高校に入学するため、久しぶりに島から出てきた妹はすっかり娘らしくなっていた。幼いときから妹と二人で生きてきた兄は妹の親代わりでもある。

妹の高校の入学式についていって嬉しくてはしゃぐ姿は父親の姿と変わらない。

兄には琉球大学の医学部に通う彼女がいた。居酒屋で悪い男に騙されそうになっていたところを助けたのがきっかけで付き合い始め、妹が那覇に出てくるまではよく泊まりに来ていた深い間柄であった。

しかしあまりに仲のいい兄妹の姿を見て突然のライバルの出現に少し焼きもちをやく彼女であった。

そんな折りバイト先で知り合った中年の男に店を出してやるとそそのかされ騙されてしまう兄。多額の借金をかかえ苦境に立たされてしまう。

しかし、その後も挫けることなく、くさることなく苦しい肉体労働に耐えながら必死に借金の返済に努力する。これもすべて妹を思ってのことだった。

そんな折り付き合っている彼女の父親で病院を経営している医師が兄の前に現れ、このお金で借金を清算するようにと手切れ金を渡し娘と別れるように迫る。

しかし兄は意地とプライドできっぱりと申し出を断るのであった。

やがて妹は高校三年生の受験の夏を向かえる。三者面談で学校を訪ねる兄と妹。成績優秀な妹は担任の先生から琉球大学の合格が有望だと告げられる。親代わりの兄は自分のことのようにはしゃぐが、担任はこの夏が勝負だとも告げる。

妹の合格を祈ってさらに厳しい肉体労働で自分を痛め続ける兄。そして必死で自分のために苦労する兄のために少しでも助けになろうと、兄には内緒で受験勉強の合間にファミレスでのバイトに精を出す妹。

しかし兄の親友に内緒でバイトしているのを見られてしまう。

やがてお祭りの晩に浴衣で綺麗に着飾り兄と一緒に踊るが、偶然出会った親友が妹のバイトのことを兄に話してしまう。

家に帰り二人は言い合いになる。この大事な時期にどうして勉強しないのだと怒る兄。そんな考えを押し付ける兄が重荷でもう大人なのだから自分のことは自分で決めたいと主張する妹。
二人は気まずいまま別れてしまう。先に家に帰ってきた兄は妹の帰りを心配し玄関で朝まで待っていたが、妹はとうとう朝まで帰ってこなかった。

翌朝早く家に帰ってきた妹。心配で朝まで妹の帰りを待っていた兄だったが一言二言コドバを交わしたまま家の中に入ってしまった妹。二人は気まずいまま時間は流れた。

しばらくして妹の合格発表の日がやって来る。見事合格を果たした妹。周りの人たちすべてに妹の合格を我が事のように伝え喜びを爆発させる兄。借金もすべて返し終わって喜びは最高潮だった。

しかし次の瞬間、喜びに満ちた兄には妹の意外な決意を聞かされるのだった。兄のもとを離れ独り暮らしを始めたいという。前から決めていたらしく妹の決意は固かった。

突然の妹の独立宣言に戸惑いを隠せない兄。妹の心に何があったのかと心配する親代わりの兄。そんな兄の耳に妹の良くない噂が耳に入る。町のナイトクラブで中年の男と会っていた妹を見掛けたというのだ。

妹のことを案じた兄はとにかく真相を明らかにしようとナイトクラブへと向かった。

そしてそこで出会ったのは意外な人物だった。それは家族を捨てて家を出た義理の父親だった。相変わらずジャズに狂っていた。しばらく方々を転々とし最近この町に戻って来たらしい。

妹に変な虫でもついているのではという兄の心配は取り越し苦労だと判明し、とりあえずほっとしたのだった。

しかしその日以来妹の態度が妙によそよそしかった。奇妙に思った兄はジャズ狂いの義父から、彼が兄妹は実は血が繋がっていないのだと妹に告げたと聞かされる。そしてこれまで育ててくれた兄をそろそろ解放してやれと告げたと真相を聞かされた。

それを聞いた兄は思わず拳を振り上げ、どうして告げたのかと今までの溜まりに溜まった不満と怒りを義父にぶつけケンカが始まる。しかしヤクザな義父にはかなわない。顔に傷を追って家に帰る兄。

ぶっきらぼうな言い方だが義父は帰り際にいままで妹を立派に育ててくれた礼を述べる。

家では兄を待ちくたびれてテーブルで居眠りしている妹の姿が。いままで母親の遺言で妹の面倒を見るようにと言われていた兄。

しかしこの時は美しく成長した妹に、あってはならない『女』を感じてしまう。思わず妹の顔に手を伸ばそうとする兄。そして次の瞬間気配を感じた妹が目を覚ます。テーブルの上には兄妹の思い出を綴ったアルバムがあった。

我に帰る兄。罪悪感が胸に溢れる。しかし初めて女を意識した妹は美しかった。
やがて妹が我が家を出ていく日がやって来る。あの日以来お互いを一人の男と女として強く意識する日々が続いていた。

別れの日、妹は兄にお世話になったとまるで嫁に嫁ぐ娘のような挨拶を交わす。いつでもまた会えるよと笑っていうと『お兄ちゃんのこと愛しているから』と意味深長な言葉を残し、深々とお辞儀をして離れていった。最後に兄は二人の大切にしていたアルバムを妹に託すのだった。

それからしばらくは新しい生活に慣れるため互いに忙しかったが、やがて妹から久しぶりに一通の手紙が届く。

そこには自分たちが血が繋がっていないことは父親に会う前から知っていて、それを伝えたら兄が遠くへ行ってしまい、自分一人がとり残されるのではとの恐怖があって口に出さなかったとあった。

兄は今一度親代わりの気持ちに戻った。母親との約束を思い出したのだった。

二人別々の生活が始まって一年半がたった。島から成人式の案内が届く。来年は妹も成人式を向かえる。お世話になった皆さんに感謝の気持ちを伝えようと島に帰る決心をする。

そんな折り季節外れの台風が直撃する。独り暮らしの自分の部屋で怖くて怯える妹。嵐の猛威は容赦なく襲いかかり、大木が折れて崩れかかり無惨にも窓ガラスが割られてしまう。

もはや耐えきれない恐怖の中で突然兄が部屋の中に飛び込んで来た。長い間あっていなかった兄。しかしさすがに妹にとっては頼りになる存在だった。

とっさにわきにあった戸板で窓をふさぎ、カーテンを丸めて隙間を埋めてなんとか嵐を遮ることが出来た。
しかし、風邪気味だった兄は突然倒れ込んでしまったのだった。大変な熱だ。すかさず妹は救急車を呼び兄のかつての恋人が勤める病院に担ぎ込まれる。

まもなく診察結果が妹に知らされる。体に相当無理を続けたらしく重い病だと聞かされる妹。

その時看護婦が兄の急変を知らせに駆けつける。全員で病室に急ぐがすでに手遅れだった。安らかな顔で兄は亡くなっていったのだった。

兄の亡骸は故郷の沖縄に運ばれしめやかにお弔いが行われた。あまりにも早すぎる死。親代わりの妹の花嫁姿も見ることはなかった。なぜか葬儀に似つかわしくないさわやかな笑顔が一層哀しみをさそうのであった。

悲しみの涙にくれる妹。海岸で一人泣いている彼女を、きっとお母さんたちと一緒に天国で見守っているだろう慰めるおばあ。

やがて妹のもとに小包が届く。差出人は兄だった。中には妹のためにわざわざ仕立てた着物が入っていて一通の手紙が添えられていた。

『カオルへ』という出だしで始まった手紙は兄の愛情に溢れていた。小さな頃から親代わりとして面倒を見てくれた兄。いつも困ったことがあると助けに来てくれた兄。自分の分まで妹に食べさせてくれた兄。

最後は嵐の中に飛び込んで助けに来てくれた兄。

妹は兄が形見に送ってくれた晴れ着を見て感謝の涙がぼろぼろと流れ落ち、胸が一杯になった。

やがてドラマはクライマックスを向かえる。夏川りみの『涙そうそう』が流れ、妹が大切にしまっていたアルバムが一ページづつ二人の思い出をたどるようにめくられていく。

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『涙そうそう』

古いアルバムめくり
ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中
励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して
よみがえる日は 涙そうそう
(『涙そうそう』作詩:森山良子、作曲:BEGIN、歌:夏川りみ)

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私は映画を見終わって素直に泣けてきた。久しぶりである。大変清々しい感動の涙であった。

妹のために何も見返りを求めない兄の心。そしてそうした兄の深い愛情の真の意味を知り心のそこからの感謝の気持ちで胸が一杯になる妹。

一枚一枚めくられる思い出の写真。兄の優しかった面影がまぶたに焼き付いて離れない。

しかし映画を見終わって改めて、この歌詞を味わうとさらに感動が深みを増すのである。

『涙そうそう』とは沖縄の言葉で『涙がぼろぼろこぼれでる』という意味だそうである。

私も久しぶりに感動の映画で『涙そうそう』となった。いい映画との出会いであった。

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2007年10月31日 (水)

【文化】秋の古都・奈良〜正倉院展

正倉院展に行ってきた。最近は首都圏でも色々なところでポスターを見掛けるのでご存知の方も多いだろう。鹿の放し飼いで有名な奈良公園の中にある奈良国立博物館で開催している。
【文化】秋の奈良〜正倉院展

 平日だというのになんと40分待ちという長蛇の列で人気の高さが伺い知れる。やはり年輩の方が多く見えるが、平日だというのに若い方も予想以上に多い。
とにかく人混みが苦手な私には相当な覚悟が必要だ。
爽やかに晴れた秋の奈良。目と鼻の先には東大寺の本物の大仏さんがお見えになる。

ご存知の方もお見えだろうが、正倉院はその大仏殿の裏に建っている。今は宮内庁の管理のもとにある正倉院であるが、その昔は大仏を建立された聖武天皇が私物としての財物を東大寺に寄付をされ、大仏殿の裏に有名な高床式の建物を建てたのが、そもそも正倉院の始まりだ。

【文化】秋の奈良〜正倉院展

ここの財宝はとにかく破格である。もとは聖武天皇の六百点以上にわたるコレクションが元になり、その数はドンドン増えていった。
ペルシア(イラン・イラク)、天竺(インド)、唐(中国)を渡って日本につながるシルクロードの執着点。それが奈良正倉院である。

膨大なコレクションの中から毎年70〜80点ほどを選りすぐり、東大寺の向かいの国立博物館で催されるのが、この展覧会ですべてのコレクションを見るためには、それこそ何十年も通わねばならない。

思えば私もこの正倉院展を知ったのは中学の時の歴史の先生ではまってしまった人があり、名古屋から毎年わざわざ見に行く人がいて、それがきっかけだった。

ようやくの思いで入り口まで到着し、音声ガイドを借りることにした。大変分かりやすい解説なのでとにかく勉強になる。

さて会場に一歩足を踏み入れると大変な人である。
人だかりでまともに見られたものではない。平日の昼間にこの人だかりは信じがたいものがある。

【文化】秋の奈良〜正倉院展

まず会場の最初には正倉院の財宝の目録が書かれた鏡。今回はアジアの各国から来た楽器やオモチャ。
大仏の開眼会で使われた筆やスミやきらびやかな衣装や楽器などなど。

疫病で苦しむ多くの人々を救うために全国に国分寺、国分尼寺を建て、光明皇后ともに深く仏に帰依した、聖武天皇。

光輝く仏である毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)、大仏を建立し、ここに並ぶ、財宝、宝物によって、きらびやかに飾られ、異国の楽器で奏でられる音楽に彩られた開眼会。

シルクロードを通じてやってきた異国の財物が天平の都の風景に溶け込んでいる様子が目に浮かぶ。

『やまとは国のまほろば』。猿沢の池の水面に落ちる紅葉の葉と秋の古都は静けさの中にふけていくのであった。

  


【第59回 正倉院展】期間:平成19年10月27日(土)〜11月12日(月)


正倉院は普段は非公開であるが、年に1 度、奈良国立博物館で御物の特別 展示が行われる。宝物には、聖武天皇遺愛の品や東大寺の法会に使用された法具など中国の珍器、ペルシャ、インドの工芸品なども含まれ、国際色、種類ともに豊富です。


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