経営

2007年11月10日 (土)

【経営】君子財を愛す

『君子財を愛す。 
これを取るに道あり』
(住友財閥二代目総理事 伊庭貞剛)

『聖人君子たるもの金銭、名誉、権力などには目もくれず、己の志にのみただ生きるべし。』

こうした教科書的な教訓というのが昔からよくある名言の類ではなかろうか?

私利私欲を越え、我執を捨て、私心を無くす。これが君子たるものの道。

おそらく教科書どうりならその通りだろう。しかし現代社会でそれは綺麗事すぎはしないだろうか?

おそらく私心がなくせるリーダーなど1万人いて1人いるかいないかだろう。

世の中の大半はリーダーといっても、組織に属するサラリーマン経営者が大半である。家族のために給料をとらねばならない。ノルマを果たさねば出世に乗り遅れ面子もたたない。

第一、責任ある立場であれば、前年比いくら、計画比いくらと常に目標の必達が求められる。達成のためには現場を這いずり回って自ら売り歩くこともあるだろう。

そうやって組織や周囲に評価され順番に組織の階段をあがっていく。

その根底には勿論仕事のやりがいや自己実現ということもあるが、給料が上がり、地位やポストも上がり、まわりから賞賛と羨望の目で見られ、権力や名誉も手に入り、夜飲み屋に行けば店の女の子からモテモテのおまけつきかもしれない。

資本主義で激烈なグローバル競争生き抜く企業戦士に私心を無くせ、私利私欲を無くせは明らかにピントはずれかもしれない。

そこで冒頭の言葉である。『君子財を愛す』 君子はお金が好きなのだ、と最初から本音が激しく飛んできてこきみいい。綺麗ごとでない分、共感も出来る。

しかし、後に続く言葉が深いのだ。

『これを取るに道あり』

CSR(企業の社会的責任)やコンプライアンス(法的遵守)などと声高に騒いでいるが、考えてみれば当たり前のことである。

己の利益を追求することは悪いことではない。しかしそこに道(秩序、道理、意義、理念、理想)がなければ、泥棒とたいして変わらない。いや上辺を善人づらしているだけ質が悪い。

聖人君子になって私利私欲を無くせとは言わないが、人としての道、企業・組織としての道は確かに持たねばなるまい。

そうしないどテレビの記者会見でいいトシしたオッサンが惨めに、(誰が見ても誠意のない形ばかりの)おじぎする姿を毎日さらすだけで終わってしまうぞ。

家族や子供、孫たちに見られて恥ずかしいでしょ!?もう少し胸をはって生きられる人生を送りましょう。
『君子財を愛す。 
これを取るに道あり』

ですぞ!!


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2007年10月14日 (日)

【経営】松下幸之助告別式秘蔵VTR公開

先日書棚を整理していたら、私の師匠である故松下幸之助さんの告別式のVTRが出てきたので編集してみた。

当時の松下電器の全役員だけでなく、すでにお亡くなりになった方々も沢山おみえになるが、当時(1989年4月27日が命日)の政財界など有名な方々、重鎮が多数映った、各界のまるで紅白歌合戦のような大変貴重なVTRなので、皆さんも一度ご覧になられたらいかがだろうか?

ちなみに松下幸之助さんの戒名は『光雲院釈真幸』です。

そらの上から皆さんの真の幸福を願う『幸せ』の『助っ人』で幸之助という名前なのかもしれません。

昨年、早いもので17回忌も終わりましたが、いつまでも天国で安らかにお眠りください。

《故松下幸之助告別式秘蔵VTR(約30分)》


 なお下記にはこの改革支援サイト(『改革理論』のコーナー)で掲載している松下幸之助に関する関連講義です。こちらも合わせてご覧ください。

秋の夜長、『経営の神様』とうたわれた稀代の名経営者の考えにふれてみるのもいいかも。

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【松下幸之助関連講演・講義】

(1)松下幸之助改革思想(音声 約1時間30分)

(2)松下政経塾で学んだもの(音声 約50分)

(3)松下幸之助経営の秘密(テキスト)

(4)事業部制と松下幸之助経営理念(テキスト)

※『改革支援サイト』(改革理論のコーナーより)

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2007年10月10日 (水)

【物語】神様を微笑ませるための秘密の法則

 昔どこかで聞いたお話で今でも脳裏に焼き付いて離れないお話をご紹介しましょう。『神様を微笑ませるための法則』というお話です。

昔、アジアからヨーロッパまで世界中をまたにかけて行商を行っていた代々続くアラブの大商人の一族があったそうです。

その家では、代々子供が成長し、この子が跡取りだと決まると周辺の部族も呼んで大々的に跡目披露の儀式を行ったそうです。

その時、前の晩にその跡取りとして一族を束ねていく男の子の信念を試すため、真夜中の12時きっかりに、秘密の儀式が行われました。

それは一族の長の他にはごく一部の血の繋がりの濃い親しいものにしか公開されません。

実はその一族が他の部族に襲撃され、滅びたためその秘密が外部にも洩れ、今日我々が知ることになりました。

そしてそれは燃えたぎった火の中で熱せられた刀で性器の一部を切り取る割礼と呼ばれるものと、この『神様を微笑ませるための法則』という代々この部族の長にしか知らされない、秘伝中の秘伝の伝授だったそうです。

全部で七つの秘伝がありましたが火事で燃えてしまい、辛うじてひとつだけ、残ったのが次の言葉だったそうです。

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『神様を微笑ませる
   ための法則』

ある人が「俺ははもう限界だ、もうこれ以上無理だ」と感じたときに、残りの力を振り絞って半歩だけ前に足を出した人間にだけ神様は微笑み無限の幸せと喜びを与える

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『天は自ら助けくるものを助ける』(天は自分自身で努力するものに手助けする)と同じような言葉だが、少し違うのは「半歩だけ」という表現だ。

こちらの表現の方がより定量的だ。それに精魂尽き果てて残りの気力を振り絞って出した最後の一歩ならぬ半歩というギリギリのところが伝わってくる。

神は厳正に我々の努力の大きさを試しているのだろう。大変興味深い物語だった。


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2007年7月27日 (金)

【経営】祇園祭と疫病神の物語

 京の夏の風物詩を彩る祇園祭。宵々山、宵山、山鉾巡航と祭りはクライマックスを迎える。このお祭りが終わると関西では梅雨が明け本格的な夏を向かえる。歌ではないが、まさに『夏は来ぬ』である。

 私は関西に住んで20年になるが、一度行きたいとは思っていたのだが、祇園祭に出掛けるご縁は今までなかった。暑さと人混みが嫌だったからということあるし、単なる出不精ということもあるが。(笑)

 さて、この祇園祭だがそもそもの由来はご存じだろうか。祇園祭といえば京都の代名詞かと思うが以外にそうでもない。

 よく仕事で福岡に行くのだが、祇園と言う駅もあるし、小倉(北九州)には小倉祇園太鼓という男らしいお祭りもある。

 あの博多の有名なお祭りの山笠だって、正式には『博多祇園山笠』というのだから、祇園祭は京都だけの専売特許ということでもないらしい。

 ウィキペディアによると祇園祭とは平家物語に出てくる祇園精舎の守り神だった牛頭天王(ごづてんのう)をお祭りしたものだ。それがやがて素戔嗚尊も合わせてお祭りするようになったそうだ。

 しかしこの牛頭天王とは疫病が流行ったときに鎮めるということで、世に言う『疫病神』としても知られる。京都の八坂神社も博多の櫛田神社も疫病を鎮めるために建てられた。

 そういえば、最近、妻夫木聡が主演している、浅田次郎原作の映画『憑き神』が話題だ。

 私も予告編程度しか見ていないが、この映画、しがない武士がげんかつぎにお祈りしたお稲荷さまが実は、貧乏神、疫病神、死神の巣だったことから巻き起こるドタバタ劇だそうだ。

 西田敏行演ずる貧乏神、赤井英和扮する疫病神、名前は知らないが最近よくテレビに出てくるかわいい子役の女の子の死神と、映画ではユーモラスで人間臭い神様たちの面白さがある。

 しかし、本当にこんなのにとり憑かれたら大変だろう。冗談ではすまない。人生最悪だろう。私は素直に願い下げだが。

 実はこの祇園祭の神様も疫病神として嫌われものの一面を持つから大変だ。

 疫病を撒き散らすと同時に親切に迎え入れた農民に対しては万病に効く術を授けたとも言われている。

 これについて八坂神社では昔話としてこんな有名なものあるそうだ。

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 ある時、疫病神が老人に身を変えてお忍びで旅に出たました。とある村にさしかかり、そこに一夜の宿を求めました。

 このときこの村には、二人の兄弟が住んでいました。兄の巨丹は裕福なのに冷淡でした。

 疫病神が兄の巨丹のもとを訪ねると、兄は言いました。
 『このうずぎたない爺じいめ。辺りが臭くなるわ。縁起が悪いから、どこかへ言ってしまえ。』と石を投げて追い出し家から遠ざけました。

 次に疫病神は、真面目で働き者ですが、貧しい生活をしていた弟の蘇民のもとを訪れました。

 貧しいあばら屋に住んでいた弟の蘇民は、みすぼらしい身なりの疫病神を親切に我が家に招き入れ言いました。

 『おじいさん、どこから来たんだい。その年で長旅は大変だろう。うちなら、いくらでも休んでいってもらって構わないんだよ。

 ご覧の通りの貧乏暮らしで何もお構いできないが、さあさ、上に上がって家族と一緒に暖かいお雑炊でもすすっておいでなさい。』とみずぼらしい姿の疫病神を貧しいのにやさしく迎え入れてもてなしたのでした。

 そこで疫病神は正体を明かし、「こんなみすぼらしい爺を手厚く親切にしてもらって本当にありがとう。お礼と言ってはなんだが、ひとつお前さんにいいことをお教えてしんぜよう。

 近々この村には、死の病が流行るであろう。男も女も、年寄りも子供も皆地獄の苦しみで死んでいくことじゃろう。しかし、お前は真面目でよく働き、親切なこころやさしさをもっておる。だからお前の一族だけは助けてやるとしよう。」と言いました。

 しばらくして、その話は本当になりました。多くの人が亡くなる死の病が大流行し、次から次から人々が苦しみながら死んでいきました。その様子はまさに地獄のようでした。

 そして強欲で冷たく金の亡者だった、兄の巨丹の一族は次から次へ全部死んでいってしまいました。その酷さは他の家族より悲惨なもので誰かの呪いだと噂されました。

 一方まじめでこころのやさしい弟の蘇民の一族は、不思議なことに皆全員無事で助かったということです。

 現在でも八坂神社などでは赤い地の紙に金色の文字で「蘇民将来子孫之門」という札を配布していますが、その由来はこの故事を基にしているそうです。

(オリジナルは備後風土記より)

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 マンガ日本昔話に出てくるような話だ。世知辛い今のご時世を考えると、他人に親切にするよりまず自分のことが先である。さもなければ、この激烈な競争社会生きていけないだろう。

 しかし、相手が例えば疫病神だろうと、貧乏神だろうと、仮に自分に災いが降りかかろうとも、同じ神様ならば大切にして当然だという弟の蘇民の発想は普通とは異なる。

 この発想は明らかに常識はずれの心の広さであり、心の余裕の現れでもある。

 とかく我々は、自分の都合のいいときだけご利益を求めて、神頼みするのが普通だ。

 しかし弟の蘇民は表面的には、たとえ自分に不利になろうとも、相手が神様ならばできる限りの誠を尽くそうと努力する。

ひるがえって我々商売、ビジネスの世界も『お客様は神様』と言われれる。

 目先の利益だけで生きていると、一時はいい時期もあるが、兄の巨丹のように結果は一族すべて滅びてしまう。

 なぜなら神様(お客様)は自分が利益を得るための都合のいい相手だと腹のそこでは思っているからだ。だから神社で手をたたいても、『儲けさせてください』と自分の都合だけをお願いする。

 しかし本当に神様(お客様)のことは考えていないので冷淡に追い返してしまう。自分が儲けたいときだけ都合よく神様だ。

 弟の蘇民は自分の都合や利益の前にどんな時にも神様(お客様)に真心を尽くす至誠の心で接する。

 どちらも形の上では『神様』と手を合わせる姿には違いがないが、その心持ちは180度違うだろう。

 弟の蘇民のような心持ちで神様(お客様)に接すれば、一族も企業も末長く永続的に発展するのだ。

 最近、兄の巨丹のような人たちがテレビで頭を下げたりする無様な姿が目立つ。こういう人たちに限ってよく口先だけで『お客様第一』を口にする。つまり自分の都合に合わせてのお客様と言う意味だ。

 企業もコンプライアンスやら、CSRと騒ぐのもいいが、まずは基本にかえって弟の蘇民のような心持ちを持つことが先決だろう。


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2007年6月14日 (木)

【経営】今、経営者に必要な記憶力とは?

 経営者、とくに創業経営者の方々の記憶力の凄さに舌をまくことがおおい。特に何十年も前の細かいことを実に鮮明に覚えておられる。

 この記憶力が大いに経営に力を発揮していることだろう。今日は経営者にとって大事なこの記憶力の話をしたい。

 思いおこせば、私も学生時代以来「ああ、もっと記憶力がよかったらなあ。」と何度思ったことだろう!? 定期試験や受験の時、特に理科や社会の科目になると、一夜漬けで必死に丸暗記したものだったが、当時は決して他人に自慢できる記憶力ではないと思っていた。

 しかし不思議なことに今の仕事を始めてから状況は一変した。

 クライアントから「宇佐美さん、すごい記憶力ですね。どこでその記憶力を磨いたのですか?どうやって記憶なさるのですか?」とよく方々で質問をされるようになったのだ。

 ご存知のように、人間の脳の力は一般に3%程度しか活用されていないといわれる。残りの97%は潜在的な可能性を秘めたままなのだ。つまり脳というのは人間のあらゆる能力の中で、もっとも未活用なものだといっていいだろう。

 ということは、私の場合、この仕事をし始めてこの「記憶力」という才能が開花したのだろうか?そう言われてみると確かにいくつか思い当たることはある。

 先日、日経新聞でTBS相談役の鴨下信一さんが、記憶力についてのエッセイを書かれていた。

 その中で記憶力には社会的記憶と自伝的記憶の二種類あると述べておられる。社会的記憶とは年号や地名、人名など、一般的に知識と呼ばれる記憶力のことだ。これに対して問題は自伝的記憶というものだ。

 作家であり脚本家の向田邦子さんは、自伝的記憶の達人だそうだ。自らの体験を通じ、観て聴いて感じたことについての記憶力が抜群だという。

 さらに覚えていることを繰り返し繰り返し口にだして唱えるそうだ。そのことで、記憶をいつでも思い出せるように再生可能な長期的記憶にするという。

 経営の現場でもこの自伝的記憶は大変重要だ。例えば様々なプロジェクトなどに自ら主体的にコミットし、他のメンバーの表情や発言、雰囲気の変化などをいかに注意深く感じ記憶する力。

 また、色々な発言を聴きそのポイントをビジュアルにまとめ、記憶全体を体験とともにイメージとして記憶する力。

 そして覚えたことを何度も自分の言葉で口に出したり、絵に書いたりして表現する力。

 あるいは、会社のメンバーとの対話を通じその人の顔、名前、趣味、出身地のみならず、その特徴や個性、印象やイメージ、さらに潜在的な可能性をまさに体感的に記憶する力。

 さらに交渉相手やライバルとの過去のやりとりをどういう場合、どういう時にどういう攻め口でくるのか、パターンそのものとして全体を記憶する力。

 などなど現代のビジネスシーンで最も求められる自伝的記憶力だ。

 よく大脳の右脳と左脳の違いについて語られることが多い。合理的な分析力や言語などを司る左脳に対して、直感力や空想、イメージ、芸術的創造を扱う右脳。

 これが記憶力の世界にも同じことが言えるのだ。左脳的記憶が社会的記憶力であり、右脳的記憶が自伝的記憶力にあたるのだろう。

 今日、インターネットがこれほど発展すると辞書や新聞検索をして得られる社会的記憶力のような情報はあまり意味を持たなくなった。必要ならばモバイルで瞬時に調べられるからだ。

 その一方で、この自伝的記憶力は現在の経営の中でその重みは益々ましている。

 こうした『自伝的記憶力』は、対象に対して主体的に集中し、断片の知識ではなく、イメージを体験とともに全体の固まりとして、相互の関連つけで覚えることで長く詳細まで記憶することが出来る。

 確かに私自身の経験を振り返っても、仕事上最も必要とされるのは、自伝的記憶力の方だった。

 創業経営者の方々の記憶力が優れているのも、まさに長年現場で苦労し、自らの体で感じ取った自伝的記憶だからに他ならない。

 インターネットなどの発展で経営者、リーダーに求められる記憶力も変わった。先生や教科書から習う知識ばかりの社会的記憶から、自伝的記憶力が必要とされる時代に大きくシフトしている。

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2007年6月 5日 (火)

【経営】環境を再生するコスト?

昨日お話したホタルについて、もう一つお話したいことがある。 といっても優雅なホタル狩りの話ではない。ホタルが飛べる環境をもう一度作り出そうという環境創造のプロジェクトの話だ。

 かつて松下政経塾の展開する活動の一つに地域政経塾というものがあった。これはそれぞれの地域で松下政経塾の志を共有し、地域おこしや町の活性化を図ろうというものだ。今でも何ヶ所かで活動を続けている。

当時、全国でも初めて開設したのが京都政経塾だった。入塾試験を通ってやってきたやる気満々の塾生たちだ。関西にいた私もよく指導に訪れた。

 その塾生がチームを作って取り組んだのが、『高瀬川にホタルをもう一度!』というプロジェクトだった。

 高瀬川は江戸時代に角倉了以によって、京都の中心部と伏見を結ぶために作られた、鴨川を水源とする運河。罪人を乗せて運んだ『高瀬舟』は森鴎外の小説として有名だ。いまは歓楽街を流れ、桜の名所としても名高い。

【経営】環境を再生するコスト?

 地元のお年寄りの話だと、かつては水もきれいで天然のホタルが飛んでいたそうだ。それが水が汚くなったことや護岸工事が進んで、ホタルの幼虫の餌となるカワニナという巻き貝が生息出来なくなったのだ。

 カワニナは敏感な生きものできれいな水の中で川辺に草などが生える場所を好む。このため、コンクリートで護岸を固められると途端に棲めなくなるのだ。

 高瀬川の清掃は、高瀬川保勝会という地元のボランティアが当たっている。京都政経塾のメンバーばまずこの保勝会に働きかけて協力してもらおうと、週末の清掃活動などに積極的に参加したりした。

川の掃除をしてびっくりしたそうだ。生活廃水は流されるわ、ペットボトルや様々なゴミゴミ。ひどいのは使えなくなった自転車まで。開いた口がふさがらなかったという。

 彼らの取り組みはその後も続けられたが、色々水質調査などを繰り返すと、その水源である鴨川の上流から手を付けねばならず、残念ながら断念せざるをえなかった。

 彼らは活動の記録を最終的に報告書にまとめたが、その最後にドイツの環境学者の言葉を引用した。

 『環境は一旦破壊されると元に戻すのは極めて困難だ。破壊したときのコストの実に30倍のコストが元に戻すのにかかるのである。』と。

生活廃水やゴミを捨てることで、その時は手間が省けたり、廃棄費用が節約できるように見えても、一旦破壊された自然はその30倍のお金をかけないともとにもどらないのだ。

何十年もかけて汚染を蓄積してきた高瀬川をいきなりもとに戻そうにも、必要となる費用は計りしれないということだ。

 この環境にまつわるコストが一つの企業を崩壊の淵に追いやることもある。アメリカの有名な電池を作っている会社で実際あった話だ。

アメリカでも有数の品質価格を誇る同社の製品。株価も高く市場からの評価も高かった。ただしこの会社の見過ごしたのは長期的視点と環境への配慮だった。
その周辺の水源は、良質な製品を作るには最適のものだった。しかし、短期的な利益だけが評価される経営者は、この工場から出される廃棄物をここの土のなかに捨て続けたそうだ。

やがて何年もの後、すっかり土壌は汚染されてしまった。そしてあろうことか、良質と思われていた水源までが汚染され、結果として、製品の品質も悪化し経営危機においこまれたそうだ。

この手の話はよくブーメラン効果と呼ばれる。つまり遠くに投げたつもりのブーメランが自分のところに戻ってくること。すなわち自業自得ということだ。

しかし、この話の場合事は簡単ではない。被害をこうむったのはこの会社だけでなく近隣のすべてがまきこまれたのだ。

 さらにこれを元に戻すには電池会社の儲けたお金の30倍のお金がかかるのだ。一体誰がどう払うというのだ。

昔から、覆水盆に帰らずという言葉がある。一旦こぼしてしまった水をもとのお盆に戻すことが出来ないということだ。

 一般の企業会計は一年単位だが環境を配慮した、環境会計だとその会社の生涯通じた会計になる。

そろそろ企業経営も、短期的、表面的、一面的視点からだけの味方を卒業しないと、地球というかけがえのないものをうしなってしなうかもしれない。

その時、誰が30倍のコストを払えるだろうか?

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2007年5月22日 (火)

【経営】ライバルは有り難い!

普通、ライバルとか競合相手というのはやかっかいなものだ。出来ればそんなものはいないほうがいいと思うのは人情である。

かつて巨人の星の星くんと花形やバンとがライバルで互いに切磋琢磨する物語があったが、それはドラマのなかだけだろうとも思う。
現実はそんな綺麗事ですまないだろう。『あいつだけには負けられない』と身を引きちぎられるほど悔しいのがライバル。

ところが奇跡のような光景を先日見た。久しぶりに名古屋の実家に帰った時のことだ。私の実家は名古屋市内でも郊外にある。

かつては田んぼや畑で遊んだものだが近くに地下鉄の駅が出来、最近急にマンションなどが立ち並んだ。
しかも大型のショッピングセンターも出来た。

悲劇なのは昔からある商店街。完全にさびれてしまっでかつての面影はない。

小学校のころ見たあの店、この店はみなひからびてしまっていた。何とも淋しいものである

そんな中で今も元気に頑張っている2件の店を見つけた。道路をはさんで向かい同士にある金物屋である。
金物屋といえばもちろん日用品や大工道具、料理の道具など実に幅広い商品を扱っているわりに、八百屋や魚屋ほどに頻繁にいくものでない。

それに先客万来でウハウハで儲かるような商売とも違う。どちらかといえば地味な存在。他がさびれる中で、この2軒のライバルだけがしっかり生き抜いている。

なぜだろうか?勿論、相手に負けたくないから努力するというのはあるだろう。しかし、商店街に人が来なくなっている現実は厳しいはずだ。

町の人は言う。1軒だけなら、忘れてしまうが、2軒あるから、すぐに思い出す。金物ならあそこだと。
そして、1軒目に欲しい商品が無くてももう1軒にはたいていおいてあり、そこへ行けば用が足りる。

地域に密着していて遠くに行かなくてもすぐ欲しい時に手に入る。特に生活密着商品は助かると。

普通は同業者が自分の向かいにいて気分がいいわけはない。普通はどちらかが生き残り、どちらかがつぶれるものだろう。

しかし、互いに切磋琢磨すると同時に共存共栄することで、2店ともより強く生き抜ける奇跡のようなこともおこるのだ。

経営というものは、やはり奥が深い!?

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