特集『私、お酒やめました。』

2007年7月19日 (木)

【断酒】お酒をやめてはじめて気づいたこと

  さてここまで【断酒】シリーズで、私がお酒をやめたことに対する色々な話をしてきた。
まだ2ヶ月しかたっていないがお酒をやめて何か変わったことはあっただろうか?
何か気づいたことはあっただろうか?今日はそんなお話をしたい。

(1)「糖尿でお酒やめました」と一言で納得するメタボ親父

  私のような仕事をしていると、お酒や食事の誘いは大事な仕事の一環である。特にクライアントからすれば、日中には腹を割って話せないことでも、そうした席では「実は先生 。。。。。」と相談を受けることも多い。だから、大事な仕事なのだ。

  今回お酒をやめたので、酒席に入る前に、まずは、お酒をやめましたという宣言と理由の説明が必ずいる。仮に普段どおりに酒席にいくとしても、そのことを説明しないと始まらないのだ。

  ただしこれは、思ったほど難しくなかった。何しろ世はメタボリック親父ばかりだから、「糖尿の影響でやめました。」と一言言うだけで皆さん納得してくれる。逆に「数値はいくつ?」「いつから?」などとしばらくその話で持ちきりで、案外いい話題を提供してくれたと思っている。

(2)お酒を飲まなくても「酔うんだ」!

  その次に大変なのは酔っ払いにいかにペースを合わせるか?という問題だ。普通は大体みんな同じようなペースで飲むので、酔いのメータ−も同じように進むわけだ。しかし今度は自分だけ飲まないわけで、果たしてどうだろうか?ということだ。

 これもお酒をやめてみて始めて気づいた不思議なことがある。一般に私たちは「酔う」といった時に勿論お酒に酔うという使い方を一般にする。しかし、辞書をひくと(a)酒に酔う (b)乗り物に酔う (c)何かに引き込まれる。うっとりする。(例)「名演奏に酔う」 とある。

  実は私が不思議だといったのは、酒席にはお酒以外の酔わせるものがあるということだ。
  ○料理に酔う  ○雰囲気に酔う  ○会話に酔う  ○良き人間関係に酔う
  ○お水に酔う  ○睡魔に酔う などなど
なにかこういう言い方をするとキザな評論家のようなだが、本当に酔うのだ。私の場合酒であれ水であれ大して変わらない。つまりどちらもあまり酔わなかったから。しかし、酒席ではみんなと一緒にいい気分になり、うとうとと眠くなり、宙に浮いた気分になる。これは間違いなく酔っている。

  しかし、以前にもあったが酒を飲んでも酔わないときがある。深刻な話や厳しい状況でリラックスなどできないときなどは絶対に酔わない。どんなに飲んでも酔わない。あるいはストレスが相当たまっているときなどは逆で少しの酒でも相当に悪酔いする。ヘベレケになり誰かに絡む。私も色々な人に絡んで迷惑をかけたのを覚えている。

  つまり、飲む酒の量はあまり問題ではないのだ。その場のトータルな条件によって「酔う」「酔わない」が決まるのだということを、酒をやめて初めて知った。一仕事終えてほっとしているとき、誰かと信頼関係が深まって喜びを共有できるとき、おいしいお料理に舌鼓を打つとき、仕事の心地よい疲れで気分よくうとうとするとき、周りのみんなが機嫌よく飲んでいて盛り上がっているとき、確かに自分もお酒を飲んでいるのと変わりなく、「酔っているのだ」。本当こればかりは不思議だ。

(3)生まれて初めて「酒臭さ」を実感した!

  もうひとつ気づいたことがある。「酒臭い」ということを生まれて始めて感じたことだ。よく「酔っ払いは自分では絶対に酔っているとはいわないもんだ」と。あれはよく分かった。今までは自分が酔っているから、酒臭いなどということは感じなかった。仮に自分がしらふで誰かが酔っていても、匂いはたいして気にならなかった。しかし今度は違った。

  臭いくさい。あの臭いはたまらない臭さだ。終電近くに電車に乗るとそれがよく分かる。酒を飲んだ人間のだらしないふらふらした足取り。ロレツの回らないしゃべり方。あれは飲んでいない人間からすれば、すべて嫌に見えてくるのがよーーーーーく分かった。

  「なんだよ、宇佐美さん。たかが2ヶ月お酒やめたくらいで、もう飲まない人間の味方するのかよ」と裏切り者と呼ばれそうだが、しかし生まれてはじめて酒を飲まない人間が酒飲みを必要以上に毛嫌いする気持ちが分かったような気がする。

  でもご安心を!!酒飲みの皆さん。私はお酒のすばらしさを誰よりも知っていますよ。
だから毛嫌いなんかしません。でも客観的に見ることで、飲みすぎはまずいなというのははじめて分かりました。

(4)お酒を飲まなくてもよく眠れるんだ。

    お酒をやめる決断をする前、気にしていたことのひとつだ。私は意外に睡眠が浅くて困ることが多かった。夜中に何度も目覚めてしまうとか、とにかく気分よく朝まで熟睡することが少なかった。そのためよく眠る意味もあって、お酒を飲んでバタン、キューで寝ていた。確かにお酒は不眠症の人には効果があるといわれる。

  だから果たして、お酒をやめてよく寝られるだろうか?と思って心配していた。しかし、結果は意外にも予想とは逆だった。よく寝られるんですよ。これが。理由は今のところ分からないが、体調がいいこともあるかもしれないし、日中よくエネルギーを使うので、適度な疲れが睡魔を誘うのか、理由は色々と考えられるが、とにかくこの点は取り越し苦労だった気がする。

(5)お酒を飲まないと時間の使い方が変わるんだ。

  これも日常の習慣が変わるので最初は予想つかなかったことだ。とにかくそれまでは毎晩決まって夕食の度にお酒を飲んでいたわけだ。そうするとあとは寝るだけ。つまりお酒を飲まないということは、夜毎日しらふで過ごす事になる。一体何するんだ?その時間?と真剣に考えた。

  私が尊敬する恩師でずっとお酒を飲まれない方がお見えになった。その方は中学しか卒業していない現場のたたき上げで筋金入りの改革者だった。外見からは相当飲むような感じの人だったが、一滴もやらない。その人が夜何をしているかといえば、読書だとおっしゃっていたのをよく覚えている。

  「何、この俺もまじめに読書するのか?そんなのカッタルいよ。」これは私の本音だった。仕事柄本は腐るほど読むわけで、夜家に帰ってまで読む気にはならない。SEの仕事をしている人で日中仕事でパソコンばかり見ている人が、家に帰ってからも自室に入ってパソコンをいじっているとしたら、明らかなオタクなのと同じだと思った。

  さあ、どうしようか?  これも結果からいうと心配には及ばなかった。まず家族との会話が増えた。それまでは夜話したくても酔っ払いのヨッピー相手では話せないと思っていたらしく、最近では酔っ払っていないので、妻が喜んでいて機嫌がいい。

  それと、このブログだ。ちょうどお酒をやめて1.2週間してこのブログをはじめた。もし今でも飲んでいたら、こんなに長続きはしていなかったろうと思う。

  とにかく習慣が変わると、生活そのものが変わる。そうするとそれまでは無理だとか、俺には絶対できないとかと既成概念で決め付けていたものが、変われば変わったで、また新しい環境に合わせて自然に変化するのが、人間の体なんだなということを改めて感じることができたように思う。これが一番の気づきだったろう。

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2007年7月18日 (水)

【断酒】我が友、お酒との思い出

  さて今まで断酒について色々とお話した。しかし、皆さんにお断りしておきたいのは決してお酒が嫌いになって、断ったわけでもなんでもないということだ。正直言えば、今でも当然大好きだし、お酒の魅力もまた悪い点もよく知っているつもりだ。

  言い方が悪いかもしれないが、あえて誤解を覚悟でいうならば、「酒は長年連れ添って、わけあって分かれた愛人であり、いまでも好きな人。ちょっぴりわがままだけど甘え上手で魅惑的な小悪魔的ないい女」という感じだろうか?演歌の世界になってきたぞ。(笑い)

  というわけで、今日は皆さんにお許しいただいて、この愛人、いや違ったお酒との思い出を語りたい。「何を分かれた女に未練がましいわね」と怒られそうだが、しかし思い出はいつまでも断ち難く、ブログに書いて多少とも記憶に残したいのである。

  さて先に書いたとおり、私の一族は大酒のみである。特に父方は大変に強い。昔から子供ころよく聴かされた話がある。父の母親(つまり私の祖母)の実家というのが、名古屋で銘木店を経営していたそうである。そこの創業者であったひいじいいさんというのが、たいした商売人で体が太っていて、めっぽう酒に強かったということだそうだ。

 銘木店というのは、大きな山の中に入っていって、何十年もあとに立派な材木に育つだろう杉の木などを先を見越して買い付ける仕事だそうである。つまり、先を見る先見性がないとできない商売である。私の体の中にもそういう血が入っているのかもしれない。

 さて思い起こすとこの宇佐美家(つまり父方の一族)というのが大変な酒好きで、また宴会好きでもあった。父の兄弟は男5人、女2人という昔の典型的な大家族であり、当時同族で会社経営をしていたこともあり、よく祖父の家に集まっては宴会を繰り広げていた。

 単にお酒を飲んで騒ぐだけでなく、芸達者が多く、小唄、長唄、どどいつ、踊り、日本舞踊などなど何でもござれのような感じで大変な宴会だった。今でもカラオケで集まると、全員がプロなみの腕前で見ている人間は正直舌を巻くのである。一度カラオケの様子をビデオで取ったものがあったので、知人に見せたが正直言ってひっくり返っておどろいていた。

 「なんだこの一族は!!!!全員芸人だにゃーこれは。」と。同感である。

  このにぎやかな家系の中にあって、やはり父も酒は強い。子供のころから、毎晩晩酌は当たり前だった。しかし、なぜかビールしか飲まない人なのだ。理由がまた面白い。「不思議なことだが、ワシはビール以外のお酒を飲んでも酔わないんだ。どんなに飲んでも酔わない。しかしビールだけは1本程度で酔うことができる。その方が経済的にも体にもいいので、毎晩風呂上りにビール1本必ず飲むことにしてる。」と、これは本人がよく言っている言葉である。

 これが私の大酒のみのルーツである。カエルの子はカエル。やはり血は争えない。

 その後、私は故郷、名古屋を後にし、早稲田大学に進学し、本格的に酒の味を覚えることになる。ご存知のように、いまや斎藤祐樹くんで有名な母校は大隈重信公が創設以来、バンカラで知られ、酒はきっても切れない存在だ。私のときもそうだった。

 一年生でサークルに入り、まずは新入生歓迎コンパ(シンカンコンパ)だ。とにかく手荒い歓待なのだ。私のときはまず洗面器がもってこられビール5本くらい一気にそそがれる。それを一気飲みさせられるわけだ。また、悪いことに私が入学した年は、ちょうどチューハイが始めて流行した年で、かなりアルコールが強いのに一気飲みがはやって、足をとられて倒れる連中が多数出た。

 さらに早稲田大学が創立記念100周年の年で野球だけでなく、とにかく様々な競技で優勝優勝の騒ぎで、当時新宿の歌舞伎町のコマ劇場前の噴水広場では、全員が池に入り全身水浸しで、連日校歌である「都の西北」を歌い、同じ大学というだけで、見ず知らずの人間と肩を組んで、騒ぎまわるというドンちゃん騒ぎだった。

 というわけで、まずはサークルで始めて本格的に飲み始めた。なにしろ「吐くぐらいなんだ。人間吐きながら酒は覚えるものだ」という筋金入りの先輩たちに薫陶を受けた。

 しかし、普段はお金がない貧乏学生だったこともあり、飲みたくてもそんなに飲めなかった。同じ名古屋出身の親友がいたが、時折彼の下宿へ泊りがけで遊びに行ったときに
お互いにお金を出して買って分け合って飲んだ、1リットルの缶ビールの味が今でも懐かしい。

 その後、実際に私が本格的に酒が強くなったなあと思うのは、政経塾時代にアメリカに留学したときのことだ。当時下宿させてもらっていた家で、毎晩のようにビールを飲むようになった。当時日本で買うと、350mlの缶ビールが300円くらいした時期に、アメリカでは30〜40円だった。為替の関係で円高だったのと、税金の関係で10倍近い価格差があった。

  それにコンビニがそこらじゅうにあり、6本入りのパックが簡単に手に入った。値段は200円前後である。一緒にメキシコ料理からきたナッチョスのチップ(トルティアチップス)とトマトソースのベースの辛いソースを一緒に買ってきて食べた。毎晩それが夕食だった。そりゃー強くなるはずだ。日本なら大金だから飲めないが、向こうならお小遣いでも飲めるわけだ。その時、アメリカに1年弱ぐらいいたが、私の眠っていた潜在的な大酒のみのDNAに火がついたきっかけがこれだった。

  さらに悪かったのは、やがて仕事をするようになり、いっぱしの収入が入るようになったことである。こうなると誰に遠慮するでもなく自分のお金で自由に飲めるようになった。しかも当時、松下電器の本社で仕事をしていたので大阪の守口市に住んでいた。毎晩11時過ぎぐらいまで仕事をしていた。そうするとその時間まで空いているのが居酒屋みたいなところしかなかったのだ。

  私は近所にあったお好み焼き屋さんにほとんど毎日のように通った。庶民的で、きさくなおばちゃんと少し偏屈だが職人肌のおじちゃんには大変よくしてもらった。ちょうど寅さんにでてくるおいちゃん、おばちゃんといった感じだった。

  豚玉と焼きそば、あと一品料理とビールを1本、チューハイ1杯が定番だが、少し話し込んだりすると、チューハイをあと2、3杯飲んでいただろうか?とにかく他にまともな店がなかったので、この店が私の命綱であり、生命線だった。

 これが独身時代だった。仕事に夢中で楽しく面白い酒だった。

 その後、結婚し、自分で今の事務所を開き、経営の厳しさや仕事の奥深さ、人生の悲哀もそのとき味わった。一人で飲む酒も前よりも増えた。悲しい酒も増えた。そんなときも酒は身分にも関係もなく、金のあるなしも関係なしに慰めてもくれたし、苦しさも紛らわせてくれた。美空ひばりの「悲しい酒」を聞いても味わえるようにもなった。

 なんかこんな話をしていると、どんどんと話が演歌くさくなっていけないが、しかし、人生の裏も表も、喜びも悲しみも、時には名演出家として、あるいは地獄に誘う悪魔でもありいつも一緒にお酒がいた気がする。

 かつて禁酒法なる悪法がアメリカであったそうである。アルカポネかなんかのギャングがアングラで酒を横流しし大金を稼いだそうだが、人間の本能はそんな理屈で割り切れるほど簡単じゃない。どんなに立派な社会になっても、やはりお酒はなくならないだろうな。

 ただ、今回断酒宣言をして、ちょっと悲しいことがひとつある。お祝いのお酒であり、友と酌み交わす友情の酒である。これは何物にも変えがたい喜びだった気がする。まあ、私の場合は水でも十分喜びは感じれるからいいのかも知れないが。

 なにせ、私は「ビール以外は一切酔わない」という父の息子である。水でもアルコールでも、大して酔わないので、にたようなものである。とにかく今振り返るとお酒は懐かしくもいい思い出だった。

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2007年7月17日 (火)

【断酒】私が酒をやめた三つの理由

 さて皆さん、緊急記者会見で私が断酒宣言をしたブログ(7月9日、7月10日付け掲載記事参照)読んでいただけましたか?  ちょっと趣向を凝らして記者会見風にまとめてみましたがどうだったでしょうね。  しばらく、この断酒にまつわるお話をシリーズで続けようかと思っていますのでよろしくお願い致します。

 先のブログ上での、緊急会見で私の今回の断酒についての大まかな所はお話しました。  ところが一つ掘り下げてお話していないテーマがあります。

  それは、『お酒を止める前は随分考えた』と書いたんですが、何をどのように、どの程度考えたのかということについて深くお話しておりませんでした。今日は特にこの点についてお話しましょう。

  皆さんもご想像ください。私の家はだいだい酒飲みの家系です。特に父方のほうは大変な大酒のみが多く私だけにとどまらず、おじさん、おばさん、親戚一同がよく飲む人ばかりです。ですからDNAの影響は怖いもので、私も気づけば同じ範疇にいたわけです。

 本格的に飲み始めたのは大学に入ってからです(当然ですが)。以来20年以上飲んできたわけですから、簡単にやめられるわけがありません。以前にも何度か医者から注意されて、断酒しようと思って始めましたが、正直長続きはしませんでした。人間というものはホトホト意志の弱いものです。

  それが今回は違います。以前のようなことがないように、とりあえずきちんとやめられる目処が立つまでは皆さんにお話しませんでした。それから、誰かから止めろといわれてやめるのではなく、自分自身の意思でやめるとはっきりと得心してから、断酒をはじめました。それで、ちょうど2ヶ月です。

  その決心に至るまで色々と考えました。そして大きく3つの理由で決断しようと心に決めました。それは以下の3つです。

  (1)自らの健康を考えて
  (2)家族の心配を考えて
  (3)新たな人生の生き方を考えて

以下それぞれどんなことを考えたかお話しましょう。

(1)自らの健康を考えて

  これは先にお話したように、糖尿の影響で嘔吐がひどくなったわけです。それまでに体重を減らし食事に気をつけかなり気にはしていましたが、いよいよ最後の切り札が断酒ということになりました。糖尿の治療のご経験がある方はご存知でしょう。食事の制限は一日1400〜1600Kcalと大変厳しいものです。正直大変おなかが減ります。

  私の場合、食事だけを考えた場合、大体この範疇で収まっていました。勿論時には温泉にいったりしてご馳走も食べましたが、それは前後の食事でコントロールしていました。   問題はお酒に絞られていたわけです。お酒そのもののカロリーが大きく影響していたのでしょう。

  ビール(350ml) 140kcal 、ウイスキー水割り 160kcal、 日本酒(1合) 210kcal、 ワイン(100ml) 75kcal、 (数値は目安です)と一般に言われます。

  ちなみにご飯一杯が80Kcalで栄養学では1単位といって基準になります。ウィスキーが特に好きだった私の場合、1杯飲むだけでご飯2杯分です。当然何杯も飲むわけですから、まあ、正直これだけで一日分の食事のカロリー数などすぐにオーバーしてしまいます。さらに、酒飲みの人は分かるでしょうが、必ずおつまみを一緒に食べます。これがまたカロリーの多いもののオンパレードですよね。

  植木等さんじゃありませんが、「これじゃ体にいいわけないよ。」なわけですよ。自分で言っていておかしなものですが、頭で分かっていてもやめられませんね。今じゃ寛仁親王殿下がみずからアルコール依存症だと勇気を持って公式にされました。一昔前なら皇室の方がアルコール依存などというのははばかられましたが、今は時代が変わったのでしょうね。

  話がずれてしまいましたが、そいうことで、私も糖尿のことを考えるとまずは食事制限でカロリーコントロールが必要で、それにはお酒をやめるというのが一番の方法でした。


(2)家族の心配を考えて

  私は元来わがままでわが道を行く、そういう人でした。裏を返せば滅多なことで他人の言うことを聞かないという短所があります。いい意味で言えば自信を持って信念を貫くということになるのでしょうが、仕事と違って、体のことになると自分だけのことではありません。当然家族が色々と心配します。

 そんなことは百も承知の上で、それでもめちゃくちゃやっていたわけです。(おはずかしいことですが)。ただ今回ばかりは妻の一言が効きました。

  「あなたね、このままの状態だと大好きなお仕事で穴でもあけて、お客様にご迷惑をおかけして、二度と仕事の依頼が来なくなるわよ。そうしたら今まで苦労したことは一切無駄になるのよ。それでもいいの。」と。

  正直この言葉には参りましたね。いつもは自分の都合ばかり押し付けたりする発言でしたが今回の言い方は違いました。確かに私自身にとって一番痛いところをつかれました。妻の言うとおり今まで何をやっていたのかわからなくなってしまう。そして自分の志を貫こうにも足元から土台が壊れてしまう、その通りなのです。

  妻にとっては何気ない一言でしたでしょう。しかし、この一言は断酒の決断を深めさせました。ですから、妻のその一言でまあ、自分なりに気づいた。そして考えた。その一言がいい触媒になったということです。

  勿論、酒をやめたと言ったときの家族の反応は複雑でしたね。「あーーーー、よかった」という反面、「本当に長続きするんだろうか?」という疑いと疑問の目とでもいいましょうか???まあ、今まで散々勝手をやってきた「前科もの」(笑い)の発言なんでしょうがありませんが。。。。しかし、2ヶ月たって今は家族も穏やかですので、よかったのではないかとお思いますが。

(3)新たな人生の生き方を考えて

  実は私が断酒を決断する数ヶ月前でした。私の10年来の親友が断酒を宣言しました。彼は私以上に酒豪でした。彼の親父さんは大阪でも有名な大きな企業を経営していて、彼はそこの副社長として経営者の修行をしている立場の人間です。彼は仕事上の接待などで、よくミナミなどの高級なクラブなどに常連として行っていました。とにかくよく飲みました。

  そんな彼が突然酒をやめたといいだしまた。ただし、お酒の席には必ずウーロン茶で一緒に付き合います。なぜやめたのか私も理由を聞いたのですが、はっきりとしません。余程心に期するものがあったのでしょう。

  正直私は意外でした。世の中でもっとも断酒というものから遠い存在だと思っていた彼が。。。。。。。。

   このことも大いに考えさせられたことでした。そしてこうも考えました。「私より若く、また酒も強く、しかも立場上いくらでも飲めるだけのお金がある彼のようなエグゼクティブが酒をすっぱり断つのだ。ひょっとすると断酒も悪くないな」とね。彼のこの行動は私に勇気をくれましたし、背中を後押ししてくれました。

  彼の偉いのは、単にお酒の量を減らすとかいうのでなく、きっぱりとやめてしまったこと。そして公の前でそれを宣言していること。そして最後はお酒をやめても付き合いは今までどおり続けていることです。

  彼のこの行動で、正直私は色々と考えさせられました。 実は私も今年でこの仕事を始めて20年になります。人間の人生でも20年で成人式、40年で初老(厄年)、60年で還暦として20年というのは大きな節目です。25歳でこの仕事をはじめて今年で45歳(誕生日は12月28日です)。ちょうど丸20年です。

  この際、自分自身もう一度原点に立ち帰って足元を見直し、今までの人生をリセットし、新しく生まれ変わって再出発したいと思っていた矢先でした。

  私の仕事である「改革請負人」という仕事は、単なる経営コンサルタントと違い、人を動かし、組織を動かし、社会を動かすという結果を求められます。

  ですから単に最新の理論や知識を知っているだけでなく、自らの体を張って立ち向かい現実の壁を動かしていくだけの、人間の器、人格、つまり徳を磨かねばと常から思っていました。この修行は命ある限り一生続くものだと思っています。

  それまで私も立場上、クライアントや研修生などに対して「意識を変え、行動を変え、習慣を変える。そして人生を変える。」などと言ってきました。

  偉そうに他人に言う以上私自身がまず身をもって手本を示すのが礼儀です。単に、頭の中で出直そうと言うだけでなく、形としての目で見えることで大きく変えよう。そのために断酒は大変意義あることだと考えました。

  勿論誘惑もあるし、今までの慣習もある。他人にどう説明しようか。夜ぐっすり寝られるか?などなど障害もありましたが、とりあえずやってみよう。そして始めたのが2ヶ月前でした。

  今はそれが大正解だったと思っています。人が生き方を変える、新しく生まれ変わるなどといっても簡単にできるものではありません。形から入るというのもいいことでしょう。今はそう思っています。  

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2007年7月10日 (火)

【断酒】緊急会見「私、お酒やめました」(2)

(※昨日の2007年7月9日付ブログ【断酒】緊急会見「 私、お酒やめました」(1)からの続きです。)

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【記者D】しかし大のお酒好きが止めるとなると随分悩んだでしょう?

【宇佐美】
 そらゃ私はアル中ではありませんが、三度の飯より酒が好きっていうタイプでしたから、キッパリと止めるには色々考えましたよ。決断するまではね。

【記者A】ところでメタボリックで困っている人にとったら、宇佐美さんの話しは他人事ではないですよね。今までに何かそういった関連の質問をされたことは?

【宇佐美】
 そうですね、一つ非常に興味深かったのは、我々と同じ年代の40歳台半ばかそれ以上の人たちだと、特にメタボを気にする人が多くて、何か自分のことのように質問されてくる方も多いんですよ。

 この間もあるお酒好きの知り合いがこう聞いてくるんですね。『宇佐美さん、なにも完全にお酒をやめなくても、量を減らせばいいんじゃないですか?』と。それも必死の形相でね。

【記者A】そらゃ聞く方も必死ですね!

【宇佐美】
 そうなんですよね。後で聞けばこのかた御自身も医者や家族からお酒を止めるように強く言われていたそうです。

【記者A】それで何てこたえたんですか?

【宇佐美】
 酒飲みの気持ちが人一倍分かるだけに、私はきっぱりと、これに対してこう答えました。

 飲む量をコントロール出来る意志の強い人はいいですが、どう考えても私には出来ませんでした。節酒は以前に何度もやってみましたが長続きしませんでした。

 一杯飲めばあと一杯だけ。あと一杯飲めばもう一杯だけ。気付けば普段と変わりなく飲んでしまっている。だったらなにも考えず気分良く飲んだ方がいいということになってしまうんですよ。

【記者B】つまり節酒出来る意志の強さがなかったと?

【宇佐美】そうです。でも考えても下さいよ。私みたいに、お酒が好きな方で、かつ強い人、またお酒の魔力も十分知っている方の中で、本当に節酒に成功した人がいるなら是非ともお目にかかりたいですね。それほど難しいことだと思いますよ。

【記者B】そのあとはなんとはなしたのですか?

【宇佐美】
 結局、私は節酒もあるいは一時的にやめる禁酒も出来ない意志の弱い酒好きの人間だった。だから断酒して一切飲まないようにしようと思った、とね。

【記者B】それで質問した人は納得したんですか?

【宇佐美】結局、お酒をやめるという結論には納得出来なかったようでしたね。

【記者C】それからどうしました?

【宇佐美】こんな例え話をしましたね。ある時、薄毛を気にして、育毛剤やカツラを真剣に考えた人がいたそうです。しかし、あまりにも効果は薄いし、あれこれ悩むくらいならいっそのことスキンヘアにしてしまえということで、本当にそうしてしまったら、案外すっきりしたと。(笑) 今回の私の断酒もこの発想に近いかもしれませんね(笑い)説明になってませんか、はっはっはっ。

【司会者】皆さん色々ありがとうございました。そろそろお時間が参ったようです。以上で会見の方は終了させていただきたいと思います。

 なお、『お酒をやめて数値はどのぐらい下がったのか?』などもっと詳しいお話はこの後のブログに宇佐美本人がシリーズで載せていくと申しております。引き続きお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。みなさん、本日はありがとうございました。

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2007年7月 9日 (月)

【断酒】緊急会見「 私、お酒やめました」(1)

(記者会見場。多くの報道陣を前にして、きちっとスーツを着込み緊張した面持ちの宇佐美。浴びせられる無数のシャッター。ハンカチで汗ばむ額の汗をぬぐう。司会者の挨拶が始まる。その後、司会者の目配せによる合図でおもむろに宇佐美は会見を始めた。)

【司会者】それではただ今より会見を執り行います。それではまず宇佐美の方から報告したします。

【宇佐美】
 えー、皆さん本日はお忙しい中お集まり頂き有難うございます。突然ですが皆さんに重大なお知らせがあります。(緊張して少し声もうわずる)

 プライベートなことで恐縮ですが私儀、宇佐美泰一郎(株式会社ニューポート代表取締役)は、健康上の理由で、さる2007年5月5日をもちまして大好きだったお酒をピタリとやめました。

 ご存じのように何分あれほどのお酒好きの私でしたので、突然の断酒宣言に驚かれた方も多いかと思いますがこれは事実であります。

 5月の初めに止めてから丁度2ヶ月になります。今日まで発表を差し控えさせて頂きましたのは、私またいつもの意志の弱さからいつ誘惑に負けてしまうかも知れませんでしたので、ある程度続けられるという自信が出来たタイミングを見ておりました。

 皆さんの中には、今まで失礼して私が酔って絡んでご迷惑をお掛けした方々も多いかと思います。若気の至りとはいえ、この場をお借りして深くお詫び申し上げます。

【記者A】一つ質問よろしいですか?

【司会者】はい。それではお一人1つづつ順番にお願いします。

【記者A】それでは質問しますが、仕事柄付き合いで飲まれるとおもいますが、その辺はどうなんですか?

【宇佐美】
 最初からいい質問ですね。正直最初はどうしようかとおもいましたが、今まで通り変わりません。ですから皆さんご安心下さい。私お酒を止めても烏龍茶でお付き合いさせていただきます。ですから、またどんどんとお酒の席には誘ってください。(笑)

【記者A】しかし一人シラフなわけですよね。違和感はありませんか?

【宇佐美】
 それがですね、不思議なことに、お酒を止めてから今までこの2ヶ月の間に何度もお客さんと酒席に参りましたが、私一人飲んでいなくても特に違和感はなかったですね。

 いやむしろ、お酒は飲んでいなくても、お水や烏龍茶で水分はたくさん取りますからね。雰囲気は飲んでるときと大して変わりません。飲まなくても私テンションはもともと高いですしね。((爆笑))

【記者B】宇佐美さん、知る人ぞ知る大酒のみで名前が通っていたと思うんですが、皆さんの反応はどうでしたか?

【宇佐美】 それがですね。おもしろいんですよ、これが。今まで何人かの方々には『私お酒止めたんだ。』とお話ししたんですね。そうすると決まって判子で押したように同じリアクションが返ってくるんですよね。

 『えぇっー!宇佐美さん、うそでしょ。どうして?なにかあったんですか??そんなにお身体悪いんですか?』とね。

 まぁ皆さん心配してくださるのは分かるんですが、同じ質問ばかりされるんですね。

【記者B】それじゃ一々質問に答えるのもたいへんでしょう!?

【宇佐美】はい。おっしゃるとおりです。ですから、まぁこうしてブログ上ではありますが、今回ご無理を言いまして、お忙しい中皆さんにお集まり頂き会見を開かせていただいたいたと言うわけです。

【記者C】先程健康上の理由でお止めになったと言うことでしたが、具体的にはいかがなんですか?

【宇佐美】 確かに会見の冒頭に、『健康上の理由で』ともうしましたが、それほどご心配頂くほどではないのでご安心下さい。

 実は今回お酒を止めた直接の理由というのが、ちょうど一年くらい前から原因不明の嘔吐をくりかえしていたんですね。

 それが普通に吐くのと違いまして、特に飲みすぎや食べ過ぎのような感じじゃなくて吐くんです。特に胃の中に何もない状態なのに、お茶やコーヒーなど飲んだ水分をこう何度も繰り返し繰り返し吐くんです。ひどいときはそれが一晩中続くんですよ。すごい苦しかったですね。

【記者C】それで医者には行かれたんですか?

【宇佐美】はい。近所のかかりつけの医師のところにいきました。

【記者C】診断の結果はなんと?

【宇佐美】はい。多分糖尿の影響だろうってことでした。その時は吐き気を止めるため点滴を打ってもらい薬をもらって飲んですぐになおったんですね。

 しかし先生は、根本的に糖尿を治さないと駄目だと言われるので、『ならばお酒を止めるしかない』と思い決断しました。まぁ、これが直接の理由です。

(※ 途中ですが続きは、明日2007年7月10日(火)付『【断酒】緊急会見「 私、お酒やめました」(2)』に続きます)

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