歴史

2007年7月28日 (土)

【歴史】天神祭と水の都

さる7月25日は、天神祭の生中継をテレビで見た。前日にブログに天神祭について書いたので、最初から最後まで見ることにした。

 今までは断片的にただぼんやりと眺めていたが今回は事前に調べておいたので見ていて随分とためになったし、よく分かった。何事も積極的に関わると理解が違う。

さて肝心の番組だが、大阪のローカルにテレビ東京系列のテレビ大阪と言う局があり、午後6時半から9時までの二時間半の放送だ。開局25周年でかなり気合いの入った作りでもある。

司会は西川きよしと元フジテレビアナウンサーの八木亜希子で、ゲストに小林幸子や美川憲一などの歌手やタレントだ。お祭りのライブ中継の間に、歌やモノマネなどをまじえて飽きさせない趣向だ。

この番組が偉いのは、単に上辺の番組でなく、歴史的な意義や由来をしっかりと調べていて、現場での事実に基づく取材を怠っていないことだ。

 一人天神祭博士のような男性のアナウンサーがいて毎年解説をしているようである。毎年毎年のことなので、去年や一昨年と違うネタを探して毎年放送しているようなのだ。

 司会の西川きよしが『その話は去年は聞きませんでしたね』と何度も何度も大きな目をきょろきょろさせて感心している姿が印象的だった。

 さてここで大阪以外の方には馴染みの無い方もお見えだろうから、天神祭の概要をざっくり説明しよう。

 まず大阪天満宮という菅原道真をお祭りした天神さまを中心にしたお祭りで、途中何度か中断はあるものの天歴5年(951)からはじまり、今年で1057年目を向かえる大変歴史のあるお祭りだ。

 毎年7月の24日、25日の2日間行われる。一日目が宵宮(よみや)、二日目を本宮という。そもそも、年に一度天神さまが、神殿を抜け、川の流れで自らの身の御祓払いを行われる儀式である。

 そこで祭りはまず御祓払いの場所を決めるため川の上の船から鉾を藁のようなものでくるんで流し、流れ着いたところをお祭りの場所(祭場)と定めたのだった(鉾流神事)。

 次に年に一度、おそれ多くも神様が我々の目の前を通り川辺の祭場まで御祓払いに行かれるので、当然道案内やら、露払い、賑やかしの笛や太鼓、お供の行列は賑やかだ。

 これが天神様を特別の神輿に載せ、神殿のある大阪天満宮(宮)から、まず陸路を通って船着き場まで運ぶ(陸渡御)。

 その後川の船着き場(天神橋)から特別な船(御鳳輦船:ごほうれんせん)の上に神輿を載せ、それを祭場まで漕いでいき(船渡御)、儀式を済ませて、また宮まで無事送り届ける(宮入り)。簡単に言うとざっというとそういうお祭りだ。

そもそも大阪天満宮は、菅原道真が都から太宰府に流される時に、前の晩、大阪藤井寺の道明寺というお寺で、尼をしていた伯母さんと朝まで話し込んでしまい、その後、先を急ぐ道すがら立ち寄ったのがこの大阪天満宮の場所の前身だった大将軍社という神社だった。

 903年に道真が没した後天神信仰が始まり、949年この大将軍社という神社の前に道真公の威光の光で眩しいばかりの七本の松が突然現れ、その話が都まで伝わり村上天皇の命で建てられたのが大阪天満宮の最初である。

だから大阪天満宮では、道真公がたってしまわれる朝を表すと言うことで一番鶏は意味嫌い、今でも神官は鶏を食べないそうだ。

 さてこのお祭りだがやはり何と言っても他のお祭りにない最大のインパクトは、船渡御(ふなとぎょ)である。

5000発近い奉納花火が打ち上げられるなかを、神輿を載せた船を始めにそれこそ無数の船が川の上を漕ぎ、笛や太鼓、祭囃子とその賑やかなこと。

派手ずぎな商売人の町、大阪らしい大イベントである。

船でご神体をお運びするお祭りというのならば、福岡県の宗像大社のみあれ祭も有名だ。海のシルクロードと呼ばれ、大陸との交流の要所にあった玄海の孤島、宗像沖ノ島ではいまでも女人禁制で、島全体かご神体であり、入島の前には全員全裸で海に入り、御祓払いを行わなければならない。

 その宗像三神の女神たちを三つの離れた島からひとつに合わせるのがこのお祭りで七浦の漁船が総出でお供し、色とりどりの旗やのぼりで飾られた大船団がくり出す漁師たちの大祭だが、しかし天神祭とは規模が違う。

 また、海外では水の都イタリアのベネチアで開かれるヴォガロンガという小舟のマラソンなどがあり、5000人近い人が参加する賑やかなお祭りだが、歴史はまだ20年そこそこと浅い。

 また他にも船を使った海外のお祭りとしては、またカンボジアの首都プノンペンの水祭りなどがある。王宮の前、トンレサップ湖の水がメコン川に合流する地点で行われるボートレースで、大観衆がレースを見守るそうだ。

 しかし、おそらく千年以上の歴史を持ち、なおかつ世界的大都市での大きな規模を誇る水上の船を使ったお祭りは、他に類を見ないものだろう。

 船渡御の素晴らしさとインパクトに圧倒されながら、そういえばこの町、大阪はかつては『水の都』と呼ばれていたのだということをふと思い出した。。

 今は埋め立てられて道路になっているが、その昔江戸時代には、大江戸八百八町と呼ばれた江戸に対し、天下の台所、浪速八百八橋と呼ばれたものだ。心斎橋、淀屋橋、道頓堀、天神橋、天満橋、土佐堀通りなど当時を彷彿とさせる地名も数多い。

 さらに聖武天皇の難波京の時代から、古くはシルクロードの日本の玄関口であり、中国・韓国との貿易外交の核となる、国際港湾都市であった。

 また、海路は瀬戸内に大きな口を開け、日本中の海路という海路がここに終結した。

また豊臣秀吉が開いた大阪城を中心に商人がすむ町となり、町中運河で張り巡らされ、中之島を中心に大名の蔵屋敷が建ち並び、北浜には日本で最初の証券取引所ができ、この地域は三大市場と呼ばれ、米、塩などの日曜生活雑貨から、各地の海の幸、山の幸の産物が集まり、まさに商流・物流・情流・金流の接合点であり、コアだった。

さらには、淀川を通じて、京都まで通じる大阪は、木津川、宇治川、桂川という三本の大きな川の合流する、要衝の地、淀城をポイントに、軍事的な要衝でもあった。

 と学校の教科書でならった知識を総動員して、この水の都のかつての姿を想像してみるのだった。

 私も大阪に住んでかれこれ20年になるが、今は正直、水の都と言われてもピンとこない。大阪と言えば万才とたこ焼きの方がイメージしやすい。

 しかし、この町で千年もの間歴史をくまなく見てきて、時々の要素を取り込んできた天神祭は、水の都大阪のDNAをまざまざと眼前に甦らせてくれる。

 祭りの賑やかさの向こうに見える歴史の静けさであった。


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